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好きな芸人ランキング

最近はお笑いブームの影響で、好きなお笑い芸人ランキングというものが、いろいろな雑誌で特集されている。
その中でも一番有名な、「日経エンタテイメント!」という雑誌が特集している「好きな芸人ランキング」に注目してみようと思う。
そしてこの「好きな芸人ランキング」には、どのような影響があるのかということを考えてみようと思う。

2009年に発表された「好きな芸人ランキング」の順位は、
1位、明石家さんま 2位、オードリー 3位、爆笑問題 4位、島田紳助 5位、ビートたけし 6位、所ジョージ 7位、ダウンタウン 8位、綾小路きみまろ 9位、タカアンドトシ 10位、タモリ
2010年に発表されたランキングの順位は、
1位、明石家さんま 2位、ビートたけし 3位、爆笑間題 4位、島田紳助 5位、ダウンタウン 6位、所ジョージ 7位、綾小路きみまろ 8位、タモリ 9位、笑福亭鶴瓶 10位、タカアンドトシ

このランキングを見ると、必ず何か個々に思うことがあるはずである。
明石家さんまがやっぱり1位なんだなとか。
2009年のオードリーの人気は、本当にすごかったんだなとか。
とんねるずとかウッチャンナンチャンは入ってないの?とか。
明石家さんま、爆笑問題、島田紳助、ビートたけし、ダウンタウン、タモリはこれから「好きな芸人ランキング」というものをやり続けたとしても、必ず上位に入ってくるんだろうなとか。
ダウンタウンの順位低くない?とか。
綾小路きみまろの票は、全部おばさんからの票なんだろうなとか。
所ジョージは芸人じゃないのに、なんでランキングに入ってくるんだ?でもすごいなとか。
笑福亭鶴瓶はすごい芸人なのに、あんまり評価されてないんだなとか。
人気で面白い中堅芸人はたくさんいるのに、その中で入っているのはタカアンドトシだけなんだなとか。
このようなことを、必ず何か個々に思うことがあるはずである。

しかしよく考えてみると、個々にただそう思うだけなのである。
明石家さんまが1位だということは、明石家さんまファンはただ納得するだけ。ファンではない人は、世間が思うお笑い芸人のイメージはいつも明るい明石家さんまだというイメージが強いんだろうなと思うだけ。
2009年のオードリーの人気は、お笑いブームってすごいんだなって思うだけ。
とんねるずとかウッチャンナンチャンが入ってないのは、ファンもそうでない人も、最近テレビではあまり活躍してないからかなと思うだけ。
明石家さんま、爆笑問題、島田紳助、ビートたけし、ダウンタウン、タモリはこれから「好きな芸人ランキング」というものをやり続けたとしても、必ず上位に入ってくるんだろうなと思うだけ。
ダウンタウンの順位低くない?と思っている人は、ダウンタウンの面白さは普通にテレビを観ている人には伝わらないんだろうから、ダウンタウンはこの順位が妥当かなと思うだけ。
綾小路きみまろの票は、全部おばさんからの票なんだろうなと思うだけ。
所ジョージは芸人じゃないのに、なんでランキングに入ってくるんだ?でもすごいなと思うだけ。
笑福亭鶴瓶はすごい芸人なのに、あんまり評価されてないんだなと思うだけ。
人気で面白い中堅芸人はたくさんいるのに、その中で入っているのはタカアンドトシだけなんだと思うだけ。
このように、個々にただそう思うだけであるはずだ。

つまりどういうことなのかというと、自分の好きな芸人はこんなランキングをやっても変わらないのである。
自分が思う好きなお笑い芸人のランキングというものが個々の心の中にあって、その1位の芸人に対する世間の評価が低かったとしても、自分が思う好きな芸人ランキングが、この「好きな芸人ランキング」では順位変動は起こらないのである。
自分が思う好きなお笑い芸人のランキングというものが、なんとなくしかない人は、その時期によく見たお笑い芸人を好きだと思っているだけで、その時期が過ぎたら、またその次の時期によく見たお笑い芸人を好きだと思っているだけなのである。
だから2009年に2位になったオードリーは、2010年にはランキングに入ってないということが起こるのである。

つまり、「好きな芸人ランキング」とは、自分が思う好きなお笑い芸人のランキングというものがある人には、世間の評価が低かったとしても、自分が思う好きな芸人ランキングが、この「好きな芸人ランキング」では順位変動は起こらないため、この「好きな芸人ランキング」の1位の芸人が、この記事を読んだ人は好きになるというほどの影響力は決してなくて、その時期によく見たお笑い芸人が好きだと思っている人が選んだ好きな芸人を、「好きな芸人ランキング」という記録として、名前を残すだけの企画なのである。

つまり、その時期によく見たお笑い芸人が好きだと思っている人が選んだ好きな芸人を、「好きな芸人ランキング」という記録として、名前を残すだけの企画であって、この記事を読んだ人は1位の芸人を好きになるというほどの影響力はないという企画を、いろいろな雑誌で取り上げた。
しかし、この「好きな芸人ランキング」によって、お笑いブームで有名になったお笑い芸人には影響が出ているのではないだろうか。
「エンタの神様の終焉」でも述べたように、2000年代のお笑いブームで有名になったお笑い芸人は、すぐに飽きられてしまうという現象が起きた。
それは、雑誌等で多くその芸人が大きく取り上げられ一気に世間に注目されてしまい、まだタレントとしての技術が無いのに、いろいろな番組に出演してしまったため、ネタで使うフレーズを言うことしかできなくなって、面白くないというイメージが付いてしまったために、2000年代のお笑いブームで有名になったお笑い芸人は、すぐに飽きられてしまったのではないだろうか。

嫌いな芸人ランキング

好きな芸人ランキングとは反対に、「嫌いな芸人ランキング」というものも「日経エンタテイメント!」という雑誌が特集している。
その「嫌いな芸人ランキング」についても考えてみようと思う。

2008年に発表された「嫌いな芸人ランキング」の順位は、
1位、江頭2:50 2位、小島よしお 3位、出川哲郎 4位、ロンドンブーツ1号2号 5位、明石家さんま 6位、エスパー伊東 7位、青木さやか 8位、島田紳助 9位、綾小路きみまろ 10位、レイザーラモンHG
2009年に発表された「嫌いな芸人ランキング」の順位は、
1位、江頭2:50 2位、明石家さんま 3位、陣内智則 4位、狩野英孝 5位、有吉弘行 6位、島田紳助 7位、ロンドンブーツ1号2号 8位、小島よしお 9位、鳥居みゆき 10位、出川哲郎
2010年に発表された「嫌いな芸人ランキング」の順位は、
1位、江頭2:50 2位、島田紳助 3位、明石家さんま 4位、有吉弘行 5位、小島よしお 6位、ロンドンブーツ1号2号 7位、出川哲朗 8位、エスパー伊東  9位、久本雅美 10位、狩野英孝

このランキングを見て必ず思うことは、影響力のある芸人が上位に選ばれるということである。
2008年で8位、2009年で6位、2010年で2位の島田紳助と、
2008年で5位、2009年で2位、2010年で3位の明石家さんまは、少しでも何かをするとすぐに騒がれて批判を受けたりするくらい、今でも影響力がある芸人である。
世の中どんなことでも100%の支持を受けるということはありえない。
つまり、好きな芸人でも選ばれ、嫌いな芸人にも上位に選ばれるのということは、少しでも何かをするとすぐに騒がれて批判を受けたりするくらい、物凄い影響力がある芸人だという証なのである。
他にも、2009年で3位に選ばれた陣内智則も、離婚という世間の注目を一気に集めるということをしたため選ばれた。
2008年に4位、2009年には7位、2010年に6位のロンドンブーツ1号2号も「ロンドンハーツ」という影響力のある番組をやっている。
このように「嫌いな芸人ランキング」とは、その時期に影響力のあった芸人を選ぶランキングなのである。

そしてこの「嫌いな芸人ランキング」で一番注目すべきところは、ここには書いてはいないが、このランキングで、2001年から2010年まで、9年連続で1位を「江頭2:50」が獲得しているということである。

江頭2:50

よく漫才師や落語家は、「芸人は舞台で死ねたら本望だ」というようなことを言っている人がいるが、なんか嘘くさい感じがする。なんとなく伝わってこない。
それは、「江頭2:50」という芸人がいるからではないだろうか。
「めちゃめちゃイケてる」という番組の「単位上等!爆走数取団」というコーナーでは、江頭のキャッチコピーが「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であるように、舞台の上である程度決まった芸を披露する芸人の死よりも、どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦するという姿を、日本の男性は尊敬し、神と呼ばれる存在にまでなっているのである。

江頭2:50が登場するときには、布袋寅泰の「スリル」という曲が流れる。
江頭2:50のモットーは、「1クールのレギュラーよりも、1回の伝説」である。そのモットーを表しているかのように、江頭2:50の伝説は、数え切れないほどあると言っても良い。
その数え切れないほどの伝説があるため、
「Baby Baby Baby Baby Baby Baby Baby」
で始まる、一般人には理解できない歌詞の曲を、今ではもう「江頭2:50の曲」にしてしまい、この曲が流れると「江頭2:50」を連想させ、笑いが起こるという現象まで起こしてしまっているほど、江頭2:50という芸人は影響力があるのである。

では、そんなに影響力のある江頭2:50の伝説とは、どのようなものがあるのだろうか。
まず、その意味のわからない芸名の由来から、もう既に他の“芸”人とは違う。
デビュー当時は、「バッテン江頭」の芸名を名乗っていたが、夜中に酒を飲んで酔いが回ると必ずと言っていいほど、深夜2時50分以降に暴れ出し、ゲイキャラになることから江頭2:50と名付けられているのである。
そして芸風は、江頭本人は、「客を引かせることが何より楽しい」と語っていて、テレビでは“暴走キャラ”として知られ、「いきなり出演者に体当たりをする」「暴言を吐いたり説教を行う」「客席に飛び込む」「男女問わず出演者にキスを強制する」など暴れ回り、スタッフから「今日は生放送だから何もしないように」と言われると、それは芸人に対するフリだと解釈するなど、生放送とか収録番組だということは江頭には関係ないのではないのだろうかとも思わせる。
さらに江頭は、「警察は男の公然わいせつをもっと取り締まるべきだ。そうすれば、俺の仕事が増えるから!規制が緩くなると、逆に俺が伝説を作りづらくなる」という発言をしていたり、
番組の企画で、成人男性の平均的な塩の摂取量を遥かに超える量の塩を丸飲みしたり、ボトル3~4本分のワインを一気飲みしたりするなど、下手をすれば死にかねないような行為を後先考えずに実行したりする。
そして何か興味があることや、世間を賑わす事件やニュースなどが起こった場合には、自ら足を運ぶほどの現場主義であり、過去にはパナウェーブ研究所に変装をして無断で潜入したり、
公衆の面前で、性器・肛門等を露出することが日本よりも強く禁じられているトルコで、「ザ・道場破り!」という番組の企画で舞台に上がり、全裸でパフォーマンスをして、わいせつ物陳列罪の容疑で逮捕され、75円の罰金を払い釈放され、その後のトルコ国内の調査において、江頭は有名な日本人として「オノ・ヨーコ」に次ぐ第2位にランクインしていたり、
ラジオ出演であるにもかかわらず、福島県メスの鮭のつかみ取りに参加して、取った鮭に自分の性器を咥えさせたり、
「名門パープリン大学日本校」という番組のレギュラーになり、開始すぐに全裸になりライターで陰毛を燃やして、レギュラーになった番組を20分で降板させられたり、
「浅草橋ヤング洋品店」という番組で、ダンプカーの免許習得にチャレンジする企画があり、最終テストで駐車してある教官のベンツの真横にバックで駐車することに挑戦したが、結果は失敗してベンツは大破。そして後日、500万円以上の損害賠償金を請求されたり、
密かに入手した認可前のバイアグラ錠5錠を水割りと共に飲み干し、間もなくして卒倒して病院に搬送され、搬送先の病院で急性アルコール中毒と診断され、点滴治療を受けた。この事件は一般紙を含むメディアで大きく報道され、結果として厚生労働省によるバイアグラの認可が遅れたれたという逸話が残っていたり、
子供番組の「ポンキッキーズ」で下半身を露出したり、
「笑っていいとも!」に準レギュラー同然の扱いで出演していた時期があったが、ゲストの橋田壽賀子にキスをして降板させられたり、
北朝鮮に行って、江頭が当時流行していたテツandトモの「なんでだろう」の朝鮮語バージョンを披露すると、北朝鮮において「なんでだろう」は現体制を批判する禁句とされているため、江頭は危うく反乱分子として身柄を拘束・逮捕寸前となったり、
カタツムリ顔面のせという項目でギネス記録更新して申請したりしている。

まだまだこれ以外にも、むちゃくちゃなことをいっぱいしているのだが、実は江頭2:50は物凄く勉強熱心で真面目なのである。
江頭2:50は、芸風とは正反対に真面目で礼儀正しい常識人。非常に大人しくて腰が低い。共演者が無名の人や若手でも自ら挨拶に行く。
江頭の発言も名言が数多く存在し、
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察につかまってもいいし、寿命が縮まってもいい。」
「俺のライブに来てるやつらの顔を見てると、結婚はおろか、恋愛もまともにできないんじゃないかっていうような奴らばっかり。だけど、俺はそういう奴らのためにこそお笑いをやりたい。」
「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、たまに『死ね!』って言われるんだ。俺は言ってやりたいよ。こんな人生死んだも同然だってね」
「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれている人だっていつ死ぬか分からない。視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」
などの名言があったり、
大川興業で行われている本公演芝居では、テレビとは全く違った舞台役者としての江頭を見ることができたり、
3日に1度は映画館へ足を運び、ラジオで映画批評をやっていて、その映画批評は的を得ていると好評であったり、
どんな企画に対しても真面目に取り組んでいて、木村拓哉と剣道で勝負して木村拓哉に勝ってジャニーズファンの観客をシーンとさせたりするという真面目な一面も持っているため、日本の男性は尊敬し、神と呼ばれる存在にまでなっているのである。
だから影響力のあった芸人を選ぶ「嫌いな芸人ランキング」で、2001年から2010年まで、9年連続で1位を江頭2:50が獲得しているのである。

出川哲朗

この出川哲朗も「江頭2:50」のように、日経エンタテイメントが行っている「嫌いな芸人ランキング」では、毎年上位にランクインしていて、an.anという雑誌でも行っている「嫌いな芸人ランキング」では、2001年から2005年まで1位を獲得し続け、殿堂入りを果たしていて、更に同じくan.anが行っている「抱かれたくない男ランキング」でも1位に選ばれている。
つまり出川哲朗も、「江頭2:50」のように「嫌いな芸人ランキング」で、ランクインしているため、影響力があるタレントであるということは言うまでもない。

では出川哲朗という芸人は、なぜここまで影響力があるのだろうか。
まず、出川哲朗と比較される芸人は、ダチョウ倶楽部の「上島竜兵」である。
しかし、「上島竜兵」は「嫌いな芸人ランキング」や「抱かれたくない男ランキング」の上位にはランクインしない。
つまり単純に考えると、出川哲朗が比較されるべき芸人は、同じく「嫌いな芸人ランキング」や「抱かれたくない男ランキング」の上位に必ずランクインする「江頭2:50」と比較するべきなのではないのだろうか。
しかし現実には出川哲朗と比較される芸人は、ダチョウ倶楽部の「上島竜兵」である。
では出川哲朗が、「江頭2:50」と比較されないのはなぜだろうか。

「江頭2:50」についてもう一度述べておくと、
「江頭2:50」という芸人は、江頭のキャッチコピーが「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であるように、どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦するという姿が面白いため影響力がある芸人である。
だから「江頭2:50」という芸人は、神と呼ばれるほどの芸人なのである。
では出川哲朗という芸人は、どういう芸人なのだろうか。

まず、出川哲朗がバラエティー番組に出演しだしたのは、1990年4月から「ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA」に出演し出したのがきっかけで、それまでは「男はつらいよ」にも出演していた役者である。
しかし、「出川哲朗は演技が下手なわけではないのだが、何を演じたとしても出川哲朗になる」と、同じ劇団員である内村光良が語っている。
「ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA」に出演したのがきっかけで、その後、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出演して、ドッキリ企画などの際の立ち振る舞いや、リアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透しき、出川哲朗はリアクション芸人の地位を確立していったのである。

出川哲朗のモットーは「永遠の若手芸人」である。
そのモットーのように出川哲朗はいわゆる「汚れ役」をよく与えられる。
「進め!電波少年」の、番組特製のコンドームをエイズ予防の目的で、オーストラリア・シドニーのゲイ達に配布するという企画で、そのコンドームを渡した途端に、渡した相手が目の前でそれをつけ始め、すぐさま出川をマッチョな外人7人が取り囲み、お尻を奪われてしまったり、
同じく「進め!電波少年」で、映画「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギアのように、アメリカのコールガールを更生させる為に、モーテルの中でコールガールを説得するという企画で、英語がまともに話せず、不審に思ったコールガールが仲間のマフィアを呼んでしまい、そのまま拉致されてしまったりなどの汚れ役をよく与えられる。
しかし出川哲朗は、こんな汚れ役を与えられても必ず笑いが起こる。
それは出川哲朗という芸人は、超一流のリアクション芸人だからである。
出川哲朗という芸人は、自ら笑いを取りにいくということはない。
必ずその場の流れで汚れ役を与えられリアクションをするのである。
「島田紳助」は出川哲朗のことを、「トーク番組において盛り上がっている状況では、自分から出ていくことはせず、場の空気が沈みかけているところで自ら笑いを取っている」と出川の役割を解説し、「野球で言うたら2番バッターであり、試合(番組)を組み立てるには絶対に必要」と述べ、また、出川を元プロ野球選手の故木村拓也になぞらえ、「芸能界のユーティリティープレイヤー」であると高く評価している。
つまり、出川哲朗という芸人は、江頭2:50のように「どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦する」のではなく、
自分からは笑いを取るのではなく、場の空気が沈みかけているところで汚れ役を与えられ、超一流のリアクションをして、笑いを取っていく芸人なのである。

そして、「ダチョウ倶楽部」でも述べたようにダチョウ倶楽部は、
ダチョウ倶楽部のショートコントを、上手く状況に合わせて使ったリアクション芸があるために、トークもつっこみもできなくて、よくわからない人がいても、ダチョウ倶楽部が番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こると述べた。
つまり、この出川哲朗も流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であり、ダチョウ倶楽部も流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であるため、
出川哲朗は江頭2:50とは比較されず、ダチョウ倶楽部の上島竜兵と比較される芸人なのである。

しかし、出川哲朗もダチョウ倶楽部も、流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であるため、よく比較をされるが、出川哲朗とダチョウ倶楽部の流れに乗り笑いを取るリアクション芸は全く別のものである。

まず、ダチョウ倶楽部のリアクション芸についてもう一度述べておくと、
ダチョウ倶楽部のリアクション芸とは、その状況に応じたショートコントを披露して、面白くそのリアクションを際立たせるのがダチョウ倶楽部のリアクション芸である。
では出川哲朗が行うリアクション芸は、ダチョウ倶楽部が行うリアクション芸とはどのように違うのだろうか。

出川哲朗が汚れ役を貰うときには、必ず自信家を気取ることから始まる。
ケンカをするミニコントのような場面では、高校時代はヤンキーであったと気取り、当時のあだ名は「キレたナイフ」だったなどと言ってから、そのミニコントに参加したり、
武相高等学校の後輩に元プロ野球選手のパンチ佐藤がおり、テレビ番組で共演すると出川は、「パンチ、ジュース買って来いよ!!」などと先輩風を吹かせたり、
「ネプリーグ」などのクイズ番組や、「DOORS」のようなアトラクション系の番組に出演した際には、「俺はミスター○○(番組名)だよ!」などと豪語したりなど、汚れ役を貰うときには、必ず自信家を気取ることから始まるのである。
しかし結果は、「キレたナイフ」だったというと、共演者からは「“切れた”ナイフじゃ使い物にならないでしょ?」などとあしらわれたり、
パンチ佐藤に「パンチ、ジュース買って来いよ!!」などと先輩風を吹かせると、パンチ佐藤は硬式野球部出身だけど、出川は軟式野球部出身で、接点はほとんど無かったというエピソードを話されたり、
「DOORS」に出演した際、「俺はミスター○○(番組名)だよ!」などと豪語しようとすると、「俺はミスタードーナツだよ」と噛んでしまい、共演者につっこまれたりしてしまう。
このように出川哲朗は、必ず自信家を気取ることから始まるが、その自信とは裏目になにかしらの失敗をしてしまい、それを共演者につっこませて、どんな番組でも笑いを取ってくれる超一流のリアクション芸人なのである。

これを踏まえて、出川哲朗とダチョウ倶楽部とのリアクション芸とはどのように違うのかというと、ダチョウ倶楽部のリアクション芸は、その状況に応じたショートコントを披露して、上島竜兵がリアクションを披露して肥後 克広がつっこんで笑いを取る。
それに対して出川哲朗は、自信家を気取るがその自信とは裏目に、なにかしらの失敗をしてしまい、それに対するリアクションをして、それを共演者につっこませて笑いを取るのである。
つまり、ダチョウ倶楽部はトリオで笑いを取り、出川哲朗はどんな人にでもつっこませて笑いを取るのである。

出川哲朗はどんな人にでもつっこませるため、どんな人にでもいろいろといじられる。
だから出川哲朗のモットーが、「永遠の若手芸人」であるのは、「汚れ役」を与えられるから「永遠の若手芸人」だというわけではなく、このようにどんな人にでも、いろいろといじられるから「永遠の若手芸人」なのである。

そして出川哲朗は、どんな人にでもつっこませ、いろいろといじられるのは、自信家を気取るということ以外にもたくさん存在する。
それは前にも述べたように、「出川哲朗は演技が下手なわけではないのだが、何を演じたとしても出川哲朗になる」ということにある。
出川哲朗という芸人は、どんな人にでもいじられる芸人なのである。
つまり、芸人のときも役者のときでも、たとえプライベートであっても出川哲朗は、どんな人にでもいじられる芸人なのである。
そのため、2004年4月5日、元モデルの阿部瑠理子と結婚し、抱かれたくない&嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた時に、プロポーズの際には、「ロンドンハーツ」が協力して推定5000万円の制作費を費やして、イタリア・ローマ市内でロケーションが行なわれ、その一連の模様が全国ネットで放送された。その番組で視聴者を感動させるかに思ったが、妻へのプロポーズの際に、「あなたを心から愛ちていまちゅ。結婚ちてくだしゃい」と噛んでしまい、こんなときでも爆笑を取ってしまうのは、出川哲朗がどんな人にでもいじられる芸人だからなせる業であるわけだし、
多くの写真週刊誌・ゴシップ紙の恰好のターゲットとなっていて、出川本人はその事すらネタにしてしまっているのも、
結婚はしているが、セックスレスで、夫人の方から一方的に夜の営みを頑なに拒否されているという話も、
酒は飲まないものの打ち上げに参加する事は好きで、その場では好物のコーラを飲んでいるという姿がなんか面白いのも、
愛車はポルシェ・911カレラであるということがなぜか面白いのも、
手の小指の第一関節・第二関節だけを同時に90°曲げることができて、指折りで数える時は親指から順番に拳を開いていくという独特の数え方をするのがなぜか面白いのも、
偽ブログや、偽ツイッターが存在するというのも、出川哲朗という芸人は、どんな人にでもいじられる芸人だから面白いのである。

さらに出川哲朗は、非常に細かいところにまでリアクション芸というものにこだわり続けている。
リアクション中の顔を撮影するヘルメットに装着したCCDカメラの使い方について、「顔の正面ではなく、やや下の位置に着けて背景が映りやすいようにする」というものや、「状況を伝えるため、怖がりながら首を振って周囲の背景を映す」や「レンズに水滴や砂粒が付着しても、少量なら臨場感が伝わるので拭かない」などその状況に合わせたリアクションの方法を多数考えている。
だから出川哲朗という芸人は超一流のリアクション芸人なのである。

出川哲朗は、明石家さんまからも高い評価を受けており、さんまの番組内で、「出川ぐらいの二流の芸能人になれればいい」などと発言したタレント志望の一般人女性に対し、「アホ! 出川は一流や!」と叱り飛ばしたほどであるし、
とんねるずの木梨憲武からも「怖がりながら状況をトータルに把握して出来る芸人は少なく、まさにプロ」と賞賛されていたり、
ビートたけしやダウンタウン、ナインティナイン、同期のウッチャンナンチャンなどからの信頼も厚く、和田アキ子は「出川は気持ちが悪いと言われているけれど、性格もいいし、本当にいい奴」と述べているように、実際には芸人仲間やアーティストなど多くの芸能人から尊敬され、目上からも可愛がられているのである。

しかし出川哲朗は、これ以上は褒めてはいけない芸人である。
なぜなら出川哲朗には、レギュラー番組が1本もないからである。
どういうことなのかというと、このように大御所に褒められて、世間にも評価され毎週レギュラーで出演などしてしまうと、「どんな人にでもいじられる芸人」でなくなってしまうからである。
だから出川哲朗は、これ以上は褒めてはいけない芸人なのである。
つまり出川哲朗という芸人も、江頭2:50のように「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であり、決して一流にはなってはいけない超一流芸人なのである。

ブサイク芸人ランキング 1

吉本男前ランキングというものを前に書いたが、吉本男前ランキングを企画している、月刊誌「マンスリーよしもと」では、吉本男前ランキング以外にも、吉本興業に所属している男性お笑い芸人のブサイクを決める「吉本ブサイクランキング」というランキングも存在する。
この「吉本ブサイクランキング」も、吉本男前ランキングと同じく、吉本芸人限定のランキングではあるが、最近ではマスコミにも大きく紹介されていて、全国的にも知名度が上がっている。
吉本男前ランキングで1位になった芸人は、このランキングに選ばれたからといって、全国的に有名なお笑い芸人にはなっていないため、吉本男前ランキングはあまり影響力のあるランキングとは言えないと述べた。
では、「吉本ブサイクランキング」とはどうなのだろうか。

まず、2000年から「吉本ブサイクランキング」で1位になった芸人を調べていくと、
2000年~2002年 ほんこん(130R)
2003年~2005年 岩尾望(フットボールアワー)
2006年~2008年 山里亮太(南海キャンディーズ)
2009年、2010年 家城啓之(カリカ)
※ ほんこん、岩尾望、山里亮太の3人は3年連続で1位となり、殿堂入りとなっている。

吉本男前ランキングと同じように、「吉本ブサイクランキング」でもこの結果を踏まえて、1位になった芸人が全国的に有名になった時期を考えてみようと思う。
2000年~2002年に1位となった130Rのほんこんは、過去に「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演していたため、このとき既に全国的に有名なタレントとなっている。
2003年~2005年に1位になったフットボールアワーの岩尾望は、全国的に有名なタレントとなったのは、2003年のM-1グランプリで優勝してからではあるが、それ以前からフットボールアワーは、結成翌年の2000年ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を皮切りに、若手漫才師に与えられる数々の賞を総ナメにしていたため、岩尾望はブサイクであることは大阪では有名で、2000年から始まったこの「吉本ブサイクランキング」の、初代1位であるホンコンに次ぐ2位を岩尾望は毎年獲得していて、そのほんこんが殿堂入りとなったため、岩尾望がそのまま1位に繰り上がるというのは当然といえば当然である。
2006年~2008年に1位になった南海キャンディーズの山里亮太は、2004年M-1グランプリで2位を獲得して全国的に有名になってから、この「吉本ブサイクランキング」1位を獲得している。

ここまでは、吉本男前ランキングと同じように、「吉本ブサイクランキング」も、その時期に影響力のあった芸人が選ばれていると言って良いだろう。
しかし2009年からは、吉本男前ランキングではまず有り得なかった現象が、「吉本ブサイクランキング」では起こったのである。

それはカリカの家城啓之という芸人が、2009年と2010年に1位となったからである。
かなり失礼ではあるが、カリカの家城啓之という芸人の知名度が、全国的にあるとは決して言うことができない。
たしかに、カリカの家城啓之は「新すぃ日本語」という、2003年10月から2004年3月まで放送されていて、さまぁ~ずと、小林麻耶と武田鉄矢が出演していたバラエティ番組に、レギュラー出演していたという経験がある。
そのため、「吉本ブサイクランキング」で、2005年2位、2006年3位、2007年3位、2008年2位を取っていた。
それでも「新すぃ日本語」は、2004年3月まで放送されていた番組であり、その後のカリカはCSの番組にしか出演しているところを見たことがない。
にもかかわらず、5年後の2009年の「吉本ブサイクランキング」で1位を獲得し、更にそれは偶然などというものではなく、2010年でも1位を獲得したのである。
他に全国的に有名なブサイク芸人がいないということでは決してない。
なぜなら、吉田敬(ブラックマヨネーズ)、鈴木Q太郎(ハイキングウォーキング)、ガリガリガリクソン、高木晋哉(ジョイマン)、千原せいじ(千原兄弟)など有名なブサイク芸人はたくさんいる。
しかし1位はカリカの家城啓之なのである。
つまりこのカリカの家城啓之が、「吉本ブサイクランキング」の常識を打ち破ったのである。
では、このカリカの家城啓之が、どのようにして「吉本ブサイクランキング」の常識を打ち破ったのかということを考えてみよう。

と思ったのだが、このカリカの家城啓之がブサイクであるということ以外、全く理由がわからない。
つまり2009年から「吉本ブサイクランキング」は、知名度などは全く関係なく、本当にブサイクな芸人を選ぶランキングに変わったのである。
このように、知名度などは全く関係なく、本当にブサイクな芸人を選ぶランキングに変わってしまったのは、何かしらの流れがあるはずである。
カリカの家城啓之がブサイクであるということ以外、全く理由がわからないということは、もしかすると、このように本当にブサイクな芸人を選ぶランキングに変えてしまったのは、カリカの家城啓之の前に殿堂入りした、「南海キャンディーズの山里亮太」に流れが変わった原因があるのではないだろうか。

山里亮太

山里亮太は、“しずちゃん”こと山崎静代を相方にして、南海キャンディーズというコンビを組み、しずちゃんのキャラクターを上手く利用して、2004年M-1グランプリで2位を獲得して全国的に有名になった。
そして山里亮太は2006年~2008年に「吉本ブサイクランキング」の1位となり殿堂入りを果たした。

しかし、山里亮太は歴代の「吉本ブサイクランキング」の殿堂入りを果たした芸人とは違う部分がある。
それは、山里亮太という芸人は、本当に女性に気持ち悪がられているという部分である。
130Rのほんこんや、フットボールアワーの岩尾望などの芸人は、ブサイクだけどなんか可愛さがある、いわゆるキモ可愛い芸人である。
しかし山里亮太は、中野のキャバクラに行った際、キャバクラ嬢を口説いている様子(山里の行動から発言まで事細かく)を、キャバクラ嬢本人によって2ちゃんねるに実況されたり、
雑誌「an.an」で2007年の「嫌いな男ランキング」では、江頭2:50に次いで、第2位となっていたり、
私服のセンスが悪く、出演番組で共演者からしばしばネタにされ、「笑っていいとも!」では、様々な若手芸人と私服のダサさで対決するコーナーまで作られ、しかも無敗を守っていたり、
眼鏡を外した時は「変質者の顔」や「放送コードにひっかかる人相」などと言われていたり、
熱狂的なアイドルオタクであったりなど、気持ち悪がられてしまう要素がたくさんあるため、山里亮太という芸人は、本当に女性に気持ち悪がられているのである。

しかし山里亮太という芸人は、本当に女性に気持ち悪がられてはいるのだが、それすらも笑いに変えてしまうほど、お笑いの才能に満ち溢れている。
特に、自身をいじられたときのボキャブラリー豊富なつっこみが、それを表している。
そのつっこみがあるからこそ、中野のキャバクラ嬢を口説いている様子を細かく2ちゃんねるに実況されたとしても、嫌いな男ランキング2位になったとしても、私服のセンスの悪さを共演者からネタにされても、眼鏡を外した時は「変質者の顔」や「放送コードにひっかかる人相」などと言われても、熱狂的なアイドルオタクで気持ち悪がられてしまっても、ブサイク芸人ランキング1位になってしまっても、全部笑いに変えてしまうのである。
山里亮太は他にも、多数の芸人から賞賛されている。
島田洋七からは、ツッコミのボキャブラリーについて絶賛された。
島田紳助からは、「見た目気持ち悪いけど、能力イチオシ」と評された。「こいつは天才」とも言わしめた。
関根勤からは、「斬新なツッコミ」と評価を受けた。
M-1グランプリ2004年大会で、審査員のラサール石井から「ひとつもはずさない」とも評された。
雨上がり決死隊の宮迫からは、「あいつはお笑いの才能は物凄くある。でもあいつはお笑いの才能が無かったら死んでもいいような奴」とも言われている。

このように山里亮太は、多数の芸人から賞賛されている。
しかし、こんなに賞賛されている山里亮太であるが、なぜかあまりバラエティー番組で見かけることはあまりない。
こんなに賞賛されているのであれば、山里亮太をテレビで観ない日はないと言ってしまうくらい、バラエティー番組に出演していても良いのではないだろうか。
では、なぜこんなに賞賛されている山里亮太が、山里亮太をテレビで観ない日はないと言ってしまうくらい、バラエティー番組に出演していないのだろうか。

実は、山里亮太はテレビで観ない日はないと言ってしまうくらい、表舞台には立っているのである。
しかし、言い方は悪いがその表舞台全てが小さい表舞台なのである。
ラジオであったり、アイドルのイベントの司会であったり、クイズ番組の声のみの出演であったり全て小さい番組ばかりなのである。
実力のあるお笑い芸人なのであるからラジオであったり、アイドルのイベントの司会であったり、クイズ番組の声のみの出演などができるのではあるが、
実力のある芸人なのであれば、いろいろな番組に出演して全国的に実力を見せ付けながら、コアなファン向けにラジオ番組などをやり続けることによって、その芸人の本当の実力を見せ付けることができるのである。
しかしそれをやらないため、こんなに賞賛されている山里亮太が、あまりバラエティー番組で見かけることはあまりないのである。

ブサイク芸人ランキング 2

知名度などは全く関係なく、「吉本ブサイクランキング」が本当にブサイクな芸人を選ぶランキングに変わってしまったというのと、この「山里亮太」という芸人が、どのように関係しているのかというと、
それは「吉本男前ランキング」の1位よりも、更に「吉本ブサイクランキング」の1位のほうがお笑いの武器になるということが、「山里亮太」で証明されたということに関係しているのである。

130Rのほんこんや、フットボールアワーの岩尾望などの芸人は、ブサイクだけどなんか可愛さがあるいわゆるキモ可愛い芸人であるが、「山里亮太」は本当に気持ち悪がられているにもかかわらず、それを全て笑いに変えてしまう。
そんな姿を見て、“ある芸人達ファンの人達”が「吉本ブサイクランキング」でカリカの家城にこぞって投票していったのである。
その“ある芸人達のファンの人達”というのは、もちろん「達」が付いているためカリカのファンの人達だけではない。
“ある芸人達のファンの人達”というのは、カリカの同世代辺りの芸人達のファンの人達のことである。

カリカの同世代の芸人には、ニブンノゴ!、佐久間一行、POISON GIRL BAND、平成ノブシコブシ、Bコース、サカイス、こりゃめでてーな、犬の心、ガリットチュウ、ラフ・コントロール、井上マー、カナリア、ポテト少年団、他多数の実力があるとは言われているが、なかなか売れることができない芸人達がたくさんいる。
そしてこの世代の芸人のファンとは、この芸人達がなかなか売れないため時間が経ち、ファンになった当時は10代の若いファンで、「爆笑オンエアバトル」で述べた「若手お笑い芸人の成長していく姿を見るのが好きなお笑いファン」であったが、今ではもう少しお笑いについてわかってきている20代後半辺りの人達になっているのである。
そして、『その少しお笑いについてわかってきているファンの人達が、自分たちが「若手お笑い芸人の成長していく姿を見るのが好きなお笑いファン」としての目が間違っていなかったことを信じるために、「山里亮太」は本当に気持ち悪がられているのにもかかわらず、それを全て笑いに変えてしまうという現象を見て、「吉本ブサイクランキング」でカリカの家城に投票して1位になってもらい、そこからどんどん有名になっていけば、自分のファンであるなかなか売れない芸人も、注目されて有名になるのではないか』という現象が起きたため、
カリカの家城啓之が、「吉本ブサイクランキング」の、その時期に影響力のあった芸人が選ばれているという常識を打ち破ったのではないだろうか。

小島よしお 1

小島よしおは元々、「WAGE」という5人組で活動していた。
そのときの小島よしおは確か「マッスル担当」のような感じの意味のわからない芸風であった。
しかしWAGEは解散して小島よしおとしてピン活動し始め、2007年5月28日放送の「ぐるぐるナインティナイン」という番組内のコーナーである「おもしろ荘」という企画に、筋肉質な体を強調するようにブーメランパンツ一丁の姿で登場し、BGMのリズムに乗りながら、失敗した小話などを披露して、それに対し「でもそんなの関係ねぇ!」と言い、次に「おっぱっぴー」という言葉を言って、また次の小話を繰り返していくという芸がウケ、2007年度「ユーキャン新語・流行語大賞」に、「そんなの関係ねぇ!」と「おっぱっぴー」の2つが大賞候補60語にノミネートされ、このうち「そんなの関係ねぇ!」がトップ10を受賞した。
しかし、そのような輝ける賞などを受賞して、日本中の子ども達が小島よしおのマネをするくらいのブームを起こしたが、その年の2007年から「来年消えそうな芸人ランキング」に選ばれるようになる。

新語・流行語大賞

ユーキャン新語・流行語大賞とは、その年1年間に発生した「ことば」の中から、世相を軽妙に映し、多くの人々の話題に上った新語・流行語を選び、その「ことば」に関わった人物、団体を顕彰するとされている賞である。

では、この新語・流行語大賞はお笑い芸人にとって、どのような影響力があるのだろうか。
まず、新語・流行語大賞にノミネートされたお笑い芸人について調べてみると、
1981年には、チャーリー浜の「・・・じゃ、あーりませんか」(大賞)
1998年に、パイレーツの「だっちゅーの」(大賞)
2003年に、テツ&トモの「なんでだろう」(大賞)
同じく2003年に、ダンディ坂野の「ゲッツ」(ノミネート)
2004年には、波田陽区の「って言うじゃない・・・ 」「○○斬り!」「 残念!!」(トップ10入り)
2005年には、レーザーラモンHGの「フォー」(トップ10入り)
2007年には、「小島よしお」の「そんなの関係ねぇ!」「おっぱっぴー」(ノミネート)
2008年には、エド・はるみの「グー」(大賞)

この8組の芸人が、今までの新語・流行語大賞にノミネートされている。
しかしほとんどの芸人は、この賞にノミネートされて以降、テレビではほとんど見かけなくなってしまう。
それは当たり前の話で、ほとんどの芸人はその流行語を言うことでしかテレビに出演することはできないから、その言葉が飽きられていくと同時に、その芸人も飽きられてしまうからである。

小島よしお 2

このように、ユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされるほとんどの芸人は、その流行語を言うことでしかテレビに出演することはできないから、その言葉が飽きられていくと同時に、その芸人も飽きられてしまうということがわかった。
しかし、この小島よしおだけは、今でも多くのテレビ番組に出演していて、ブームの時のような勢いは全くないが、今では少し安定してきているようにも見える。
更に小島よしおは、2007年にユーキャン新語・流行語大賞にノミネートされてもいるが、その年の「消えそうな芸人ランキング」の1位にも選ばれるようになっているのである。
これは新語・流行語大賞にノミネートされている芸人であれば、その年に「来年消えそうな芸人ランキング」の1位も獲得するのは当然なのではあるが、
小島よしおの場合、この「来年消えそうな芸人ランキング」を3年も連続して1位を獲得しているのである。
つまり、来年には絶対一番消えそうな芸人だと思われているのに、それが3年も続いているのである。
では、なぜ3年連続で来年には絶対一番消えそうな芸人だと思われている芸人であるのに、「小島よしお」は、今でも多くのテレビ番組に出演しているのだろうか。

それは、「小島よしお」はもう、自分が一発屋であることを完全にネタにしてしまっている感じがするからではないだろうか。
現在はトーク番組が主流で、そのためお笑い芸人にはトークが重要視されているが、「小島よしお」はあまりトークができない。
トークができないということは、トーク番組には「小島よしお」は必要ないのでは?と思ってしまうが、「小島よしお」はそのトークができないことでさえも、自分が一発屋であることを使い、完全にネタにしてしまっているのである。
最近では、ネタ番組に出演するときにも、「そんなの関係ねぇ!」というネタとほとんど同じパターンで、「何の意味もない!」というネタを披露していて、そのネタも自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがするのである。
この「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ということをし続けたために、「小島よしお」はあまりトークができないのにもかかわらず、トーク番組が主流の今のテレビ業界で、多くのテレビ番組に出演しているのである。

ではなぜ「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」と、トークができない芸人であるにもかかわらず、多くのテレビ番組に出演できているのだろうか。
それはトーク番組には、「山里亮太」や「ブラックマヨネーズ」などの、出演してくれれば確実に笑いを作ってくれる芸人も重要ではあるが、「出川哲朗」や「ダチョウ倶楽部の上島竜兵」のように、司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人もとても重要だからである。
小島よしおは、「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ため、司会者もいじりやすい。
だから「小島よしお」は、「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ため、トーク番組に重要な、「出川哲朗」やダチョウ倶楽部の「上島竜兵」のように、司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人になりつつあるから、新語・流行語大賞にノミネートされて飽きられてしまって、トークもできない芸人であるにもかかわらず、今では多くのテレビ番組に出演できているのではないだろうか。

有吉弘行

このように、小島よしおは落ち目になりつつも、「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ため、トーク番組に重要な、「出川哲朗」やダチョウ倶楽部の「上島竜兵」のように、司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人になっていった。
そしてこの有吉弘行も、デビューしてまもなくブームを起こしたにもかかわらず、その後は完全にテレビから姿を消してはいるが、最近ではバラエティー番組には欠かすことのできない芸人になっている。
それは小島よしおのように、有吉も「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ということで、バラエティー番組に出演し出したからである。

しかし有吉弘行は、小島よしおのように司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人にはなっていない。
それは有吉弘行という芸人が、どのようにしてデビューしてまもなくブームを起こして、その後どうテレビから消えて、どのように這い上がってきたかということを考えてみると、有吉が小島よしおと同じように「自分が一発屋であることを、完全にネタにしてしまっている感じがする」ことでバラエティー番組に欠かすことのできない芸人となっているにもかかわらず、司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人にはなっていない理由がわかるのではないだろうか。

有吉弘行は、1994年に猿岩石としてコンビを組み、1996年4月、テレビ番組「進め!電波少年」という番組の世界をヒッチハイクして旅をするという企画でデビューし、人気が出て、「進め!電波少年」という番組自体もブームとなり、1996年10月に無事にロンドンにゴールし、帰国後はヒッチハイクの内実を記した書籍「猿岩石日記」がシリーズ累計で250万部のベストセラーとなり、その年の12月には秋元康のプロデュースでヒッチハイクを連想させるような曲である「白い雲のように」を発売し、これはミリオンセラーとなり、1997年の第39回日本レコード大賞の新人賞も受賞し、そのためテレビ番組などでも引っ張りだことなった。
しかしこのようなブームが続くはずもなく、一気に過去の人となってしまい、その後は「さまぁ~ず」や「くりぃむしちゅー」の流れに乗ろうとして「手裏剣トリオ」という芸名になったりまた猿岩石に戻ったりして、2004年3月に方向性の違いということで猿岩石は解散した。
そして、2007年8月23日放送の「アメトーーク!」という番組に、「一発屋芸人にならないための方法」を指南する役として有吉がゲスト出演し、そこで「世間が持っているイメージを知ることが大事」と解説した。
その話の流れで、有吉がひな壇に並ぶ他のゲストたちに、「世間が持っているイメージ」を、アドリブで直接伝えていくことになった。
その際に、品川庄司の品川祐に対して「人の話題に乗って笑いを取る」「自分の知っている知識を人に話さずにいられない」という芸風を揶揄して「おしゃべりクソ野郎」という「あだ名」を命名した。
この一連の流れが大きな笑いを誘い、その後他の番組でも品川祐に次ぐ「あだ名」を考えてもらうために、数々の番組に呼ばれるようになったため、再度ブレイクするようになったのである。

有吉がどのようなあだ名を付けていったかというと、
品川祐=おしゃべりクソ野郎、庄司智春=筋肉クソバカ野郎、宮迫博之=薄らハゲのくせにクソナルシスト男、蛍原徹=へらちょんぺ、岩尾望=生ゴミ、サバンナの高橋茂雄=もと子の旦那、矢野兵頭の矢野=ダミ声のボロ雑巾、矢野兵頭の兵頭=メスゴリラ、MEGUMI=おしゃべりオッパイ女、ワッキー=クソスベリ芸人、ペナルティーのヒデ=ヒデさん、夏川純=サバ、徳井義実=変態ニヤケ男、福田充徳=アブラムシ、ジャガー横田(夫婦)=夫婦ゲンカ、藤本敏史=ドロヘドロ、原西孝幸=ギャグヤリマン、DonDokoDonの平畠啓史=頑張ってください、ムーディ勝山=コミックソング、肥後克広=しぼりカス、寺門ジモン=ポリバケツ、上島竜兵=豚の死骸、タモリ=昼メガネ、千原せいじ=赤貝、千原ジュニア=屁理屈ガイコツ、宮川大輔=ペリカン野郎、なだぎ武=デブ専、ロバートの秋山竜次=ヘンなことやりたがりのクソボケ野郎、矢作兼=言い訳クソメガネ、狩野英孝=クソ煮込みうどん、髭男爵のひぐち君=三遊亭ショボ太郎、髭男爵の山田ルイ53世=蘇民祭、TKOの木下隆行=クソボケ松竹、TKOの木本武宏=浪人生、クールポコ=小っちゃいTIM、世界のナベアツ=滋賀の渡辺さん、misono=エロみっともない、鳥居みゆき=ラリパッパ、小島よしお=すべりコンベア、ベッキー=元気の押し売り、関根勤=説明ジジイ、出川哲朗=ヘルニア崩れ、 バッファロー吾郎の木村昭浩=カラッポ1号、サンドウィッチマンの伊達みきお=田舎のポン引き、サンドウィッチマンの富沢たけし=哀しきモンスター、博多華丸・大吉の華丸=無駄におしゃれ、博多華丸・大吉の大吉=病み上がり、土田晃之=理屈しゃくれ、ますだおかだ増田英彦=丸出し神経質、ますだおかだの岡田圭右=チャラすべり、ネプチューンの原田泰造=浮気ゴリラ、井上和香=くちびるオバケ、やくみつる=皮肉屋、三村マサカズ=ポンコツ人間、大竹一樹=変態エロメガネ、内村光良=白メガネ、太田光=クソ馬鹿野郎、デンジャラスのノッチ=取り柄なし人間、中山秀征=バブルの生き残り、次長課長の河本準一=ソフトSEX、井上聡=マヌケ野郎、関根麻里=眉毛たまご、板東英二=野球崩れ、アンガールズの田中卓志=メリケン粉、アンガールズの山根良顕=ミイラのゾンビ、カンニング竹山=ブタめがね野郎、松村邦洋=KY糞ダルマ、柳原可奈子=豚くらげ、バナナマンの日村勇紀=豚くらげ、バナナマンの設楽統=放火魔、ザ・たっち=ふたご、だいたひかる=被害者面、たむらけんじ・亀田興毅=謝罪コンビ、ココリコの田中直樹=ネクララクダ、ハイヒールモモコ=シャネルつぶし、小川菜摘=極道の嫁、藤井隆=そつのないオカマ、山里亮太=汁男優、しずちゃん=モンスターヴァージン、アジアンの隅田美保=人食いカマキリ、ホンコン=陥没骨折、山崎邦正=実力不足、おすぎ=泥人形、ピーコ=ファッションおじさん、DAIGO=バカ手袋、高畑淳子=妄想スケベ地獄、久本雅美=妖怪サミチクビ、大竹まこと=巣鴨の看守、光浦靖子=おかめちんこ、オール巨人=ゴルフ馬鹿、陣内智則=売名行為、草なぎ剛=地デジです。
このような「あだ名」を付けていったのである。

では、この「あだ名」とはどのようなものなのだろうか。
この「あだ名」の面白さとは、実はもう既に「島田紳助」で述べている。
『紳助のつっこみは完璧にその人の的を得ていることを言う。しかし的を得すぎていて視聴者には毒舌だと言われてしまっているのである。
しかし、それが芸能人の場合、的を得ていてくれたほうが言い返しやすいのである。中途半端に話を振られても、それに言い返すことは難しい。
だから紳助のように、完璧に的を得ていてくれたほうが、言い返しやすいのである。特に芸人や磯野貴理のようなバラエティーに出るタレントには凄くありがたいことなのである。』と述べた。
つまり有吉弘行という芸人が、数々の番組に呼ばれるようになり、再度ブレイクするようになったのは、一度はブレイクして一気に落ちているため、なんでもわかっているという感じがしている状態で登場して、今活躍している芸能人たちに対して、その芸能人たちが言い返しやすく的を得ている特徴に更にユーモアを交えた「あだ名」を次々と披露していったからである。

オリエンタルラジオ 1

「小島よしお」と「有吉弘行」は、なんでもわかっているという感じがしている状態で登場し、司会者にいじられて確実に笑いを取る芸人になったり、芸能人たちが言い返しやすく的を得ている特徴に更にユーモアを交えた「あだ名」を次々と披露していき、今の安定した地位を築き上げていった。
それでは、2000年代に起きた「お笑いブーム」で、一番のブームを起こしたと言っても良いほどブレイクした「オリエンタルラジオ」について考えてみようと思う。

まずオリエンタルラジオがどのようにして売れていったのかというと、中田敦彦と藤森慎吾の2人で吉本の芸人養成所であるNSCに2004年に入学し、すぐに本領を発揮してその年の「M‐1グランプリ」に出場し、オリエンタルラジオの代名詞である「武勇伝」というネタで準決勝まで進出している。
これは非常に稀なことであり、未だかつてNSCに入学したときに準決勝に進出した芸人は、オリエンタルラジオ以外未だに存在していない。
そのためオリエンタルラジオはすぐに注目され、NSC生はNSCを卒業するまでテレビ番組には出演出来ないという暗黙のルールのようなものがあったが、その暗黙のルールを打ち破り「武勇伝」で、TBSで放送されていたオーディション番組である「ゲンセキ」に出演して話題となり、そこから「エンタの神様」などの人気番組に出演して大ブレイクを果たしたのである。

では、NSCの暗黙のルールをも打ち破り、オリエンタルラジオの名前を轟かせるきっかけとなった「武勇伝」とはどのようなネタなのだろうか。
「武勇伝」とは、お笑いブームの流れに乗っかって有名になろうと考え出されたネタであると中田敦彦は語っている。
流れに乗っかって有名になるために中田敦彦は、お笑いブームの流れをしっかりと読み、今までにお笑いブームに乗っかって落ちていった芸人たちのネタを研究していったため、キャラクターやフレーズに頼らないでわかりやすいネタを作ることができたのだろう。
そのため武勇伝とは、なにかのキャラクターを作ったネタなどではなく、「なんでだろう」のようにフレーズを強調したネタのせいで、ネタの幅を広く展開できないネタでもない。
つまり「武勇伝」というネタは、キャラクターを必要とはせず、どのようなネタであっても「武勇伝」と言えてしまうようなフレーズを選んだため、ネタの幅を広く展開できて、それをリズムに乗せて披露していったため視聴者にはわかりやすい、考えつくされたネタなのである。

このようにお笑いブームの流れに乗っかって、有名になろうと考え出された武勇伝でブレイクしたため、オリエンタルラジオは破竹の勢いで人気となっていき、「ゲンセキ」という番組で選ばれた芸人10組で行われたコント番組である「10カラット」にも出演し、2005年11月28日にCSファンダンゴTVやインターネットで放送されていた「ヨシモト∞」という番組のMCとなり、過去最速とも言われている芸暦1年目にして初の冠番組を持ち、ここからオリエンタルラジオは2007年7月1日まで仕事がない日は無くなる。なぜならこの「ヨシモト∞」という番組は、夕方の4時から6時30分くらいまで、365日毎日生放送していた番組だったからである。
更に様々なテレビ番組に出演しながら、ニッポン放送で2006年4月7日からオリエンタルラジオがパーソナリティーを務める「オリエンタルラジオのオールナイトニッポンR」がスタートし更に多忙を極める。
オリエンタルラジオの勢いはまだまだ止まらず、2006年10月からレギュラーとなった「笑っていいとも!」を皮切りに、「オビラジR」が2006年10月2日にスタートし、「オリキュン」が2006年10月18日、「週間オリラジ経済白書」が2007年4月17日、「ドッカ~ン!」が2007年4月21日にスタートし、日本テレビで毎年開催されている「全国高等学校クイズ選手権」のパーソナリティーなど、芸暦3年目にしてゴールデンの時間帯の番組が3本、深夜番組のレギュラーが2本、ラジオが1本、CSが1本の計7本のレギュラー番組を持つことになった。
更にCMでは、「進研ゼミ中学講座」や「ピザーラ」などにも出演するほどのブームを起こしたのである。

しかし、「オリキュン」「週間オリラジ経済白書」「ドッカ~ン!」などの番組では、全て台本通りの番組でオリエンタルラジオの個性を全く伝えることができなかったり、藤森慎吾のつっこみや仕切りがまだ未熟であったりなどのことが目立ったため、2007年3月には「笑っていいとも!」以外のレギュラーが全て無くなり、一気に墜ちて行ってしまったのである。

しかし、一時期はほとんど見かけなくなってはいたが、最近のテレビ番組では結構見かけることがある。
それはやはり中田敦彦に能力があるからだろう。
「ジョジョの奇妙な物語」「エヴァンゲリオン」「自転車」などの趣味を活かしていろいろな番組に出演したり、「中学の時イケてない芸人」ということで「アメトーーク!」に出演したり、慶應義塾大学経済学部卒という学歴を活かしてクイズ番組に出演したりなどもできるため、最近のテレビ番組では結構見かけることがあるのだ。
更に実は中田敦彦のトークは面白い。
人気があったときの中田は、全て台本通りの番組だったため、個性を全く伝えることができなかった。
しかしフリートークのできる「ヨシモト∞」や「オリエンタルラジオのオールナイトニッポンR」では、ほとんど中田一人で笑いをどんどん取っていっていて、若い女性だけではなく男性も結構視聴していたほど中田のトークには注目されていた。
他にも「人志松本のすべらない話」にも出演していたり、「小島よしお」や「有吉弘行」のように、一発屋であるということも上手くトークにアドリブで入れたりなど、面白さにも定評が出てきた。
だからこの中田敦彦は、あとはこの面白さを世間に定着させるだけなのである。
しかし、これ以上は無いのである。
これからのトークはもっと面白くなってはいくはずなのではあるが、「有吉弘行」のように再ブレイクする決定打が無い気がするのである。

つまり、藤森慎吾が今後のオリエンタルラジオの運命を左右するといっても良いだろう。
だから藤森慎吾についても考えてみようと思う。
まず、人気があったときの藤森が、つっこみが出来ていないなどの評価を受けることは当然である。
なぜならボケ役はその芸人のセンスだけが問われるが、つっこみは経験と努力によって上手くなっていくものなのである。
「島田紳助」でも述べたように、お笑いで一番難しいものは喋りの「間」である。
芸暦も浅いのに、芸人がボケてきたらそれにつっこむというのは、その芸人をよく知らないと出来ないことであるし、どの間でつっこめば面白くなるかなんて3年目でわかるはずが無い。しかもそれに加えて司会もしなくてはいけない。
だから藤森のつっこみが出来ていないなどの評価を受けることは当然なのである。
そのため今オリエンタルラジオは、舞台や漫才ツアーなどもやっていて、藤森にいろいろな経験させていて、これからつっこみがどうなるのかが楽しみである。

しかし、今の藤森慎吾の芸風には問題があると思う。
このままのキャラではブームのきっかけを作ることは出来ないのではないかと思ってしまうのである。
藤森の今の芸風は「チャラ男」である。
クラブの常連で顔パスで入場できるとか、お酒を飲むときのコールとかを披露して最近テレビに出ることがある。
しかし、この女遊びが激しいチャラ男というキャラクターであると、藤森慎吾は男前ランキングにランクインするほどのイケメンであるから、女性は引いてしまい、男は嫉妬をしてしまうのである。
それを実証するのが、「ロンドンハーツ」のマジックメールという企画で、田村淳が女性に成りすまして藤森を誘うメールを送るという内容が放送され、通常ではそれに乗ってきた芸人に罰を与えるはずなのに、藤森を誘うようなメールを送るシーンだけが放送され、罰を与えられないまま放送が終了した(実際に藤森が罰を与えられるシーンの放送は次週だった)ため、藤森がその女性と関係を持ってしまったというありもしない事をインターネットの記事にされてしまったのである。
こんなことはよく考えればウソだとわかる話で、その後はその女性と関係を持ってしまったなんて内容のものを、最初に放送するわけが無い。
しかしこれは、今の女遊びが激しいチャラ男だというキャラクターのせいで、女性には引かれて、男には嫌われているため、このようなありもしない記事が勝手に書かれてしまうのである。

だからこのように、女性には引かれて、男には嫌われるキャラクターではダメなのでは?と思うのだが、このキャラクターが上手く化けるかもしれないということを考えると断言はできない。
しかし、これからの「オリエンタルラジオ」がまた再ブレイクするのは、この藤森慎吾にかかっていることは間違いない。それに注目したい。

なぜなら、一度は落ちた芸人が、また這い上がってくるときには革命が起こるからである。
小島よしおは、一発屋芸人は1年くらいしか持たないという常識をくつがえしているし、
有吉弘行は、今までタブーのように扱われてきた毒舌というものを、出演者や視聴者から求められるようにもなった。
このように今では考えられなかったことが、一度は落ちた芸人が変えるかもしれないのである。
その可能性が一番あるのが「オリエンタルラジオ」なのではないだろうか。

子供に見せたくない番組ランキング

この「子供に見せたくない番組」とは、健全な青少年の育成を目指す、日本PTA全国協議会が独自に、毎年小学5年生・中2年生およびその保護者に対し「テレビ番組に関する小中学生と親の意識調査」と称するアンケートを行い、テレビ番組についてランキング形式で紹介しているものである。

しかし、この「子供に見せたくない番組ランキング」に選ばれた番組にとって、このランキングに選ばれたという事は非常に名誉なことである。
それは、歴代の「子供に見せたくない番組ランキング」で、上位に選ばれている番組は、全て芸能界の伝説となっている番組だからである。
ではどのような番組が、伝説の番組を選ぶランキングに選ばれているのかを調べてみようと思う。

2008年子供に見せたくない番組
1位ロンドンハーツ、2位めちゃめちゃイケてる、3位クレヨンしんちゃん
4位エンタの神様、5位志村けんのバカ殿様、6位はねるのとびら
7位リンカーン、8位ライフ、9位ヘキサゴン、10位ガキの使い
という結果が出ている。
過去の子供に見せたくない番組に選ばれた番組には、
「8時だョ!全員集合」、「オレたちひょうきん族」、「ダウンタウンのごっつええ感じ」
などがある。このように「子供に見せたくない番組ランキング」には、伝説として残るバラエティー番組が選ばれているのである。

しかしこの「子供に見せたくない番組ランキング」のアンケートとは、実はメディアを悪用していると言って良いほど、子供に見せたくないアンケートなのである。
このようなアンケートを取る場合、より正確なデータを取るためには見せたくない番組を答えてもらい、それからその番組を選んだ理由について聞かなくてはいけない。
しかしこのアンケートは設問方式になっていて、最初は子供に見せたくない番組があるかどうかの質問があり、
その次に子供に見せたいランキングに選ばれるような、世界一受けたい授業、ダーウィンが来た!、週刊こどもニュースなどの教養番組の中に、批判を受けやすいロンドンハーツなどのバラエティー番組が選択肢として書いてあり、その中から1つ選ぶか、または「その他」の番組として自由記述を選ぶようになっている。
つまり、バラエティー番組が目立つように選択肢として書かれているのである。
そして次に、その番組を選んだ理由として、最初から用意された11の項目、もしくは、「その他」の理由として自由記述を書くかを選ぶようになっている。その11の項目とは、
「残酷な場面が多い」「言葉遣いが乱暴」「物を粗末にしている」「エッチな場面が多い」「いじめや偏見を助長する場面が多い」「人権擁護の配慮が足りない場面が多い」「生命を軽んじる場面が多い」「常識やモラルを極端に逸脱している」「出演者に好感が持てない」「内容がばかばかしい」「夢がない」という11項目である。
これらの11項目の内容を考えてみると、これらは全てバラエティー番組に対してよくされる批判である。
つまりこの質問でも、バラエティー番組を批判するための人だけに作られていて、例えばワイドショーを選ぶときには、嫌いな番組なのに番組名を思い出し、嫌いな番組の嫌なところを考えるという面倒くさい作業を行わなくてはいけないのである。

更に、このランキングで1位になっている番組は、国民のほとんどが思っているというように報道されているが、実際はアンケートの中での割合は3.5%の人が嫌いな番組があると思っているだけなのである。
実は「子供見せたくない番組はない」と答えている人は70%近くいるのだ。
こんなにバラエティー番組を批判するための人だけに作られているアンケートなのにもかかわらず、「子供見せたくない番組はない」と答えている人は7割である。
それを報道では全国民が思っている。そう思ってないとおかしいという報道をしているのである。

更に、バラエティー番組を選んでいる人であっても、その番組に対しては想像の範囲内でしか、その番組について考えずに、実際にはほとんど観たことがないはずである。
なぜ、そのようなことがわかるのかというと、それは「子供に見せたくない番組」であるのなら、それを選んだ親は子供が一緒に住んでいる場所で、その「子供に見せたくない番組」を一緒に観ているはずがないからである。
だからその番組を観ていないのであれば、その番組の想像の範囲内でしか考えずに選ぶしか方法はないのである。

そして、ある「子供に見せたくない番組ランキング」の常連番組が、この「子供に見せたくない番組ランキング」に対しての答えなのではないかという内容のものを放送している。
その番組とは、バラエティー番組ではないのであるが、今でも放送され続けている国民的ギャグ漫画の「クレヨンしんちゃん」である。
それは、1994年1月31日第83回248話「オラはエンピツしんちゃんだゾ」・249話「テレビの口まねだゾ」でこのような内容のものが放送された。
テレビで「エンピツしんちゃん」というアニメが始まり、園児たちの間で爆発的な人気となる。そのキャラクターは下品極まりなく、親にしてみれば「子供に見せたくない番組」であった。
しんのすけの母・みさえも「エンピツしんちゃん」が放送される時間になると、しんのすけにテレビを見せたくないため、外食に誘うようになる。
だが父・ひろしは「そんなに神経質になることないんじゃない?」と言う。
みさえは「ダメよ。あんな喋り方をしていたら、いったいどんな人間になっちゃうのかわからない」と反論する。
それに対しひろしは、「でもさ、俺たちさ、大人になっても『シェー!』とか『アッと驚くタメゴロー』だの言っているか?」

というものが放送されたのである。
これでわかるように、大人が思っているほど子供はバカではないのだ。
つまり大人になっても、『シェー!』とか『アッと驚くタメゴロー』だの言わないのであるから、親の勝手な考えで子供の行動を規制するのではなく、どんなことでも子供自身で良いものと悪いものを区別させ、間違っているところは指摘してあげれば良いのではないだろうかと思う。
このように「子供に見せたくない番組」を選ぶ人は、批判などせずに自らが正しい情報を調べ、みんなで考えて、それを教えてあげれば良いのではないだろうか。

しかし実際にはテレビを観ていて、実はこっちの方が本当に「子供に見せたくない番組」だと思うことも実は結構ある。
だから自分なりに、「本当に子供に見せたくないと思う番組」というものを考えてみた。

「本当に子供に見せたくないと思う番組」
・フジテレビの午後1時30分からやっているドラマ
理由:こんな歪んだ性格の人間達の物語を楽しむ人がいるということを、子供に教えたくない。
・朝の10時くらいにやっている主婦の愚痴を再現ドラマで紹介する番組
理由:子供が人間不信になる。
・サスペンス系のドラマやアニメ
理由:ほとんどの場合、安易な考えで人が殺されていて、それを解決する事を楽しんでめでたしめでたしみたいな物語がほとんどで、人の命が軽く考えられている。
・24時間テレビ
理由:健常者と障害者の間に分厚い壁がある。
・ダイエット器具の通販
理由:成長期にダイエットなどという事を覚えさせて、成長の妨げにならないようにするため。
・全力坂
理由:下品な言葉やHな言葉などは、なんとか説明できる気はするが、坂を走る女性だけを映すというフェティシズムを説明できる気がしない。
・徹子の部屋
理由:黒柳徹子のトークを真似させてはいけない。あのトークは黒柳徹子だからできるのである。
・週間テレビ批評
理由:朝の5時にテレビ番組を批評してグッズを貰っている変わった人にはなって欲しくない。
・国会中継
理由:あんなレベルの低いガヤをするだけがこの国の偉い人達なんだと思ってしまい、これからの日本は大丈夫なのか?という不安を、幼いうちに抱えながら成長して欲しくはない。
・ワイドショーやニュース番組
理由:情報の一部だけを切り取り、それが全てだと紹介する正義の仮面を被った悪魔である場合があるから。

この自分なりに考えた、「本当に子供に見せたくないと思う番組」を読んでみてどう思っただろうか?
『どんなことでも子供自身で良いものと悪いものを区別させ、間違っているところは指摘してあげれば良いのではないか』とは思わなかっただろうか。
だからこのように、「子供に見せたくない番組ランキング」を選ぶ人は批判などせずに自らが正しい情報をしっかりと調べ、みんなで考えて、教えてあげれば良いのではないだろうか。

視聴率ランキング

子供に見せたくない番組もあるが、こんなにつまらない番組であるにもかかわらず、なんでこんなに世間では人気があるの?と思ってしまう番組もある。
そこで、なんとなく観てしまうのが「視聴率ランキング」である。
そもそも視聴率とは、テレビ所有世帯にモニターを設置したテレビに接続してもらい、その専用の機器から得られるデータを基に、そのうち放送されているテレビ番組を何パーセントの人が視聴したかを表す推定値である。
視聴率というものを調査する意義は、大きく分けて3つある。
・各種番組の視聴率から、国民の関心の高さを探る。
・視聴率の移り変わりから社会の動きを知る。
・テレビの媒体力や広告効果のひとつの指標として提示することで利用スポンサーに対して広告料をもらう根拠とできるといったものがある。

しかしこの意義は、視聴率調査にはある問題があるため、意義とは反する結果となってしまうのではないだろうか。
その視聴率調査の問題とは、本当に観たいテレビ番組は録画をするということである。
もし同じ時間帯に、観たいテレビ番組が2つ以上あるとしたら、必ず録画をするのはその2つの観たいテレビ番組の中でも絶対に観ておきたい番組のほうを録画するはずである。
なぜなら、その時間帯にCMなどを挟みながら観るよりも、後でゆっくりとCMなどは飛ばして観たほうが、その絶対に観ておきたい番組をより楽しむことができるからである。
だから視聴率というものを調査する意義である、「各種番組の視聴率から、国民の関心の高さを探る」というのも誤差が生じるはずである。
ということは、「視聴率の移り変わりから社会の動きを知る」ということも「テレビの媒体力や広告効果のひとつの指標として提示することで利用スポンサーに対して広告料をもらう根拠とできるといったものがある」ということも、全て多少なりとも誤差が生じているため、視聴率調査には問題があるのではないだろうか。

更に他にも視聴率には問題がある。
それは日本人だから起こってしまう問題である。
その問題とは、テレビに接続した視聴率を計る機械を設置した世帯は、NHKの番組を観る確率が多くなるということである。
なぜかなんとなく人は、誰に見られているわけでもないのに見栄を張ってしまっている生き物である。
以前は、ある雑誌が今までで一番面白いと思った番組ランキングというアンケートを取ったところ、1位が「報道ステーション」だったということがあったらしい。
このように、誰に見られているわけでもないのに見栄を張ってしまう生き物なのである。
だから、テレビに接続した視聴率を計る機械を設置した世帯は、教養のある番組を放送することが多いというイメージで、NHKを誰に見られているわけでもないのに、見栄を張って観る確率が多くなるということがあるらしいのである。

クイズ番組ブーム

「視聴率」で述べたように、『テレビに接続した視聴率を計る機械を設置した世帯は、なんとなく教養のある番組を放送することが多いというイメージで、NHKを誰に見られているわけでもないのに、見栄を張って観る確率が多くなるということがある』ということを述べた。
すると、なぜクイズ番組ブームが起こるのかということがわかる。

2008年頃に起きたクイズ番組ブームでは、同じ日に違うクイズ番組で同じ問題が出ていたほどのブームが起きた。
ではまず、なぜクイズ番組ブームが起こるのかということを、雑誌の記事でよく書かれていることについてから考えてみようと思う。
そういう記事には、クイズ番組ブームが起きるのは、クイズ番組を作るときの制作費が安いからということがよく書かれている。
確かにクイズ番組には新しいセットなどは要らず、毎回同じセットで問題を用意してゲストを呼べばいいだけである。
しかしそれは結果論である。
どんなに制作費が安かったとしても、視聴率が取れなかったらクイズ番組ブームなんてことにはなるはずがない。
だからこのような記事が書いてある雑誌は、芸能界の「金」に興味がある読者向けに書かれている記事なのである。その証拠に、必ずと言っていいほど島田紳助のギャラについての事も書かれている。

では、なぜクイズ番組ブームが起こるのかというと、それを考えるには、クイズ番組をやると視聴率がなぜ多く取れるのかということを考える必要がある。
それは、最初にも述べたように『テレビに接続した視聴率を計る機械を設置した世帯は、教養のある番組を放送することが多いというイメージで、NHKを誰に見られているわけでもないのに見栄を張って観る確率が多くなるということがある』ということでわかる。

とにかく人は見栄を張りたいのである。特に親は子供に見栄を張りたい。
そんな時に役に立つのが「クイズ番組」なのである。
「クイズ番組」で出される問題に対して正解すれば、「パパすごい!」と言ってもらえるし、「クイズ番組」では下ネタが放送されることもないため、子供に下ネタの意味を聞かれて困る心配もない。
だから何も気にすることなく、見栄を張ることにだけ集中できる番組が「クイズ番組」なのである。
つまり「クイズ番組ブーム」とは、親が見栄を張ることにだけ集中できる番組だからこそ、確実に視聴率が取れて、しかも新しいセットなど要らず、毎回同じセットで問題を用意してゲストを呼べばいいだけで制作費が安いから起こることなのではないだろうか。

ランキングまとめ

ランキングについてもう一度考え直してみると、
男前として褒められたとしても、一番ブサイクな芸人になったとしても、しっかりと世間のイメージを把握し、そのイメージからどのように笑いを取っていくのかが、これからの芸能界では生き残ることができるのかということを考えていくと、たとえ世間からの評価は、マイナスのイメージだったとしても、芸能界では生き残ることができるのかもしれないということがわかった。

このことがわかると、「島田紳助」で述べたように、なぜ若い女性向けに笑いを取りにいってはいけないのかということが更によくわかってきた。
では、なぜ若い女性向けに笑いを取りに行ってはいけないのかというと、「吉本男前ランキング」でも述べたが、チュートリアルが2006年末に「M-1グランプリ」のチャンピオンになり、全国的に有名になった後に、「福田充徳」が吉本男前ランキングで、2008年 5位、2009年 6位、2010年 15位
という成績を収めてしまっているから、若い女性向けに笑いを取りに行ってはいけないということがわかるのである。

チュートリアルというコンビが、なぜ今でも「いいとも!」、「しゃべくり007」、「深いイイ話」などの人気番組のレギュラーを獲得しているのかというと、それは確実に徳井義実が「吉本男前ランキング」で1位を獲得しているのにもかかわらず、実は変態だというキャラクターで笑いを取っていく芸人であるから、女性でも男性にでも「チュートリアルの徳井義実」という芸人が覚えられているからである。

しかし、その徳井義実の相方である「福田充徳」はどうだろうか。
「福田充徳」という芸人は、「チュートリアルの相方のほう」のようなイメージでしかないのではないだろうか。

でも実は、チュートリアルの若い女性ファンには気が付かないだろうが、そんな今の状況を回避する手段が過去にはあったのだ。
その手段とは、2008年の男前ランキングで「福田充徳」に投票などするのではなく、ファン全員で力を合わせてブサイク芸人ランキングのほうに「福田充徳」を投票して1位を獲得させれば良かっただけなのである。
今の「福田充徳」には、トーク番組などに出演しても「いつも一人で酒を飲み歩いている」というイメージしか視聴者は覚えていない。
しかし、ここにもし「吉本ブサイクランキング1位」という肩書きがあるとすると、
『チュートリアルは吉本男前ランキング1位の徳井義実と、吉本ブサイクランキング1位の福田充徳とのコンビで2006年にはM-1グランプリで1位を獲得した』という物凄くお互いに視聴者には覚えられやすいキャラクターと、実力のあるコンビとして売り出すことが出来たのである。
そして更に、福田充徳のいつも一人で飲み歩いているというキャラクターも、ブサイクランキング1位にさえなっていれば、よりそのキャラクターも引き立たせることが出来たのではないだろうか。

しかし現実には、福田充徳は男前芸人ランキングでは、
2008年 5位、2009年 6位、2010年 15位である。
それでもチュートリアルが、今でも多くのバラエティー番組に出演しているのは、もちろん徳井義実の実力なのではあるが、実は福田充徳が吉本男前ランキングに選ばれるようになってしまったのも、徳井義実に原因があるのだ。
しかしそれは仕方がない事なのである。

2006年のM‐1グランプリで、今までに無かった審査員の意見が全員一致したため、完全優勝という快挙を成し遂げてから、チュートリアルは数多くのバラエティー番組に出演してきた。
しかしそのため、あまりお笑いをしらない若い女性も、徳井義実のルックスの良さで“チュートリアルの徳井義実”のファンとなり、その後に行われた「吉本男前ランキング」で、本当は徳井義実に投票したいが、徳井は既に殿堂入りとなっているため、投票することができないから、その隣にいた福田充徳に投票しようという安易な考えで、福田充徳が吉本男前ランキングで、
2008年 5位、2009年 6位、2010年 15位
という結果を生み出してしまったのである。

どうすればこうはならなかっただろうかということを考えたとしても、一生その答えは出ないであろう。
つまりこのようなケースは仕方がないことなのである。
しかし、このようなことが起こってしまったということを事前にわかってさえいれば、なにか少しでも変わることがあるのではないだろうか。

コント番組の歴史

次は、コント番組の歴史について考えてみようと思う。
コント番組の始まりは、1968年にコント55号の人気に伴い、フジテレビで公開録画形式の「コント55号の世界は笑う」という番組が7月13日の土曜日の夜8時という時間帯で始まり、コント番組というスタイルが誕生した。
しかしその翌年の、1969年10月4日にTBSでドリフターズによる「8時だョ!全員集合」を、同じく土曜日の8時にスタートさせ人気となり、結果として「コント55号の世界は笑う」を終了させ、「8時だョ!全員集合」は16年続く伝説の番組となった。
コント55号は、番組が終わった5年後の1975年4月5日土曜日の8時に、フジテレビで「欽ちゃんのドンとやってみよう!」をスタートさせ巻き返しに図るが、結局は「8時だョ!全員集合」が更に人気になり、1980年に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」も終了した。
そして、そんなに人気のあった「8時だョ!全員集合」ではあったが、1980年になってから空前の漫才ブームが起こり、その流れで誕生した「オレたちひょうきん族」が、1981年土曜日の8時からフジテレビで始まって大人気となり、1985年に16年続く「8時だョ!全員集合」を終了させる形となった。
しかしそんな「オレたちひょうきん族」にも陰りが見え始め、TBSの1986年1月11日土曜日の8時から始まった「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタートし、「オレたちひょうきん族」を終了させたのである。
しかし「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は、バブル崩壊により番組の制作費が不足して終了する形となった。
そしてその後は、「とんねるずのみなさんのおかげです」「夢で逢えたら」「ダウンタウンのごっつええ感じ」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」「笑う犬の冒険」「めちゃめちゃイケてる(とぶくすり)」「はねるのトビラ」など、フジテレビがほとんどのコント番組を制作しているといっても良いだろう。

このようにコント番組が放送されていたのは、どのような流れがあったのかということを考えてみようと思う。

「コント55号の世界は笑う」、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」

「コント55号の世界は笑う」は、1968年7月13日の土曜日の夜8時から、コント55号の萩本欽一と坂上二郎がテレビ番組の編集を上手く利用し、いろいろなコントを披露していった番組である。
しかし、その翌年の1969年10月4日に、TBSでザ・ドリフターズによる「8時だョ!全員集合」を同じく土曜日の8時に開始させ人気となり、1970年3月28日に「コント55号の世界は笑う」は終了してしまう。
そして、1975年4月5日土曜日の8時に視聴率で劣勢続きだったフジテレビが、高視聴率を誇るザ・ドリフターズのお化け番組「8時だョ!全員集合」(TBS)に対抗するため、土曜日の8時に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」をスタートさせ、巻き返しを図った。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は、「コント55号の世界は笑う」がリニューアルした番組ではなく、1972年10月9日から萩本欽一がやっていたニッポン放送のラジオ番組である「欽ちゃんのドンといってみよう!」を、コント番組として放送したテレビ番組である。
では、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」というラジオ番組とは、どういう内容だったのだろうか。

「欽ちゃんのドンといってみよう!」とは、一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させて、それをラジオで流して良いと思うものを、萩本欽一が選ぶという内容のものであった。
実は前にも述べた「ビートたけしのオールナイトニッポン」は、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」にビートたけしが影響を受けて、自分なりにアレンジしたものである。
つまり、今の地上デジタル放送の特性を上手く使った番組の原型となったラジオ番組なのである。
2001年4月11日から2007年9月26日までフジテレビで放送されていた「ココリコミラクルタイプ」という番組や、2010年7月27日から日本テレビで放送されている「1億3千万人のエピソードバラエティー コレってアリですか?」という番組も、「欽ちゃんのドンといってみよう!」が原型であるといえる。

そして、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」がコント番組としてリニューアルし、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」になり、視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にしたコント番組となったのである。
たとえ誰かが失敗をしたとしても、NGとはせずに放送し続けるという今ではバラエティー番組では当たり前の演出の走りともなっていて、その面白さがウケて、その時期に低迷していたドリフターズも影響して、なかなかの視聴率を誇っていたが、またドリフターズが大人気となったため、1980年3月に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は終了することとなってしまった。

わずか2年という短命番組ではあったが、「オレたちひょうきん族」など、「土曜日の8時」という時間を、各年代を代表するテレビバラエティーを築く時間帯として定着させ、また「欽ちゃんVSドリフ」という、後世に語り継がれるライバル図式を生み出したことから、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」がテレビ史・お笑い史に残した影響は相当に大きいと考えられている。

では、萩本欽一がここまでしても、視聴率で上回ることのできなかった「8時だョ!全員集合」という番組とは、どのような番組なのだろうか。

8時だョ!全員集合

「8時だョ!全員集合」は、1969年10月4日から1985年9月28日のまで、毎週土曜日の夜8時からTBSで生放送されていたザ・ドリフターズによるコント番組である。
当初のドリフターズのメンバーは、「いかりや長介」「荒井注」「加藤茶」「高木ブー」「仲本工事」の5人である。
番組の内容は、まずは「いかりや長介」が番組開始時に登場し、「おいっすー!」などのかけ声で会場を盛り上げ、このメンバー達のキャラクターを上手く使った作りこまれたコントを舞台で行った後、その当時人気のアイドルや、実力派の歌手などが歌を披露し、「少年少女合唱隊」というコーナーでドリフターズとアイドルの歌手などが合唱をして笑いを取っていき、その後にはメンバーがショートコントを披露してエンディングとなり、「ドリフのビバノン音頭」をメンバーが歌うという番組内容である。

ここまでの内容のものが全て生放送として放送されていたため、次に何が起こるのだろうと期待しながら子供は見ていて、コントで使用されたギャグは、次の週の月曜日からの学校で大流行し、先生や親が迷惑する番組でもあるため、「子供に見せたくない番組ランキング」でも必ず選ばれるという伝説の番組である。
そのため、この番組全体の平均視聴率は27.3%、最高視聴率は50.5%、全盛期では40~50%という視聴率を稼ぎ出し、「お化け番組」「怪物番組」などとも呼ばれるようになっていて、今でも語り継がれる伝説の番組となったのである。

しかし1974年、そんな人気絶頂のドリフターズから、耳を疑うような事実が発表されたのである。

それは、「This is a pen」「なんだバカ野郎!」といったギャグで、加藤茶と共にドリフターズで爆笑を取っていた「荒井注」が、1974年3月30日に突然ドリフターズから脱退をしたということである。
これには視聴者全員が激しく動揺したことであろう。
「この番組は終わってしまうのか?」「荒井注がいなくなったら加藤茶だけで笑いをとっていくのか?」などという不安に、視聴者はかられていたはずである。
そんなときに、ドリフターズの見習いという立場から、正式メンバーとして登場したのが、今では日本一といってもいいほど有名な芸人の「志村けん」である。

しかし、そんな志村けんであっても加入時は、今では考えられないほど世間には全く受け入れられなかったという。
その原因とは、あの荒井注の後が、今まで見習いだった奴に務まるわけがないだろうというイメージで、受け入れられなかったのである。しかもそれは2年間も続くことになる。
では、この荒井注という芸人が、なぜここまで視聴者には受け入れられていたのかというと、荒井注の人気とは大人の視聴者からの人気だったからである。
子供は加藤茶の下ネタで笑ってはいるが、大人はそれでは笑わない。
しかもそれだけの番組であれば、下ネタで笑いを取る番組だということで、本当に「子供に見せたくない番組」となってしまう。
しかしそんな大人たちは、荒井注の怖い風貌から笑いを取っていくという面白さに笑っていたのである。
そのため「8時だョ!全員集合」は、「子供に見せたくない番組」であったとしても、子供から大人まで観ることができる番組となり、今でも語り継がれる伝説の番組となっているのである。

しかし、その立役者である荒井注が脱退してしまったのだ。
だから加入時の志村けんは、なかなか視聴者には受け入れられなかったのである。
普通の芸人であれば、歴史の立役者の後を継ぐなんてことがあった場合、プレッシャーに押し潰され、視聴者にはやっぱり荒井注のほうが良かったななどと思われて、その芸人の芸人人生や、その番組自体も終わってしまっていたかもしれない。
更にその当時は、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が人気番組となり、土曜の8時は「8時だョ!全員集合」ではなくなりかけていた時期でもあった。

しかし、志村けんという芸人はこのとき既に、普通の芸人とは違い、日本一のお笑い芸人の素質があったのである。
志村けんは、「8時だョ!全員集合」の人気コーナーである「ドリフの少年少女合唱団」で、そんな逆境をも跳ね返す逆転ホームランを狙った。
それがあの「東村山音頭」である。
志村けん自信の出身地である、東京都東村山市で実際に唄われているという簡単に覚えてしまう歌詞とメロディーと振り付け。
これが子供の間で爆発的に広まり、荒井注の後任などということは視聴者に忘れ去ることに大成功し、ここから志村けんは若干26歳にしてドリフターズの不動のメンバーとして大活躍していったのである。

そして「8時だョ!全員集合」は、また高視聴率を取るようになり「欽ちゃんのドンとやってみよう!」を終了させ、土曜の8時は「8時だョ!全員集合」という地位を取り戻し、それから1985年9月28日まで続き、今でも語り継がれる伝説の番組となっていったのである。

オレたちひょうきん族

そして、1980年ごろ漫才ブームが起こり、「ツービート」「紳助竜介」「B&B」「ザ・ぼんち」などの芸人が活躍し始め、お笑いの地位は飛躍的に向上して、その人気により漫才ブームの芸人たち司会による「笑ってる場合ですよ!」という番組が、フジテレビの昼の12時から放送されていた。
しかしそのメンバー達が人気だったのは、あくまで漫才ブームがあったからである。
更に観客は、そのブームに乗っているだけの若い女性である。
このままでは確実に人気が無くなっていってしまうということで、「笑ってる場合ですよ!」を終了させ、タモリ司会の観客は18歳以上限定の公開番組である「笑っていいとも!」をスタートさせたのである。
そして「笑ってる場合ですよ!」で活躍していたビートたけしは、変則的にスペシャル番組として放送してきた「オレたちひょうきん族」を、そのままゴールデンの時間帯でスタートさせたのである。
ビートたけしは、島田紳助よりも先に漫才ブームが終わることを察知していたため、「ビートたけしのオールナイト日本」や「オレたちひょうきん族」などの番組を行っていたらしい。

そうして始まった「オレたちひょうきん族」は、数々の人気キャラを輩出し、「明石家さんま」でも述べたように、明石家さんまの活躍などもあり、「オレたちひょうきん族」は土曜の8時はTBSの「8時だョ!全員集合」ではなく、フジテレビの「オレたちひょうきん族」という地位を見事奪い取ったのである。

しかし、1986年12月9日に起きたビートたけしの「フライデー襲撃事件」や、裏番組である「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の人気なども影響して視聴率が低くなったため、1989年10月14日にこの番組は終了することとなった。

ドリフ大爆笑

この番組は、「8時だョ!全員集合」で大人気となったザ・ドリフターズが、年に1・2回、アイドルやタレントなどとコントを披露するフジテレビで放送されていた番組である。
この番組の内容は、「8時だョ!全員集合」のような生放送の舞台とは違い、スタジオで収録するため、「8時だョ!全員集合」よりもクオリティーの高いコントを放送するというコンセプトで始まった番組である。
クオリティーの高いコントを放送していたため、今現在のバラエティー番組でも、「ドリフ大爆笑」で行われていたいろいろな笑いの手法などを使われることがよくある。
代表的なものが、中年女性の大きな笑い声や落胆の声をコントの面白い箇所に差込み、視聴者の笑いを更に誘うという重要な役割を果たしているものである。
そして他にも、番組内で流れる音楽や効果音なども名物となっていて、現在でもとても重要な役割を果たしている。
最近のバラエティー番組の、ゲームコーナーで行われる罰ゲームの王道である「パイ投げ」も、ドリフ大爆笑が発祥でもある。

さらにこの番組は、現在のお笑い芸人のネタの原点だと思われるコントも披露している。
それが、この番組の顔である「もしもシリーズ」である。
もしもシリーズとは、アメリカのバラエティー番組「ラフ・イン」の「if」というコーナーをお手本としていて、「もしも○○な△△があったら・・・」というフレーズを使ってそれを披露していくコントである。
高木ブーは出オチもしくは一発芸的なインパクトでオチに持ってくるキャラクターが主で、仲本工事は一見マトモそうだが、実は一癖ある人間の役、加藤茶は落ち着きのない陽気な人間、志村けんは大半がとぼけた老人の役が主であり、メンバーの個性が活かされる役をコントにしている。
そしてコントの最後には、いかりや長介の代表的なギャグである「だめだこりゃ」を、呆然とした表情で言ってそのコントは終わる。
これがこの番組の象徴である「もしもシリーズ」である。

この「もしもシリーズ」に、少なからず影響は受けているのだろうなと思う芸人はたくさんいる。
その芸人は気付いていなくても、このコントは「もしも○○な△△があったら・・・」というコントの作り方の方法は同じだなと思うことは結構ある。
アンジャッシュの勘違いネタなどもそうであると思う。
お互いが勘違い(すれ違い)をしながら、話が進んでいくことが面白いこのコントは、「もしもシリーズ」と方法が同じであると思う。
例えば、空き巣である児嶋が誰もいなかった会社に侵入していると、そこに社員である渡部が戻ってきてしまい、勝手に侵入していた児嶋は見つかってしまった。その空き巣は何も言えずにいると、その社員が、この人はこのお笑い芸人の事務所に面接に来た人なんだと勘違いしてしまい、その空き巣は仕方が無くそのまま面接を受けるという勘違いコントがある。
このコントは、この社員がお笑い芸人の事務所に面接に来た人だと思っている人は、実は空き巣であることを視聴者がわかっているから面白いのである。
ドリフ大爆笑の「もしもシリーズ」も同じである。
「もしも○○な△△があったら・・・」の△△の部分のことは常識としてわかっているから○○を見ると面白いのである。
だからこの勘違いコントを考えるときには、
「もしもお笑い芸人の事務所に面接に来たと思い込んでいる人が、実は空き巣だったら・・・」ということから思いついたコントであるはずだ。
最近のネタで、あるキャラクターを作ってコントを披露する若手芸人のほとんども、この「もしもこのキャラクターが△△だったら・・・」ということから考えているはずである。
爆笑レッドカーペットに出演していた「5GAP」も、「もしもホワイト赤マンが赤ちゃんを泣き止ますことになったら」というコントのように、「もしも赤ちゃんをあやすということをホワイト赤マンがしたら」ということから考えているはずである。
モノマネでも、このもしもシリーズの構成を基にしたネタを披露している芸人はたくさん存在している。
モノマネ芸人である「ホリ」のネタである「○○(有名人)が絶対に言わないこと」というネタも、「もしも武田鉄也が『世の中なあ、金さえあれば何でもできるぜ、おい』と言ったら面白いだろう」というようなことから考えられているはずである。

このように「ドリフ大爆笑」という番組は、この番組の象徴である「もしもシリーズ」が、今のお笑い芸人の原点になっていると言っても良いほど、クオリティーの高いコントを放送する番組だったのである。

コント番組の歴史 2

このように、「オレたちひょうきん族」が終了し、そこからその世代で活躍した芸人たちは、お笑いだけでなくいろいろな方面で活躍することになる。

そして、そこから世代交代が始まるのである。

お笑いのネタのブームでは、「ツービート」や「紳助竜介」などの「漫才ブーム」と呼ばれる世代の芸人たちは、「第一次寄席ブーム」「第二次寄席ブーム」の後に、「漫才ブーム」という流れがあったということを「漫才ブーム 1」で述べた。
しかし、このコント番組の世代で考えると、「第一次寄席ブーム」と「第二次寄席ブーム」世代の芸人たちは、まとめて「お笑い第一世代」と呼ばれるようになる。
そして、「萩本欽一」「志村けん」「ビートたけし」「明石家さんま」「島田紳助」「笑福亭鶴瓶」「タモリ」などの芸人たちは、「お笑い第二世代」と呼ばれるようになる。
そして、このお笑い第二世代の芸人たちが、コント番組を終了させることになったため、お笑いだけではなくいろいろな方面で活躍することになり世代交代が起こった。

そこで、それまでは深夜帯で活躍していた「お笑い第三世代」と呼ばれる芸人たちが、頭角を現してきたのである。
主なお笑い第三世代の芸人たちとは、「とんねるず」「ダウンタウン」「ウッチャンナンチャン」「清水ミチコ」「ダチョウ倶楽部」「出川哲朗」「B21スペシャル」「ホンジャマカ」などの芸人である。

そしてこの芸人たちの中でコントを披露していた番組は、
とんねるず(とんねるずのみなさんのおかげです)、
ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ(夢で逢えたら)
ダウンタウン(ダウンタウンのごっつええ感じ)
ウッチャンナンチャン(ウッチャンナンチャンのやるならやらねば、笑う犬の冒険、ウリナリ)
などの番組である。

では、この「お笑い第三世代」の芸人たちが、どのように世代交代をしていったのかということを、これらのコント番組から考えてみようと思う。

とんねるず

このとんねるずの「石橋貴明」「木梨憲武」という二人は、もう既に二人とも高校生の時代から、マニアックなお笑いファンからは人気があった。
それはこの二人は、素人参加型のお笑い番組に出演していたからである。
石橋は野球部、木梨はサッカー部に所属していて、全国的にも強豪として知られるこの2つの部の交流は盛んで、部室内でのモノマネや一発芸などの披露を通じ、それぞれの部の「一番面白いヤツ」とお互いに認識し合ったのが出会いのきっかけであり、当時は主に先輩や先生のモノマネなどで、共に校内の人気者であったという。
石橋は高校在学中から「ぎんざNOW!」(TBS)や「TVジョッキー」(日本テレビ)をはじめとした、素人参加番組の常連であり、アントニオ猪木のモノマネやスポーツ選手の形態模写をはじめとする芸で、一部のマニアックな視聴者からは注目されていた。
木梨は石橋ほどの頻度ではないが、主に和田アキ子のモノマネで素人参加番組に顔を出していた。
なお石橋の同時代のライバルには、竹中直人がおり、「TVジョッキー」のザ・チャレンジ(素人お笑い勝ち抜きコーナー)の第1回グランドチャンピオン大会では、第3代チャンピオン石橋と初代チャンピオン竹中が対決している。ちなみにこのときの勝者は石橋であり、見事初代グランドチャンピオンに輝いている。
このような経歴を持つ二人がコンビを組み、「お笑いスター誕生!!」に出演。そして10週間連続で勝ち抜き、一躍人気芸人の仲間入りを果たすことになる。

しかしとんねるずは、事務所の問題で一時的にテレビ界から姿を消すことになる。
それでもとんねるずは、若者の街である渋谷で続けてきたライブが、口コミによって客がどんどん増え、そして半年後の1983年4月2日、とんねるずは「オールナイトフジ」で復活し、一気にとんねるず目当てに若い女性が一斉に詰め掛けるようになった。
更にその時に、新・ど根性ガエルのテーマ曲にもなった「一気!」をリリースしてアイドル的な人気を集めることにもなる。

漫才ブームの時にも、「B&B」や「ザ・ぼんち」もこのようにスターにはなった。
しかしこのとき実際には、これらの芸人たちと若い女性客の年齢差は一回り以上違ったのである。しかもその芸人たちはそれほどカッコよくはなく、漫才ブームが終わってしまえば過去の人である。

しかしとんねるずは違う。
石橋は野球、木梨はサッカーで鍛え上げられた身体とその長身で、今までのお笑い芸人にはいなかったカッコ良さを持っていたのである。
今までのお笑い芸人とは、弱者を演じるというものであった。
本当に外見が怖い芸人であると弱者を演じる事はできない。
つまり長身であったり身体ががっちりしていたりすることはお笑い芸人にとっては不利だったのだ。
横山やすしという芸人は恐いとは言われているが、横山やすしの外見はメガネをかけて小さくて痩せているため外見はあまり怖くはない。でも、もし横山やすしが安岡力也のような外見だとしたら、恐すぎて笑うことはできないだろう。
たとえオール阪神・巨人のように片方が大きかったとしても、相方にチビにしてバランスを取っていくというものがお笑い芸人では当たり前であった。
だからお笑い芸人とは長身には向かないのである。
しかし「漫才ブーム」というものが起きて、お年寄り向けの芸から若者向けの芸に変わったときから、お笑い芸人はかっこいいというイメージが付くことになったのである。
そこに漫才ブームの頃にはいなかった、鍛え上げられた身体と長身のコンビである「とんねるず」という芸人が登場したため、若い女性の間で一大ブームを起こしたのだ。

でもそれでは、若い女性だけにしかウケないからダメなのでは?とも考えられてしまう。
それをダメにしなかった所が、実は「とんねるず」の一番凄い所なのである。

それは、とんねるずの人気のきっかけとなった「オールナイトフジ」という番組の後の番組である「夕焼けにゃんにゃん」で、とんねるずは若い男性にも支持されることになるのである。
オールナイトフジという番組から説明すると、この番組は今までの番組の常識を破り、女子大生中心に考えられた番組なのである。
タレントとしての礼儀というようなものは全く教えずに、誰かが喋っていても別のところでは別の話をしていたりするような「素人」というものを全面に押し出し、とにかく面白さなど全く考えずに、女子大生の可愛さというものだけをただ映す番組なのである。
そんな番組のレギュラーがとんねるずなのである。
石橋貴明は矢沢永吉やショーケンに憧れがあるという。
その憧れを表すようにとんねるずは、その女子大生に常に喧嘩腰で毒づき、攻撃的な目付きで「てめえらバカ野郎」と叫び、ときにはカメラを壊したりと縦横無尽に暴れまわるのである。
それでもどんどんとんねるずはそのルックスで若い女性からの支持を受けていき、「オールナイトフジ」も人気が出て、その人気にあやかった特番「オールナイトフジ女子高生スペシャル」から派生し、1985年4月より月曜から金曜までの平日のベルト番組で放送していた番組が「夕やけニャンニャン」である。
「夕やけニャンニャン」という番組は、その当時人気があった「おニャン子クラブ」の番組で、出演者以外は「オールナイトフジ」と同じような番組であった。

そしてこの「夕焼けにゃんにゃん」でとんねるずは、若い男性にも支持されることになる。
そのきっかけとなったのが「タイマンテレフォン」というコーナーである。
このコーナーは、視聴者が電話をかけ石橋貴明と喧嘩をするという企画で、石橋はこの時もいつものようにテンションが高く電話の相手に常に喧嘩腰で毒づき、攻撃的な目付きで「てめえバカ野郎!」と叫ぶのである。
それでもどんどんとんねるずは若い女性からの支持を受けていったのである。
なぜなら、そんなとんねるずのマネをすれば、自分でもモテるのではないかととんねるずの不良性に憧れる若い男性が増え、言葉遣いなどは乱れ、服装はオシャレでカッコイイ不良であるチーマーなどの登場にも一役買うほどの芸人となったからである。

若い男性が、その当時に受けたことは今でも心に残り続けるものである。
「○○みたいな~?」や「~系」といった造語を、木梨が作り出していたりもする。
このような造語も、今でも心に残り続けるものである。
そのため今現在でもとんねるずは、その当時「夕焼けにゃんにゃん」を観ていた世代の男女から支持される芸人となっているのだ。

このようにとんねるずを支持していた世代の人たちは、自分が成長すると共にとんねるずがテレビで活躍している。そのためなんとなく仲間意識があるのである。
だからとんねるずの主演のコント番組である「とんねるずのみなさんのおかげです」では、番組を制作するための裏方のスタッフの人たちまでもが出演する。
これは今までの番組では絶対に有り得なかった話であり、別にスタッフの名前を出されてもそんなの知らないといった感じがしてしまう。
しかし、とんねるずを支持している世代の人たちは仲間意識があるのである。
だからスタッフであっても仲間であるため、たとえスタッフであっても支持されるのだ。
このように「とんねるずのみなさんのおかげです」は、若い世代に支持を受けていた番組となっていったのである。

夢で逢えたら

この番組は、フジテレビの深夜に放送されていた番組で、出演者は「ダウンタウン」「ウッチャンナンチャン」「清水ミチコ」野沢直子という、その当時勢いのあった芸人たちが行なっていた伝説のコント番組で、深夜という時間帯でありながら、視聴率が異例の20.4%という記録を出したほどの伝説のコント番組であった。
そのため、若者が深夜までテレビを見るようになり、遅刻をする人が増えたとも言われている。

ここまでの視聴率を叩き出していたのは3つの理由がある。
まず1つ目は、「バッハスタジオII」というコーナーで、当時起こっていたバンドブームの波に乗り、清水ミチコ以外音楽経験のないレギュラー陣がバンドを結成し、数々の課題曲に挑戦するという企画があった。
その講師としてユニコーンやTHE BOOMら売り出し中の若手人気バンドが数多く登場していて、現在バラエティータレントとして活躍する「YOU」も当時組んでいたFAIRCHILDのボーカルとして出演したことがあり、彼女ののちの方向性を決めるきっかけになった番組であるとも言える。
このように当時の流行に、その当時勢いのある若手が上手く乗っかっていったため、若者からの支持を受けていたのである。

2つ目は、メンバー間のチームワークがよかったことである。
笑福亭鶴瓶からも、「こんなに息の合った番組はそうそう無い」とこの番組を絶賛している。
また、当時は彼らもまだスケジュールに余裕があり、出演者6人がプライベートで花見に行ったというエピソードもある。このとき、野沢、清水、南原が騒ぎ、浜田、松本、内村がその騒ぎを見守るという立ち位置がしっかりできていたという。
松本も自身の著書で「(コンビを2組ぐらい合わせて番組やっているのを観ても)あそこまで4人(ウッチャンナンチャンとダウンタウン)がガーッとうまいことなっているっていうことは、あんまりないですね」「なんか賢いっていうか、押し引きがわかっているから4人ともね」と語っている。
また、内村は「浜ちゃんが全体を仕切るようになって、浜ちゃん相手に全員がボケるという図式が自然とできた」と、南原は「誰かが出たら誰かが引く、棲み分けが自然にできていった。特にみんなボケるから、自分が進行役・説明役をやることが多かった」と語っている。

今までのコント番組には、ここまでチームワークがよかったということが無い。
「ザ・ドリフターズ」から荒井注が脱退したのも、いかりや長介と上手くいかなかったことが原因であるとも言うし、
「オレたちひょうきん族」では、出演者は金の話がほとんどであったとも言う。
このように、今までのコント番組には、ここまでチームワークがよかったということが無いのである。

3つ目は、「清水ミチコ」の存在である。
「ダウンタウン」や「ウッチャンナンチャン」といった、今でも活躍する芸人がいながら、この番組内で一番人気があったのは「清水ミチコ」である。
現在はモノマネのライブや、番組のナレーションといったイメージがあるが、この番組のコントで演じるキャラクターは誰もが必ず覚えてしまうと言ってもいいほど、インパクトがあるキャラクターを演じていたのである。
そして、今までのコント番組には、女芸人を起用するということは無かった。
ゲストとしては登場しても、レギュラーではまず有り得なかったのである。
しかしそんな考えなど、誰もが必ず覚えてしまうと言ってもいいほどインパクトのある清水ミチコの演技には、全く関係なかったことなのである。

この3つの要素があったため、この番組は伝説のコント番組だったのである。

ダウンタウンのごっつええ感じ

この番組は、フジテレビ系列で1991年2月8日から毎週日曜日の夜8時に放送していたダウンタウン主演のコント番組である。
主な出演者はダウンタウン以外に、「今田耕司」、「東野幸治」、130R(「板尾創路」・蔵野孝洋(ほんこん))、YOU、篠原涼子などがいる。
ダウンタウンはもちろん、ダウンタウン以外の出演者もこの番組から一躍有名となり、今でも大活躍し続けている。

この番組のチームワークも、大阪の舞台や番組などで一緒に出演していたりしていたため、お互いの芸人としての長所を理解し合った関係であるといえる。
しかし「とんねるず」や「ウッチャンナンチャン」などの仲の良いチームワークとは違い、完全にダウンタウンを中心としたお互いに実力を認め合っているという関係である。

ダウンタウンの代表番組というと、この「ダウンタウンのごっつええ感じ」と「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という2つの番組がある。
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」という番組は、深夜帯で放送されているためこの番組は、「ダウンタウンの面白さがわかる奴だけ観ろ」といった内容の番組のように感じる。
そのためダウンタウンという芸人は、「ダウンタウンが好きな人だけが観るんでしょ?」というイメージを持っている人が多くいた。
しかしこの「ダウンタウンのごっつええ感じ」という番組は、誰でも面白いと感じることができる番組なのである。
では、この「ダウンタウンのごっつええ感じ」とは、どのようなコント番組なのだうか。

1991年正月放送の「ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い」、さらにゴールデンタイムに進出し「火曜ワイドスペシャル」の枠で行われた2度のトライアル放送が好評を博し、1991年12月8日にレギュラー番組としてスタートした。
その当時に放送されていたコントは、主にドリフターズの全員集合のようなコントや、ひょうきん族のたけちゃんマンのようなヒーロー物、ダウンタウンが体を張るコーナーなどがメインであり、そのため大衆的なコント番組という印象を視聴者に印象付けることが出来て、初回放送にもかかわらず視聴率は、日曜夜8時という強豪揃いの番組(大河ドラマなど)が多い中18.2%という高視聴率をマークした。

しかし、まだこの番組は方向性が全く定まっていなかった。
そのため、この番組は面白いけどその面白さは、今までのコント番組の良い所取りをしているだけで、ダウンタウンや共演者の面白さはほとんど活かすことができてなかった。
ダウンタウンの松本人志は、この状況を変えるために今までのコントを全て終了させ、今までのコント番組では有り得なかった、主演である松本人志が主演も務めながら、作家としてコントを主導していくという方向性に変えた。
しかしそれでも初めはあまり思うようには方向性は定まらず、模索する期間が続くことになる。
それでも視聴率は高視聴率を保っていた。
それは出演者の演技力に魅力があったのだろう。

依然として高視聴率を保ってはいたが、1994年に板尾創路の起こした事件がきっかけで、板尾は半年間この番組を降板することになった。
これによりダウンタウン、今田、蔵野、YOU、篠原という少人数体勢での番組進行を余儀なくされ、更にこの番組は模索し続け「きょうふのキョーちゃん」という放送コードすれすれの過激描写のアニメが登場したりしているような状況だった。

そこに板尾創路が復帰し、コント番組に必要な協調性がないとレギュラーになることができなかった東野幸治がレギュラーとなった。
ここからダウンタウン特有の先鋭化した笑いを求める姿勢が、この番組の方向性を定めることになる。
「Mr.BATER」、「世紀末戦隊ゴレンジャイ」、「キャシィ塚本」シリーズ、「こづれ狼」、「やすしくん」、「産卵」、「みすずちゃん」、「殺人事件」シリーズ、「放課後電磁波クラブ」など、番組を代表するヒット作をどんどん生み出していき、大衆的に人気を集めると共に、「カッパの親子」「トカゲのおっさん」など、ダウンタウンの通のような視聴者を相手にするコントなどもヒット作に混ぜ放送していた。

ダウンタウンの通のような視聴者を相手にするコントとは、キャラクターのインパクトや、言葉の面白さを表現するコントではなく、その状況の哀愁漂う空気を面白がるコントである。
例えば、「カッパの親子」というコントは、カッパの息子(今田)をいじめる人間の子供(板尾)の前にカッパの親父(松本)が現れ、説教や仕返しをするが、そこに人間の子供の親(浜田)が登場し、正論を言うカッパの親父に対して、理不尽な逆ギレをして、返り討ちに遭う。カッパの親父は返り討ちにあうと、浜田のことを「御主人」と呼び始め、カッパの親父は卑屈な態度を取らなくてはいけなくなる。親父が息子に自分の殴られている姿を見られたくないというなにか悲しい姿を描いた哀愁漂うコントである。
つまりすごく可哀想で、自分の父親にはこうなって欲しくないと思ってしまうコントであるのにもかかわらず、なぜか笑えてしまうという、今までには無かったダウンタウン特有の先鋭化した笑いのコントが行われていったのである。

これにより、子供からお年寄りまで楽しく見ることができる番組であるにもかかわらず、笑いに関してはうるさい視聴者にも面白い番組を作り上げることが出来たのである。
子供からお年寄りまで楽しく見ることができる番組であるにもかかわらず、笑いに関してはうるさい視聴者にも面白い番組を作るということは、今までには絶対に有り得なかった。
「島田紳助」でも述べたように、やすしきよしのように子供からお年寄りまで誰が見ても聞いても面白いやすきよ漫才では、若者には受け入れられないし、若者に焦点を合わせるとお年寄りは追い付いていけない。
「8時だョ!全員集合」と「オレたちひょうきん族」が同じ時間で放送していたときには、子供とお年寄りは「8時だョ!全員集合」を観ていて、若者は「オレたちひょうきん族」を観るというように、はっきりと世代によって分かれていたらしい。

しかし、この「ダウンタウンのごっつええ感じ」では、子供からお年寄りまで楽しく見ることができる番組であるにもかかわらず、笑いに関してはうるさい視聴者にも面白い番組を作り上げるということが、大衆的に人気を集めるコントの中に、その状況の哀愁漂う空気を面白がるというダウンタウン特有の先鋭化したコントを混ぜることによって、実現出来たのである。

これによって、この「ダウンタウンのごっつええ感じ」という番組は、10年以上前の番組であるにもかかわらず、今現在でもTUTAYAではよく借りられているし、ダウンタウン、今田耕司、東野幸治、130R(板尾創路・蔵野孝洋(ほんこん))、YOU、篠原涼子など今でも活躍するタレントを一躍有名にした伝説のコント番組となったのである。

ウッチャンナンチャン 2

主にダウンタウンの番組の作家を務めていて、現在では「めちゃ×2イケてるッ!」「いきなり!黄金伝説。」「ロンドンハーツ」や、ウッチャンナンチャンの番組の作家も務めていた高須光聖という放送作家は、ダウンタウンの世界は「濃い一色」に対して、ウッチャンナンチャンの世界は「無色透明」と評している。また、「ダウンタウンは企画が彼ららしくないと全然ハマらないけど、ウッチャンナンチャンはどんな企画をふっても上手にさばいてくれるし、ちゃんとハマるから視聴者も安心して観られる。どんな色にも染まる」と分析している。
お笑い評論家のラリー遠田は、「ウッチャンナンチャンとはどういう芸人なのか?この問いに答えるのは意外と難しい。ウッチャンナンチャンがどういう芸人に見えているかは、受け手の世代によっても大きく変わってくるからだ。彼らは、時代ごとのニーズに対応しながら、キャリアを積み重ねてきたタイプの芸人なのである。」と分析している。
笑福亭鶴瓶は、「ウッチャンナンチャンの笑いって優しいんですよ。攻撃的な笑いが多い中で、優しい笑いを作ってきた2人が中心に出て、今も一線でいるのは必然だと思う」と評している。

このようにウッチャンナンチャンというコンビは、お笑いの歴史を大きく変えたショートコントで一躍有名となり、「とんねるず」や「ダウンタウン」とは違い、優しい笑いで時代に合わせてキャリアを積み重ね、どんな企画であっても上手く流れに乗り、自らを上手く合わせていったために「とんねるず」や「ダウンタウン」と共にお笑い第三世代と呼ばれてきた。
では、このウッチャンナンチャンはどのようなコント番組を作ってきたのだろうか。

「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」、「笑う犬の冒険」、「ウリナリ」

1990年4月19日から「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」というコント番組が始まり人気となり、好評に付き1990年10月13日から毎週土曜日の夜8時という時間帯で放送されることになった。
更にウッチャンナンチャンのようにどの番組でも馴染むことのできる出川哲朗や勝俣州和などをレギュラーにした。

この番組は、放送当時バブル景気がはじけ始め、当時の日本は何とかバブル景気を維持しようと、大量消費をしていた時代であったため、映画、ドラマのパロディー1本にも何十、何千万もの制作費を惜しみなく使い、忠実なものにしようとしたため、セットはたいそう豪華なものであったという以外には、あまり目立った特長は無く、誰が観ても面白いコント番組として人気であった。
しかし不慮の事故が起こり、1993年6月26日にこの番組は突然打ち切りとなってしまった。
そのためこれをきっかけに、ウッチャンナンチャンは一時的に批判を受けることになるが、ファンからはコント番組の復活を期待されていた。

そしてその後はフジテレビではないが、日本テレビで「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」がスタートし、コントを披露していったが、ちょうどその頃「ドキュメント系バラエティー番組」が人気を集めだしていて、この「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」も、その「ドキュメント系バラエティー番組」の流れに乗り、歌を出したり、ドーバー海峡を渡ったり、社交ダンスを披露しだしたりするようになる。
このようにウッチャンナンチャンは、優しい笑いで時代に合わせてキャリアを積み重ね、どんな企画であっても上手く乗り、自らを上手く合わせていったのである。

しかしウッチャンナンチャンはその後、流れに反してあるコント番組をすることになる。
「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」の打ち切りから、5年後の1998年10月14日に「笑う犬の生活」という純粋なコント番組が深夜の時間帯でスタートすることになる。
この番組が今までのウッチャンナンチャンとは違い、自ら手助けをした「ドキュメント系バラエティー番組」という流れに反した番組である。
そんな世の中の流れに反した番組であったが、この番組は深夜にもかかわらず、すぐに高視聴率を叩き出すようになり、番組開始から1年後の1999年11月22日に「笑う犬の冒険」が日曜日の夜8時という時間帯でスタートすることになった。
流れに反した番組であるにもかかわらず、こんなにすぐに視聴者に受け入れられたのは、この番組はウッチャンナンチャンのコントがまた観たいと思っている人たちを、裏切ることの無いような純粋なコント番組だからである。

この番組のレギュラーに、「ネプチューン」や「ビビる大木」、「オセロの中島知子」などを加え、ウッチャンナンチャンの視聴者に優しい笑いを実現し、更にコントとコントの間に前のコントについてのトークを映すという場面が多くある。
今までのコント番組では、コントを続けて流すことによって視聴者をあきさせない工夫をしていたが、この番組はメンバーのチームワークの良さが売りであるため、コントを続けて流すことよりも、このようにコントとコントの間に前のコントについてのトークをしたほうが、視聴者にウッチャンナンチャン特有の優しい笑いが際立たされたのである。

このようにどんな番組であってもウッチャンナンチャンは、時代に逆らわずにウッチャンナンチャンにしか出来ない笑いを作っていき、「とんねるず」や「ダウンタウン」とは違う笑いを求める視聴者に支持されていったのである。

ドキュメント系バラエティー番組ブーム

ドキュメント系バラエティー番組がお笑い第三世代が活躍し出すと共に人気となっていた。
ドキュメント系バラエティー番組とは、いろいろな人をありのままに密着するドキュメント番組とは大きく異なり、番組が用意した過激で過酷な企画に出演者が体を張って挑戦する模様を密着するという点が大きな特徴である。
ドキュメント系バラエティーの先駆けとなったのが、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」である。
ダンス甲子園、ボクシング予備校、勇気を出して初めての告白、寝込みのタレントをバズーカ砲で襲うなどの過激なロケ企画は大きな基礎となっていった。

これを演出していたのがテリー伊藤である。
そしてこの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でのテリー伊藤の演出を学んだT部長こと土屋敏男プロデューサーが、「有吉弘行」を一躍スターにのし上げた伝説のドキュメント系バラエティー番組である「進め!電波少年」をスタートし猿岩石の人気と共に大人気となり、ドキュメント系バラエティー番組という新ジャンルをテレビ界に浸透させた。
そこからドキュメント系バラエティー番組ブームが起こるのである。

このドキュメント系バラエティー番組ブームは、日本経済を変えるほどの影響力があった。
「進め!電波少年」を初めとした過酷な旅番組のような企画では、猿岩石のようなスターを生み出した。
参加者が過酷な試練に挑みながら、最終的に合格を目指すオーディションのようなドキュメント系バラエティー番組である「ASAYAN」や「ガチンコ」のような企画でも、国民的スターになった「モーニング娘。」も、このようなドキュメント系バラエティー番組ブームが起こったから誕生した。
「ねるとん紅鯨団」、「ウンナンのホントコ!」、「あいのり」、「夫婦交換バラエティー ラブちぇん」「ロンドンハーツ(初期)」のように、素人の男性と女性が番組側の指示に従って、共同生活したりデートをする模様を密着する恋愛観察バラエティーブームが起こるのも、この頃からである。
芸能人が大会の出場や資格取得などの目標を目指して、奮闘する模様を密着するような企画である「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」の、社交ダンスやドーバー海峡を渡る企画や、「ザ!鉄腕!DASH!!」の田舎で野菜を作ったりする企画や、「いきなり!黄金伝説。」「もしものシミュレーションバラエティ お試しかっ!」などの番組や、1992年から始まった24時間テレビのチャリティーマラソンも、このドキュメント系バラエティー番組ブームの流れに乗って始まった企画である。
素人の人が企画にチャレンジする番組も、この流れから始まっていて、「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円」、「小学生クラス対抗30人31脚」、「SASUKE」、「はじめてのおつかい」などもある。

このような番組の面白さは、編集の面白さであると思う。
「漫才ブーム 2」で述べたような、面白いところや大変そうなところだけを放送し、ナレーションによって「これからどうなってしまうのだろうか!」というように、その部分を煽って笑わせたり感動させたりしているからである。
そのような演出により、ドキュメント系バラエティー番組は、今のテレビ番組でも欠かせない演出の仕方として残り続けている。

「とぶくすり」、「めちゃ×2イケてるッ!」

お笑い第三世代と呼ばれる芸人たちが、ゴールデンの時間帯で活躍していたとき、深夜で放送していた「新しい波」という若手芸人のオーディション番組で、コントなどを披露した中の選ばれた芸人が、1993年4月8日「とぶくすり」のメンバーとして選ばれることになった。
そのメンバーが、「ナインティナイン」「よゐこ」「極楽とんぼ」「光浦靖子」などのメンバーである。

この「とぶくすり」という番組のメンバーを選ぶという時点で、既にこの番組は画期的なコント番組である。
今までのコント番組ではこんなことは有り得なかった。
しかし、「ドキュメント系バラエティー番組ブーム」がこのようなコント番組を生み出すことになる。

更にこの番組の画期的な所は、この番組のプロデューサーである片岡飛鳥というプロデューサーが、オアシズの光浦靖子をレギュラーとして選んだということである。
片岡飛鳥というプロデューサーは、「オレたちひょうきん族」、「夢で逢えたら」、「笑っていいとも!(テレフォンショッキングで客が、『そうですね』と言うのは片岡が発案した)」、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」などの歴史に残るコント番組のADを経験していたため、コント番組のノウハウが備わっている。
そのようなノウハウを無視して、光浦靖子をレギュラーにしたのである。
どういうことなのかというと、今までにコント番組には、ブサイクであるというキャラクターでコントをする芸人はいたが、本当にブサイクであるということを前面に押し出してくる芸人はいなかった。
光浦靖子は大久保佳代子とオアシズというコンビを組んでいる。
このコンビは、2人で新しい波に出演していたのではあるが、大久保さんは笑えないブスであるということで、光浦靖子だけが「とぶくすり」に選ばれた。
これは予測なのではあるが、本当にブサイクである光浦靖子という芸人を、なぜ選んだのかということを考えてみると、それは「清水ミチコ」を超える女芸人は現れないだろうと考えていたため、本当にブサイクである光浦を選んだのではないだろうか。
どうしてもコント番組が好きな人は、他のコント番組と比べてしまうものである。
とぶくすりと比べられるコント番組は、オーディションではないが同じく集められた芸人たちでコントを行う「夢で逢えたら」である。
「夢で逢えたら」の「清水ミチコ」は、実はダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの今も活躍する芸人よりも人気があって面白かった。
そんな「清水ミチコ」と、とぶくすりの女芸人のメンバーは比べられてしまうのである。
それなら「女芸人のレギュラーは要らないのでは?」とも思うのだが、いろいろなコントの設定上、女芸人は絶対に必要である。
男の芸人が女装をして演じたりしたらそっちに気が行ってしまってコントの設定どころではなくなってしまう。
だから「清水ミチコ」のようにキャラクターではなく、本当にブサイクであることを認めている「光浦靖子」を、片岡飛鳥というプロデューサーはレギュラーにしたのではないだろうか。

「とぶくすり」という番組が人気になったのは、当時「吉本印天然素材」で活躍していた「ナインティナイン」の人気のおかげなのではあるが、「光浦靖子」がメンバーにいじられるという面白さがあったということもこの番組が面白かった要因である。

初回はあまり注目されずに始まった番組ではあったが、だんだん人気が出始め、一度は打ち切りになったものの、ファンからの復活を希望するハガキが殺到して、1995年10月28日に「めちゃ×2モテたいッ!」がスタートし、この番組が更に人気となり、1996年10月19日に、「めちゃ×2イケてるッ!」が土曜日の夜8時という時間帯でスタートすることになる。

「めちゃ×2イケてるッ!」という番組の面白さは、メンバーの一人一人がみんな面白いということと、企画が斬新であるというところである。
「とぶくすり」のときには、コントなどが主体ではあったが、「めちゃ×2イケてるッ!」は完全にバラエティー番組ではあるが、「ドキュメント系バラエティー番組」のような企画内容である。
そしてこの番組の芸人のメンバーは、「めちゃ×2イケてるッ!」以外にも、しっかりと他の番組でも活躍していて一人一人が面白い。
「ナインティナイン」はいつでも笑いを取ろうとする姿勢が国民的に評価されているし、「よゐこ」の濱口は「いきなり!黄金伝説。」の人気の立役者でもあるし、有野は「ゲームセンターCX」というゲームをする番組でゲームマニアから絶大な支持を受けている。加藤浩次は「スッキリ!!」で帯番組の司会を務めている。光浦靖子は数々のバラエティー番組で女芸人の代表的存在でもある。
そのため、誰がその企画の主役になってもしっかりと笑わせてくれるのである。

その企画とは、時事ネタであったり、芸人の質を問われるものであったり、熱湯コマーシャルのようなベタなものであったり、完全に「江頭2:50」やエスパー伊東に頼る企画であったり、なにかの番組のパロディーのような企画であったりもする。
しかし、そのような企画であると、なかなか視聴者に伝わらないということがある。
それを解消したのが、「めちゃ×2イケてるッ!」ではよく使われるナレーションである。
このナレーションの語りが、どんな複雑な設定であったとしても、視聴者にはわかりやすく伝えることが出来るのだ。
このような斬新な企画と、メンバーの一人一人の面白さが合わさって、いつでも視聴者を笑わせてくれるため、若者からの絶大な支持を受けている番組となっている。

更に「めちゃ×2イケてるッ!」では、いつも面白い企画を放送しているのだが、一年に一度だけ「岡村オファーシリーズ」という感動する企画を放送するのである。
岡村隆史の抜群の運動神経を生かして、SMAPのライブに出演、フルマラソン完走、具志堅用高とボクシング対決、EXILEのライブに出演するなど、様々なものにドキュメンタリー番組であるかのように挑戦し、視聴者を感動させるのである。
しかし、そこにはしっかりと岡村隆史特有の面白さも入れるのである。

つまり一年に一度だけ、いろいろな番組で行っている「ドキュメント系バラエティー番組」ではない、「めちゃ×2イケてるッ!のメンバーであるナインティナインの岡村隆史」特有の、「ドキュメント系バラエティー番組」を放送しているのである。

それらが、若者からの絶大な支持を受けている番組となっている理由なのではないだろうか。

はねるのトびら

「めちゃ×2イケてるッ!」が人気を集めたため、「めちゃ×2イケてるッ!」が人気となった方法を使い、2000年4月から2001年3月まで放送された深夜番組「新しい波8」に出演した若手芸人の中から、現在のメンバーである「キングコング」、「インパルス」、「ロバート」、「ドランクドラゴン」、「北陽」という5組が選抜され、「はねるのトびら」がスタートした。

この番組も、メンバーそれぞれの面白さを引き出したコントで、深夜番組でありながら主に10代と20代の男女から支持を受け、2005年10月に「はねるのトびら」はゴールデンの時間帯に進出することになる。
そして、「めちゃ×2イケてるッ!」と同じように、ゴールデンになったらコントは一切行わなくなり、「クイズ番組ブーム」の影響を受けてゲームコーナーが主な番組となり、小中高生を中心に人気番組となる。

しかし、「とぶくすり」が「夢で逢えたら」と比べられていたのと同じように、この「はねるのトびら」も「めちゃ×2イケてるッ!」と比べられてしまう。
そして「はねるのトびら」はゲームコーナーが主な番組であるため、メンバー1人1人の面白さが視聴者にはあまり伝わってこない。
そのため小中高生にしか指示をされない番組となってしまっている。

それは、「はねるのトびら」のメンバーが悪いということではない。
「インパルス」の作るコントは評価されているし、堤下のつっこみは力がありバラエティー番組でも活躍している。「ロバート」のコントはどのように考えているかわからないほど斬新で面白いコントである。「ドランクドラゴン」は、塚地はもちろんのこと、最近では鈴木がどんどん笑いを取っている。
しかし、どうしても「キングコング」が「ナインティナイン」と比べられてしまうことから抜け出せないのと、「北陽」の虻川が、光浦靖子と比べるとどうしてもあまり評価できないというところもある。
そして企画が全てゲームコーナーであるため、フジテレビのドラマなどの宣伝に使われてしまうため、視聴者は純粋に「はねるのトびら」をバラエティー番組として楽しむことが出来ない。
だから小中高生にしか指示をされない番組となってしまっているのではないだろうか。

それでもある程度は視聴率を取っているため、これからも小中高生にだけ支持を受ける番組を作っていくのか、これからこの番組が変わっていくのかはわからない。
ここまで「コント番組の歴史」を調べてきて全ての番組で共通して言えることは、『コント番組とは、その当時の10代から20代までの男女の共通の話題として、何年経ったとしても語り続けられる番組なのである』と思う。
だから、もしも「はねるのトびら」がこれから純粋に笑いを追及する番組に変わったとしても、深夜番組では評価されていたという過去がしっかりとあるため、視聴者も戸惑うということは無いだろうし、視聴者はそれを望んでいるのではないかと思う。
何年経ったとしても語り続けられる番組になってもらうために。
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