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明石家さんま

本名:杉本 高文
明石家さんまは18歳の時に、落語家の2代目笑福亭松之助に弟子入りした。
「明石家」は笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。
笑福亭松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、実家が自転車屋だったから明石家サドル、美容室だったから明石家パーマなどが命名されている。
そのため明石家さんまの芸名の由来は、そのまま実家が秋刀魚屋だったためである。
「明石家さんま」命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時に、さんまは「その島田紳助という名前やったら絶対売れへん」とからかわれ、紳助は落ち込んだ。しかしそのすぐあとに「明石家さんま」という芸名をもらったという話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わった」と逆に大笑いしたというエピソードを島田紳助がよく話している。
島田紳助とは、若手時代に営業で一緒に出演する機会が多く、私生活でもお互いの家に出入りするような仲でもあり、紳助が相方について悩んでいた時、松本竜介を紳助に紹介したのはさんまである。

デビュー当初のさんまは、菅原文太のものまねや、当時人気だったプロ野球・巨人の投手である小林繁の形態模写、漫談が主であった。さんまは巨人の小林繁の形態模写をしていたが、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印した。
しかし、トレード直後の阪神タイガースでの小林繁の活躍に伴い、関西地区では小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。

そして、「漫才ブーム」が起こった。
明石家さんまは、関西地区では多少人気も出ていたが、この漫才ブームによって、同期で仲の良かった島田紳助らが、漫才ブームで全国的に有名になっていった。
しかしこの時さんまは、一切焦らず密かにじっくりと自分の地盤を固めていた。
それは、漫才ブームで活躍する芸人達がもっと人気になっていけば、そこには大きな道が出来るはずである。
しかしその芸人達は、必ずそのうち疲れてくる。
そしてその芸人達がバテてリタイアしていった時に、自分が颯爽と登場すれば良い。
このようにテレビについてさんまは考えていたからである。
そしてその考え通りに、漫才ブームは下火にはなったが、芸人の地位は以前とは比べ物にならないほど上がり、それによってビートたけしが作った「オレたちひょうきん族」に呼ばれるようになり、人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルである高田純次が急遽入院して、その代役として、その当時26歳の明石家さんまが代役を務め、そこから明石家さんまは一気に全国的に有名になっていったのである。

明石家さんまの魅力は、基本的にバラエティー番組しかやらない一貫性と、タレントではあるが裏表無く、いつもお笑いに対して真剣な姿勢、そして造語能力であると思う。

明石家さんまは、日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントである。
若手の時は、男女7人夏物語など数々のドラマに出演していて、男女7人夏物語で共演した大竹しのぶと結婚するなど、ドラマに出演するお笑いタレントのイメージもあったが、今現在は「お笑い怪獣」と言われるほどバラエティーをやり続けているイメージがあり、実際にやり続けている。
そのイメージはいつもお笑いに対して真剣な姿勢が視聴者の目には映っているからだと思う。
「踊る!さんま御殿」、「さんまのSUPERからくりTV」など、ゴールデンの時間帯で司会を務める一方で、「痛快!明石家電視台」、「MBSヤングタウン土曜日」など大阪ローカル番組や、ラジオなどの仕事も引き受けるという姿。
そして、陣内智則が藤原紀香と離婚後、島田紳助に報告のメールをしたところ、涙を流して感動するほどのアドバイスが返信された。
続いてさんまにもアドバイスをもらおうとメールをしたが、即座に「そんな事より、俺オモロい?」という返信が着たというようなエピソードがあったり、
若手の出演している番組や、自分の司会の番組は毎週欠かさず観ていて、自分が発言したところでは大爆笑しているというエピソードがあるように、
「この人は本当に笑いというものが好きなんだな」と思わせるところが、視聴者は明石家さんまという人は、いつもお笑いに対して真剣なんだと感じているのである。
それが、明石家さんまは、日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントであるということなのだろう。

しかし、明石家さんまは「明るいけど面白くない」というような感想を持つ人はよくいる。
それは、やすしきよしや、オール阪神・巨人のように他に追い越すことのできないような芸があるわけでもなく、島田紳助のように200人ものゲストに対して司会をできるわけでもなく、ダウンタウン松本人志のように天才的な発想があるわけでもないからである。
ではなぜそんな明石家さんまが、今でもバラエティー番組という言葉が似合うタレントでいられるのかというと、それは「とにかく明るい」からである。
明石家さんまは、「島田紳助」で述べたように、『さんまは野球選手で例えたら長嶋茂雄のような選手で、なんでもないサードゴロをファインプレイに見せてしまう魅力がある。』と述べた。
明石家さんまは本当にいつも明るい
2008年7月放送の「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」で総合司会を務めた際に、26日19時から翌27日22時まで全力で声がかすれるまで出演し続け、番組が終わった後には、放送スタジオでの打ち上げで、深夜1時までビートたけしと語り明かし、帰宅後も朝6時まで起きていて、「次は35時間テレビが出来る」と言っていたというエピソードがあったり、
雨上がり決死隊・宮迫博之の話で、「仕事で3日間一緒になった際、行きの飛行機の機内で寝ようとしたら、さんまに起こされ、ずっとしゃべり続けられ、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何事も無かったかのように元気なさんまがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまがいつもと変わらず、元気に生放送番組に出演していた」というエピソードや、
新幹線に乗っている時に、隣に座っているサラリーマンが軽くさんまに喋りかけたら、大阪に着くまでにずっと喋り続けられ、途中でそのサラリーマンの人が寝たいと言ったのにも関わらず、寝させてもらえずに喋り続けられた。
というようなエピソードがあるくらい、明石家さんまはいつも明るいのである。

明石家さんまのことを、こんなに明るいと言っているのは、これだけ明るいということは、明石家さんまには、「漫才ブームやエンタの神様のような演出が必要ない」からである。
どういうことなのかというと、
漫才ブームのときは、その漫才を盛り上がっているように視聴者に見せるために、「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」という2つの技術を使ってそれを演出させた。
そしてエンタの神様では更に、わかりやすくするために「字幕を出す」という演出をした。
この演出全てが、明石家さんまには全く必要ないのである。
何度も言うが、明石家さんまは本当に明るい。だからもちろん最初から最後まで明るいのである。35時間テレビが出来ると言ってしまうくらい最初から最後まで明るいのだ。
つまり、明石家さんまが出ている番組は、最初から最後まで明るいのだから漫才ブームのときのように、「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」というような演出は全く必要ないのである。

そして、明石家さんまには「明るい」ということ以外にも凄いところがある。それは、明石家さんまの魅力の時に書いた、「造語能力」である。
明石家さんまが作る言葉は、エンタの神様に出演しているような芸人の誰もが覚えやすいフレーズではなく、「トークの幅を広げ、観客を引かせないためのフレーズ」をさんまは作るのである。
代表的なフレーズは「H」である。
変態のローマ字読みの最初の文字を取って「H」。
今までの性的な会話は、こういうことをセックスをするなどと直接的に表現するしかなかった。
しかしこのさんまが広めた「H」よって、性的な会話がどれだけトーク番組で楽になっただろうか。
そして更に番組内だけでなくても、一般人女性の性的な会話がどれだけ楽になったか。
そして、これも今では誰でも使うようになった「ドヤ顔」という言葉。
これも明石家さんまが作った言葉である。
明石家さんまは、芸能界一といって良いほど笑いに貪欲である。
そのためトーク番組などで、他の芸能人が笑いを取っている姿に指をくわえて見ているということができなかったのだろう。
そこで笑いを取った後に、「どうや」と自慢げになってしまう芸能人に対して「ドヤ顔」とつっこむことによって、さんまは更に笑いを取ることができたのである。

このようにさんまは、エンタの神様のようにフレーズを覚えさせるわけではなく、日常で使えるフレーズを日本人の生活に溶け込ませていくわけである。
更に「踊る!さんま御殿」、「恋のから騒ぎ」、「さんまのまんま」、「さんまのSUPERからくりTV」の番組では、明石家さんまの発言には、エンタの神様のように字幕が出ないようになっている。
つまり、明石家さんまが出ている番組には、日常で使えるフレーズを日本人の生活に溶け込ませていくわけであるから、エンタの神様のようにわかりやすくフレーズを覚えさせるために「字幕を出す」という演出は、全く必要が無いのである。

この演出が全く必要ないから、明石家さんま本人も番組自体もリアリティーが出る。
つまり演出など全く無く、表裏の全く無い明石家さんまのトークをいつでも観ることができるのである。
だからこそ漫才ブームや、エンタの神様のようにすぐに飽きられずに、いつまでも日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントであり続けているのではないだろうか。

ダチョウ倶楽部

土田晃之が「ダウンタウンDX」に出演した時に、「このダチョウ倶楽部という3人は、それぞれが面白いエピソードをたくさん持っている。しかしトーク番組などで、この3人から面白いエピソードをあまり聞かない。その理由は、3人全員が、そのエピソードを話す話術を持っていないからである。つまりダチョウ倶楽部というグループは、話術を持っていない3人が集まったグループである。」と評したことがある。
まさにその通りであって、ダチョウ倶楽部が番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こるにもかかわらず、よく考えるとダチョウ倶楽部のトークで笑わせてもらったという記憶は全くと言って良いほど無い。
「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」という番組に、竜兵会という上島竜兵を慕う後輩芸人たちの集まりで出演した際にも、土田晃之や有吉弘行などが、上島竜兵に関するエピソードを話し、笑いも取ったが、当の上島自身はそのトークを聞いてだけで、自分からは話さないでいるというのがほとんどであった。
なぜならダチョウ倶楽部という芸人トリオは、上島竜兵はトークができず、リーダーと呼ばれている肥後克広は上島以外の芸人には全くつっこまず、寺門ジモンに至ってはミルコ・クロコップを倒せるなどと言っていたり、エアマックスコレクターであったりでもうよくわからない。
ダチョウ倶楽部がコントを正月にやっていたが、そのコントも全く印象に残らないコントである。ダチョウ倶楽部とはそんな芸人トリオなのである。

しかしそんな芸人トリオであるが、「リアクション芸」を発揮できる舞台が現れるとダチョウ倶楽部の出番となるのである。
「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」でも、「ダチョウ倶楽部はまだ出ないのか!」と期待をして、登場すると「待っていました!ダチョウ倶楽部!」となってしまうほどである。
もちろんこのダチョウ倶楽部の面白さは、「リアクション芸」というものがあるからである。
では、そのダチョウ倶楽部の「リアクション芸」とはどういうものなのだろうか。

ダチョウ倶楽部の「リアクション芸」とは、実はショートコントなのである。
どういうことなのかというと、ダチョウ倶楽部は「この状況でのリアクション」という設定で、ショートコントを披露しているのである。
例えば熱湯風呂に入る際に、上島が熱湯風呂に入ろうとしている時に、「押すなよ!押すなよ!」と横で見ている肥後と寺門に言い、「絶対に押すなよ!」と言ったら、肥後と寺門が熱湯風呂に上島を落とすというものがある。
これは熱湯風呂にただ入るだけではなく、熱湯風呂に入った時のリアクションを際立たせるために考えだされたショートコントなのである。
ただ単に熱湯風呂にただ入るだけであるのであれば若手芸人にだってできる。
そのためにダチョウ倶楽部は、その状況に応じたショートコントを披露して、ただのリアクション芸との差別化を図ったのである。
それをやり続けていったために、「リアクション芸=ダチョウ倶楽部」という図式を、芸能界での「お約束」としたのである。
そのダチョウ倶楽部のショートコントを、上手く状況に合わせて使ったリアクション芸があるために、トークもつっこみもできなくて、よくわからない人がいたとしても、ダチョウ倶楽部がお約束を行うゲストとして番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こるのである。

ウッチャンナンチャン 1

「ダチョウ倶楽部」が、リアクション芸と呼ばれる上手く状況に合わせて使ったショートコントで全国的に有名になったのは、1989年から始まったビートたけしのお笑いウルトラクイズからである。
ダチョウ倶楽部がリアクションをする時には、ショートコントをしていると気付いている視聴者はほぼいないと思う。しかし実際に、ダチョウ倶楽部がリアクションをする時には、ショートコントをしている。
ということはつまり視聴者には気付かれていないが、ダチョウ倶楽部の芸が受け入れられたのには、何かの流れがあるのではないかと思いそれについて考えてみた。

この頃までの芸は、この短い時間で笑いを取るという事はほとんど無かった。
あったとしても、それを前面に押し出して芸をするという芸人は全くいなかった。
あるストーリーがあって、そのストーリーにその芸人特有のギャグを入れていくのが、それまでの漫才やコントであったからだ。

そこで1985年結成のウッチャンナンチャンが、ショートコントという4コマ漫画のようなオチのある1分もかからない短いコントを、決められた時間内に数回披露するという芸でブレイクし、更にそのショートコントは、お笑いの歴史を大きく変えるほどになったのである。

芸人は営業でコンサートなどの司会をしなくてはいけなくなる時もある。
歌手のコンサートの場合であると、衣装チェンジのために、何分間それのために繋ぐ時間があるかはわからない。
そんな時に、このショートコントという芸が重宝されるようになったのである。
普通の漫才やコントをしていたら、まだネタの途中で衣装チェンジが完了するかもしれない。
その時のために、1分もかからなくてしっかりとオチのあるショートコントが重宝されたのである。
また、営業だけでなくテレビに出演したときであっても、「島田紳助」でも述べたように、テレビで話せる時間は最大30秒までである。そして若手芸人が出演しても、発言させてくれる機会は少ない。
そこで自己紹介をするためのショートコントを披露すれば、短くて少ない機会であったとしても、なんとか視聴者の目には、印象に残るようにできるのである。
そのためウッチャンナンチャンは、ショートコントの特許を取得し、他の芸人はショートコントを披露する度に、ウッチャンナンチャンに7円を支払わなくてはいけないという都市伝説が流れたほどである。
もちろんウソであるが、そんな都市伝説が流れてしまうほど、ウッチャンナンチャンが始めたショートコントはお笑いの歴史を大きく変えたのである。

そして、ダチョウ倶楽部のリアクション芸と呼ばれる、上手く状況に合わせて使ったショートコントが視聴者にすぐに受け入れられたのには、このウッチャンナンチャンが始めたショートコントという短い時間で、笑いを取るのが面白いという世の中の流れとちょうど合流したために、ダチョウ倶楽部のリアクション芸は、視聴者にはすぐに受け入れられたのではないだろうか。

江頭2:50

よく漫才師や落語家は、「芸人は舞台で死ねたら本望だ」というようなことを言っている人がいるが、なんか嘘くさい感じがする。なんとなく伝わってこない。
それは、「江頭2:50」という芸人がいるからではないだろうか。
「めちゃめちゃイケてる」という番組の「単位上等!爆走数取団」というコーナーでは、江頭のキャッチコピーが「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であるように、舞台の上である程度決まった芸を披露する芸人の死よりも、どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦するという姿を、日本の男性は尊敬し、神と呼ばれる存在にまでなっているのである。

江頭2:50が登場するときには、布袋寅泰の「スリル」という曲が流れる。
江頭2:50のモットーは、「1クールのレギュラーよりも、1回の伝説」である。そのモットーを表しているかのように、江頭2:50の伝説は、数え切れないほどあると言っても良い。
その数え切れないほどの伝説があるため、
「Baby Baby Baby Baby Baby Baby Baby」
で始まる、一般人には理解できない歌詞の曲を、今ではもう「江頭2:50の曲」にしてしまい、この曲が流れると「江頭2:50」を連想させ、笑いが起こるという現象まで起こしてしまっているほど、江頭2:50という芸人は影響力があるのである。

では、そんなに影響力のある江頭2:50の伝説とは、どのようなものがあるのだろうか。
まず、その意味のわからない芸名の由来から、もう既に他の“芸”人とは違う。
デビュー当時は、「バッテン江頭」の芸名を名乗っていたが、夜中に酒を飲んで酔いが回ると必ずと言っていいほど、深夜2時50分以降に暴れ出し、ゲイキャラになることから江頭2:50と名付けられているのである。
そして芸風は、江頭本人は、「客を引かせることが何より楽しい」と語っていて、テレビでは“暴走キャラ”として知られ、「いきなり出演者に体当たりをする」「暴言を吐いたり説教を行う」「客席に飛び込む」「男女問わず出演者にキスを強制する」など暴れ回り、スタッフから「今日は生放送だから何もしないように」と言われると、それは芸人に対するフリだと解釈するなど、生放送とか収録番組だということは江頭には関係ないのではないのだろうかとも思わせる。
さらに江頭は、「警察は男の公然わいせつをもっと取り締まるべきだ。そうすれば、俺の仕事が増えるから!規制が緩くなると、逆に俺が伝説を作りづらくなる」という発言をしていたり、
番組の企画で、成人男性の平均的な塩の摂取量を遥かに超える量の塩を丸飲みしたり、ボトル3~4本分のワインを一気飲みしたりするなど、下手をすれば死にかねないような行為を後先考えずに実行したりする。
そして何か興味があることや、世間を賑わす事件やニュースなどが起こった場合には、自ら足を運ぶほどの現場主義であり、過去にはパナウェーブ研究所に変装をして無断で潜入したり、
公衆の面前で、性器・肛門等を露出することが日本よりも強く禁じられているトルコで、「ザ・道場破り!」という番組の企画で舞台に上がり、全裸でパフォーマンスをして、わいせつ物陳列罪の容疑で逮捕され、75円の罰金を払い釈放され、その後のトルコ国内の調査において、江頭は有名な日本人として「オノ・ヨーコ」に次ぐ第2位にランクインしていたり、
ラジオ出演であるにもかかわらず、福島県メスの鮭のつかみ取りに参加して、取った鮭に自分の性器を咥えさせたり、
「名門パープリン大学日本校」という番組のレギュラーになり、開始すぐに全裸になりライターで陰毛を燃やして、レギュラーになった番組を20分で降板させられたり、
「浅草橋ヤング洋品店」という番組で、ダンプカーの免許習得にチャレンジする企画があり、最終テストで駐車してある教官のベンツの真横にバックで駐車することに挑戦したが、結果は失敗してベンツは大破。そして後日、500万円以上の損害賠償金を請求されたり、
密かに入手した認可前のバイアグラ錠5錠を水割りと共に飲み干し、間もなくして卒倒して病院に搬送され、搬送先の病院で急性アルコール中毒と診断され、点滴治療を受けた。この事件は一般紙を含むメディアで大きく報道され、結果として厚生労働省によるバイアグラの認可が遅れたれたという逸話が残っていたり、
子供番組の「ポンキッキーズ」で下半身を露出したり、
「笑っていいとも!」に準レギュラー同然の扱いで出演していた時期があったが、ゲストの橋田壽賀子にキスをして降板させられたり、
北朝鮮に行って、江頭が当時流行していたテツandトモの「なんでだろう」の朝鮮語バージョンを披露すると、北朝鮮において「なんでだろう」は現体制を批判する禁句とされているため、江頭は危うく反乱分子として身柄を拘束・逮捕寸前となったり、
カタツムリ顔面のせという項目でギネス記録更新して申請したりしている。

まだまだこれ以外にも、むちゃくちゃなことをいっぱいしているのだが、実は江頭2:50は物凄く勉強熱心で真面目なのである。
江頭2:50は、芸風とは正反対に真面目で礼儀正しい常識人。非常に大人しくて腰が低い。共演者が無名の人や若手でも自ら挨拶に行く。
江頭の発言も名言が数多く存在し、
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察につかまってもいいし、寿命が縮まってもいい。」
「俺のライブに来てるやつらの顔を見てると、結婚はおろか、恋愛もまともにできないんじゃないかっていうような奴らばっかり。だけど、俺はそういう奴らのためにこそお笑いをやりたい。」
「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、たまに『死ね!』って言われるんだ。俺は言ってやりたいよ。こんな人生死んだも同然だってね」
「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれている人だっていつ死ぬか分からない。視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」
などの名言があったり、
大川興業で行われている本公演芝居では、テレビとは全く違った舞台役者としての江頭を見ることができたり、
3日に1度は映画館へ足を運び、ラジオで映画批評をやっていて、その映画批評は的を得ていると好評であったり、
どんな企画に対しても真面目に取り組んでいて、木村拓哉と剣道で勝負して木村拓哉に勝ってジャニーズファンの観客をシーンとさせたりするという真面目な一面も持っているため、日本の男性は尊敬し、神と呼ばれる存在にまでなっているのである。
だから影響力のあった芸人を選ぶ「嫌いな芸人ランキング」で、2001年から2010年まで、9年連続で1位を江頭2:50が獲得しているのである。

出川哲朗

この出川哲朗も「江頭2:50」のように、日経エンタテイメントが行っている「嫌いな芸人ランキング」では、毎年上位にランクインしていて、an.anという雑誌でも行っている「嫌いな芸人ランキング」では、2001年から2005年まで1位を獲得し続け、殿堂入りを果たしていて、更に同じくan.anが行っている「抱かれたくない男ランキング」でも1位に選ばれている。
つまり出川哲朗も、「江頭2:50」のように「嫌いな芸人ランキング」で、ランクインしているため、影響力があるタレントであるということは言うまでもない。

では出川哲朗という芸人は、なぜここまで影響力があるのだろうか。
まず、出川哲朗と比較される芸人は、ダチョウ倶楽部の「上島竜兵」である。
しかし、「上島竜兵」は「嫌いな芸人ランキング」や「抱かれたくない男ランキング」の上位にはランクインしない。
つまり単純に考えると、出川哲朗が比較されるべき芸人は、同じく「嫌いな芸人ランキング」や「抱かれたくない男ランキング」の上位に必ずランクインする「江頭2:50」と比較するべきなのではないのだろうか。
しかし現実には出川哲朗と比較される芸人は、ダチョウ倶楽部の「上島竜兵」である。
では出川哲朗が、「江頭2:50」と比較されないのはなぜだろうか。

「江頭2:50」についてもう一度述べておくと、
「江頭2:50」という芸人は、江頭のキャッチコピーが「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であるように、どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦するという姿が面白いため影響力がある芸人である。
だから「江頭2:50」という芸人は、神と呼ばれるほどの芸人なのである。
では出川哲朗という芸人は、どういう芸人なのだろうか。

まず、出川哲朗がバラエティー番組に出演しだしたのは、1990年4月から「ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA」に出演し出したのがきっかけで、それまでは「男はつらいよ」にも出演していた役者である。
しかし、「出川哲朗は演技が下手なわけではないのだが、何を演じたとしても出川哲朗になる」と、同じ劇団員である内村光良が語っている。
「ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA」に出演したのがきっかけで、その後、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出演して、ドッキリ企画などの際の立ち振る舞いや、リアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透しき、出川哲朗はリアクション芸人の地位を確立していったのである。

出川哲朗のモットーは「永遠の若手芸人」である。
そのモットーのように出川哲朗はいわゆる「汚れ役」をよく与えられる。
「進め!電波少年」の、番組特製のコンドームをエイズ予防の目的で、オーストラリア・シドニーのゲイ達に配布するという企画で、そのコンドームを渡した途端に、渡した相手が目の前でそれをつけ始め、すぐさま出川をマッチョな外人7人が取り囲み、お尻を奪われてしまったり、
同じく「進め!電波少年」で、映画「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギアのように、アメリカのコールガールを更生させる為に、モーテルの中でコールガールを説得するという企画で、英語がまともに話せず、不審に思ったコールガールが仲間のマフィアを呼んでしまい、そのまま拉致されてしまったりなどの汚れ役をよく与えられる。
しかし出川哲朗は、こんな汚れ役を与えられても必ず笑いが起こる。
それは出川哲朗という芸人は、超一流のリアクション芸人だからである。
出川哲朗という芸人は、自ら笑いを取りにいくということはない。
必ずその場の流れで汚れ役を与えられリアクションをするのである。
「島田紳助」は出川哲朗のことを、「トーク番組において盛り上がっている状況では、自分から出ていくことはせず、場の空気が沈みかけているところで自ら笑いを取っている」と出川の役割を解説し、「野球で言うたら2番バッターであり、試合(番組)を組み立てるには絶対に必要」と述べ、また、出川を元プロ野球選手の故木村拓也になぞらえ、「芸能界のユーティリティープレイヤー」であると高く評価している。
つまり、出川哲朗という芸人は、江頭2:50のように「どんなに危ないことでも笑いのためなら挑戦する」のではなく、
自分からは笑いを取るのではなく、場の空気が沈みかけているところで汚れ役を与えられ、超一流のリアクションをして、笑いを取っていく芸人なのである。

そして、「ダチョウ倶楽部」でも述べたようにダチョウ倶楽部は、
ダチョウ倶楽部のショートコントを、上手く状況に合わせて使ったリアクション芸があるために、トークもつっこみもできなくて、よくわからない人がいても、ダチョウ倶楽部が番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こると述べた。
つまり、この出川哲朗も流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であり、ダチョウ倶楽部も流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であるため、
出川哲朗は江頭2:50とは比較されず、ダチョウ倶楽部の上島竜兵と比較される芸人なのである。

しかし、出川哲朗もダチョウ倶楽部も、流れに乗り笑いを取るリアクション芸人であるため、よく比較をされるが、出川哲朗とダチョウ倶楽部の流れに乗り笑いを取るリアクション芸は全く別のものである。

まず、ダチョウ倶楽部のリアクション芸についてもう一度述べておくと、
ダチョウ倶楽部のリアクション芸とは、その状況に応じたショートコントを披露して、面白くそのリアクションを際立たせるのがダチョウ倶楽部のリアクション芸である。
では出川哲朗が行うリアクション芸は、ダチョウ倶楽部が行うリアクション芸とはどのように違うのだろうか。

出川哲朗が汚れ役を貰うときには、必ず自信家を気取ることから始まる。
ケンカをするミニコントのような場面では、高校時代はヤンキーであったと気取り、当時のあだ名は「キレたナイフ」だったなどと言ってから、そのミニコントに参加したり、
武相高等学校の後輩に元プロ野球選手のパンチ佐藤がおり、テレビ番組で共演すると出川は、「パンチ、ジュース買って来いよ!!」などと先輩風を吹かせたり、
「ネプリーグ」などのクイズ番組や、「DOORS」のようなアトラクション系の番組に出演した際には、「俺はミスター○○(番組名)だよ!」などと豪語したりなど、汚れ役を貰うときには、必ず自信家を気取ることから始まるのである。
しかし結果は、「キレたナイフ」だったというと、共演者からは「“切れた”ナイフじゃ使い物にならないでしょ?」などとあしらわれたり、
パンチ佐藤に「パンチ、ジュース買って来いよ!!」などと先輩風を吹かせると、パンチ佐藤は硬式野球部出身だけど、出川は軟式野球部出身で、接点はほとんど無かったというエピソードを話されたり、
「DOORS」に出演した際、「俺はミスター○○(番組名)だよ!」などと豪語しようとすると、「俺はミスタードーナツだよ」と噛んでしまい、共演者につっこまれたりしてしまう。
このように出川哲朗は、必ず自信家を気取ることから始まるが、その自信とは裏目になにかしらの失敗をしてしまい、それを共演者につっこませて、どんな番組でも笑いを取ってくれる超一流のリアクション芸人なのである。

これを踏まえて、出川哲朗とダチョウ倶楽部とのリアクション芸とはどのように違うのかというと、ダチョウ倶楽部のリアクション芸は、その状況に応じたショートコントを披露して、上島竜兵がリアクションを披露して肥後 克広がつっこんで笑いを取る。
それに対して出川哲朗は、自信家を気取るがその自信とは裏目に、なにかしらの失敗をしてしまい、それに対するリアクションをして、それを共演者につっこませて笑いを取るのである。
つまり、ダチョウ倶楽部はトリオで笑いを取り、出川哲朗はどんな人にでもつっこませて笑いを取るのである。

出川哲朗はどんな人にでもつっこませるため、どんな人にでもいろいろといじられる。
だから出川哲朗のモットーが、「永遠の若手芸人」であるのは、「汚れ役」を与えられるから「永遠の若手芸人」だというわけではなく、このようにどんな人にでも、いろいろといじられるから「永遠の若手芸人」なのである。

そして出川哲朗は、どんな人にでもつっこませ、いろいろといじられるのは、自信家を気取るということ以外にもたくさん存在する。
それは前にも述べたように、「出川哲朗は演技が下手なわけではないのだが、何を演じたとしても出川哲朗になる」ということにある。
出川哲朗という芸人は、どんな人にでもいじられる芸人なのである。
つまり、芸人のときも役者のときでも、たとえプライベートであっても出川哲朗は、どんな人にでもいじられる芸人なのである。
そのため、2004年4月5日、元モデルの阿部瑠理子と結婚し、抱かれたくない&嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた時に、プロポーズの際には、「ロンドンハーツ」が協力して推定5000万円の制作費を費やして、イタリア・ローマ市内でロケーションが行なわれ、その一連の模様が全国ネットで放送された。その番組で視聴者を感動させるかに思ったが、妻へのプロポーズの際に、「あなたを心から愛ちていまちゅ。結婚ちてくだしゃい」と噛んでしまい、こんなときでも爆笑を取ってしまうのは、出川哲朗がどんな人にでもいじられる芸人だからなせる業であるわけだし、
多くの写真週刊誌・ゴシップ紙の恰好のターゲットとなっていて、出川本人はその事すらネタにしてしまっているのも、
結婚はしているが、セックスレスで、夫人の方から一方的に夜の営みを頑なに拒否されているという話も、
酒は飲まないものの打ち上げに参加する事は好きで、その場では好物のコーラを飲んでいるという姿がなんか面白いのも、
愛車はポルシェ・911カレラであるということがなぜか面白いのも、
手の小指の第一関節・第二関節だけを同時に90°曲げることができて、指折りで数える時は親指から順番に拳を開いていくという独特の数え方をするのがなぜか面白いのも、
偽ブログや、偽ツイッターが存在するというのも、出川哲朗という芸人は、どんな人にでもいじられる芸人だから面白いのである。

さらに出川哲朗は、非常に細かいところにまでリアクション芸というものにこだわり続けている。
リアクション中の顔を撮影するヘルメットに装着したCCDカメラの使い方について、「顔の正面ではなく、やや下の位置に着けて背景が映りやすいようにする」というものや、「状況を伝えるため、怖がりながら首を振って周囲の背景を映す」や「レンズに水滴や砂粒が付着しても、少量なら臨場感が伝わるので拭かない」などその状況に合わせたリアクションの方法を多数考えている。
だから出川哲朗という芸人は超一流のリアクション芸人なのである。

出川哲朗は、明石家さんまからも高い評価を受けており、さんまの番組内で、「出川ぐらいの二流の芸能人になれればいい」などと発言したタレント志望の一般人女性に対し、「アホ! 出川は一流や!」と叱り飛ばしたほどであるし、
とんねるずの木梨憲武からも「怖がりながら状況をトータルに把握して出来る芸人は少なく、まさにプロ」と賞賛されていたり、
ビートたけしやダウンタウン、ナインティナイン、同期のウッチャンナンチャンなどからの信頼も厚く、和田アキ子は「出川は気持ちが悪いと言われているけれど、性格もいいし、本当にいい奴」と述べているように、実際には芸人仲間やアーティストなど多くの芸能人から尊敬され、目上からも可愛がられているのである。

しかし出川哲朗は、これ以上は褒めてはいけない芸人である。
なぜなら出川哲朗には、レギュラー番組が1本もないからである。
どういうことなのかというと、このように大御所に褒められて、世間にも評価され毎週レギュラーで出演などしてしまうと、「どんな人にでもいじられる芸人」でなくなってしまうからである。
だから出川哲朗は、これ以上は褒めてはいけない芸人なのである。
つまり出川哲朗という芸人も、江頭2:50のように「笑いのためなら死ねる数少ないサムライ芸人」であり、決して一流にはなってはいけない超一流芸人なのである。
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