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笑いの間について

いろいろなお笑い芸人やバラエティー番組などに起こる笑いの現象を書いてきて、そして「緊張の緩和理論」「話のオチの分類」などについても考えてきたが、あるお笑いの技術のことを、最初に書いたときからずっとそれ以降は避けて書いてきた。
それは「笑いの間(ま)」についてである。
「島田紳助」では、『お笑いで一番難しいものは喋りの「間」である。
この「間」を従来の漫才は経験によって習得し、それを効果的に上手く使っていた。
しかし、B&Bの漫才は喋りの間を極端に減らし、一人が喋る時間を出来るだけ長くして、ボケの回数を増やすという工夫をしていた。これによって従来の漫才よりも速いテンポで、ボケの量が多くなることで若者向けの漫才というイメージをつけることができた。』と述べた。
つまり「B&B」「紳助竜介」「ツービート」などの、「漫才ブーム」の頃の「笑いの間」は、必要最低限に減らしたということである。
そしてその「漫才ブーム」は、現在のお笑い芸人に過大なる影響を与えてきた。
しかし最近の若手芸人の漫才やコントなどは、この漫才ブームの頃の「笑いの間」を受け継いではいない。
なぜなら最近の若手芸人の漫才やコントなどの「笑いの間」は、ネタの構成やボケたときに起こる笑いの量を予測して、そのグループのネタごとに「笑いの間」を考えているからである。
では「笑いの間」に関しては、最近の若手芸人の漫才やコントなどのほうが「漫才ブーム」の漫才よりも優れているのかと言われると、そういうことでもない。
最近の若手芸人の漫才やコントなどのほうが、漫才の技術であったり聞き取りやすさといった、観客や視聴者に対しての見易さという面では、確実に上手くなっていると思う。
しかし「笑いの間」に関して言えば、あまり進化はしていない。

そして「島田紳助」では、『従来のやすしきよしを代表とする漫才とは、リアリティーが無くてテンポも遅い漫才である。
その漫才とは、良くできた作り話を2人以上の掛け合いで行うものであった。
実際にはありもしなかった結婚や引っ越しを話題にし、起承転結のある「良くできた作り話」をお笑いが好きだという人に向けてやっていたのが従来の漫才であった。
また漫才でもコントでも、その時そうであるというリアリティーがなくては、観客は笑ってくれない。だから従来の漫才は、作り話を本当にあったかのような演技や技術でリアリティーを表現しなければいけないものだった。』そして、
『B&Bの漫才はそれと大きく違っていた。B&Bの漫才は、今までは作り話だった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、今の世の中に合わせたリアリティーのある漫才であった。
リアリティーのある漫才は、世間話をしているかのようで、その人の心が見えるのでとてもパワーがある。
紳助はここに目を付けることで、演技や技術でリアリティーに見せるという技術が無かったとしても、やすきよ漫才に勝てるのではないかと考えたのである。』と述べた。
そして島田紳助はこの流れに乗り、従来の漫才師との差別化を謀っていったのである。
では、従来の漫才とは面白く無いものなのかと思ってしまうかもしれない。
しかしそんなことは絶対に無い。
今でも「やすしきよし」がもしもいたとしたら、誰でも同じネタであっても毎回笑うことができるはずである。
なぜならネタが実際にはありもしなかった結婚や引っ越しを話題にし、起承転結のある「良くできた作り話」であっても、何回も観たネタであっても、「笑いの間」がその時その時によって全く違うからである。

そもそも「笑いの間」とはなんなのだろうか。
「2代目 桂枝雀」の『緊張』と『緩和』という言葉を使わせてもらって説明しようと思う。
笑いの間を作る目的は主に2つある。
1つ目は、笑いを取って観客が笑っているという緩和状態のときに、次の話をしてしまうとその笑っている観客は緊張状態となり、その話を聞こうと思って笑うことをやめてしまう。
そのために観客の笑いが少し治まるタイミングを見計らって、次の話をし出さなくてはいけないというための笑いの間。
そして2つ目は、「フリ→ボケ」という笑いの流れの、ボケを言うタイミングを1テンポ遅らせることによって、観客に「次に何を言うんだ?」とボケに注目をさせ緊張状態にしてからの、ボケの一言で一気に緩和させるために行う笑いの間。
という2つの笑いの間を作る目的があると思う。
そしてそれはいろいろな舞台に立ち、経験を積んでいかなくては全くわからないものが「笑いの間」というものである。

この「笑いの間」が、実際にはありもしなかった結婚や引っ越しを話題にし、起承転結のある「良くできた作り話」であっても、何回も観たネタであっても、その時その時の観客に合わせて「笑いの間」を作っていくから、毎回、何度見ても面白いのである。
そして「漫才ブーム」の、「B&B」「紳助竜介」「ツービート」の漫才は、このいろいろな舞台に立ち、経験を積んでいかなくては全くわからないものである「笑いの間」を無くし、テンポとボケのセンスで笑いを取っていったのである。
しかしこのセンスというものは、いくら誰もが思いつかない発想であったとしても、1度聞いてしまえば2度目は面白くなくなってしまう。
それを理解していた「ビートたけし」と「島田紳助」が、「漫才ブーム」で有名になったことを利用して漫才を辞めて別の道に進んだのである。

実は落語の場合の「笑いの間」も全く同じである。
落語を何回聞いても面白いのは、その時その時の観客に合わせて「笑いの間」を作っていくから、毎回、何度見ても面白いのである。
では「すべらない話」は、落語が進化したものであるから、「漫才ブーム」の漫才のように「笑いの間」を作っていないのかと思うかもしれない。
しかし「すべらない話」は落語や従来の漫才のように、その時その時の出演者に合わせて「笑いの間」を作っていくから、毎回、何度見ても面白いものになっている。
つまり「笑いの間」とは、毎回、何度見ても面白いと思わせるものであるから、漫才師、落語家として一生生きていくために必要なものなのである。

これを考えてみて、2000年代のお笑いブームのときに有名になった芸人たちのネタが、なぜすぐに飽きられてしまうのかということがわかった。
2000年代のお笑いブームのネタは、「いつもワンパターンだ」とよく言われることがある。
実際、「エンタの神様の終焉」でも、ワンパターンになってしまったことが飽きられる原因だということも過去に書いている。
確かに2000年代のお笑いブームのネタの、「小島よしお」の場合であると、自虐ネタを言ってから「でもそんなの関係ねぇ!」という構成で出来ていて、確かに「いつもワンパターン」である。
しかし、従来の漫才も落語もネタは、「いつもワンパターン」であるどころか、構成で言えば全く一緒である。
それでも従来の漫才も落語も毎回、何度見ても面白い。
つまり「構成」という面で考えると、「いつもワンパターンだ」という指摘は全くもって間違いである。
しかし「いつもワンパターンだ」という言葉は、2000年代のお笑いブームのネタがすぐに飽きられてしまう理由である。
なぜなら2000年代のお笑いブームのネタは、ネタの構成やボケたときに起こる笑いの量を予測して、そのグループのネタごとに笑の間を考えてはいるが、その時その時の観客に合わせて「笑いの間」を作っているものではない。
2000年代のお笑いブームのネタは、リズムに乗ったり、同じテンポでボケを言っているというようなネタがほとんどである。
このリズムやテンポを変えてしまうと観客や視聴者は笑ってくれない。
それは、その観客や視聴者はそのリズムやテンポを望んでいるからである。
しかしそうなると笑いが収まるのを待ったり、1テンポ遅らせるといった「笑いの間」はリズムやテンポを変えてしまうことになるため出来なくなる。
つまり、2000年代のお笑いブームのネタがすぐに飽きられてしまうのは、「笑いの間」が「いつもワンパターン」だからということなのである。

しかし、「ビートたけし」や「島田紳助」のように、一度は有名になったのだから漫才とは違う道で、認められれば良いのであるから、「笑いの間」とは、漫才師、落語家として一生生きていくためだけに必要なものなのである。
それでも漫才師、落語家以外にもこの「笑いの間」を使うことは出来る。
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