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今の落語について

芸人の中で、誰が一番面白いかということを決めることは、まず不可能なことである。
なぜなら、芸人といっても数限りなく沢山のジャンルがあり、他のジャンルの芸を比べても観る人によって全く違うからである。
しかし、面白いか面白くないかをはっきり分けることが出来る芸のジャンルがある。
それが落語である。
それは落語とは同じ話であったとしても、全く同じ話ということは絶対に無い。
なぜならその話の話し方であったり、その話の構成力、笑いの間の作り方、演技力などで自分なりにアレンジし、客を飽きさせないように喋り続けなくてはいけないからである。
そのため落語はその芸人によって、たとえ面白い話であっても面白いか面白くないかははっきり分けることが出来るのである。
しかし現在では漫才のナンバー1を決める「M-1グランプリ」、コントのナンバー1を決める「キングオブコント」、ピン芸人のナンバー1を決める「R-1ぐらんぷり」といった大会があるのにもかかわらず、面白いか面白くないかはっきり分けることが出来る落語の大会が、テレビでは全くといって良いほど行われることは無い。
更に落語が放送されている番組は、NHKの朝5時に放送されている「日本の話芸」という番組と、TBSで月に1回だけ深夜に放送されている「落語研究会」という番組だけである。
なぜなら、それは今、落語に人々があまり注目していないからであろう。
ではなぜ面白いか面白くないかはっきり分けることができ、話の構成力、笑いの間の作り方、演技力など笑いの手の内が全て明らかになる落語はあまり人々が注目していないのだろうか。

それはもう既に、「島田紳助」で述べられていることに答えがある。
『従来のやすしきよしを代表とする漫才とは、リアリティーが無くてテンポも遅い漫才である。
漫才とは、良くできた作り話を2人以上の掛け合いで行うものであった。
実際にはありもしなかった結婚や引っ越しを話題にし、起承転結のある「良くできた作り話」をお笑いが好きだという人に向けてやっていたのが従来の漫才であった。
また漫才でもコントでも、その時そうであるというリアリティーがなくては、観客は笑ってくれない。だから従来の漫才は、作り話を本当にあったかのような演技や技術でリアリティーを表現しなければいけないものだった。』と述べた。
落語もほとんど同じである。「漫才」の部分を「落語」という言葉に入れ替えればほとんど良いだけである。
そして、「B&B」の漫才から、今までは作り話だった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、今の世の中に合わせたリアリティーのある漫才でやすきよ漫才の時代を終わらせたのである。
そして「漫才ブーム」が起こりそこからのテレビを変えた。
しかし落語は、漫才のように今までは作り話だった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、今の世の中に合わせたリアリティーがあるようにはできないのである。
なぜなら「落語」とは、座布団の上に正座したままで、良くできた作り話を話題にし、その作り話を話術だけで本当にあったかのようなリアリティーを表現するというものだからである。
つまりその形を変えてしまうと落語ではなくなり、漫談となってしまうのである。
たまに新人の落語家が座布団の上に正座せずに、形態模写をしながら物語などを話すことがある。
しかしこれは大きな間違いであり、座布団の上に正座するからこそ、観客の頭の中に物語を話術だけで描かせることができるのであって、立ったりしてしまうと観客は頭の中に物語を描かずに、舞台に立ってしまっている漫談家となった落語家に集中してしまうのである。
だから落語とはこれ以上新しくなることは無く、その話の構成力、笑いの間の作り方、演技力などで自分なりにアレンジするという誰が見ても違うのに、ほんの少しの同業者にしかわからないような変化でしか変わることは無いのである。
だから日々変わっていくテレビと、これ以上新しくなることは無い落語が合わさることは無いのではないだろうか。
つまりこの「落語」という芸のジャンルでは、これからも人々に注目されることはあまり無いのではないだろうか。
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