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FUJIWARA

今テレビで「FUJIWARA」を見ない日はない。
「クイズ!ヘキサゴンⅡ」でもわかるように藤本敏史は、ひな壇芸人としてどんな番組であっても欠かせない存在であり、原西孝幸は日本一のギャグ芸人となっている。
更に、映画監督北野武が「FUJIWARA」主演の映画を撮るという構想があったが、藤本敏史が木下優樹菜と結婚して幸せそうになったから、その映画の話はなくなりアウトレイジ2を撮ることになったという話もあったという。

ではなぜ「FUJIWARA」は、今テレビで見ない日はないといわれるほどとなり、藤本敏史はひな壇芸人としてどんな番組であっても欠かせない存在になり、原西孝幸は日本一のギャグ芸人となっているのだろうか。

「FUJIWARA」は、1989年4月にコンビを結成した。
そしてデビューしてすぐの1991年9月には、「ナインティナイン」「雨上がり決死隊」「ほっしゃん。」「宮川大輔」「バッファロー吾郎」などが所属していた若手ユニット「吉本印天然素材」に結成とともに参加し、関西では大人気となる。
更に、MBSヤングタウンというラジオ番組で競演したことによってつんく♂とも交流があり、1994年にはつんく♂がモーニング娘。よりも前に、初めてプロデュースした曲である「明日が来る前に」でCDデビューを果たす。
この勢いで「吉本印天然素材」のメンバーの中で、一番早く東京に進出を果たすことになる。
しかしその後「吉本印天然素材」の活動は停止し、「FUJIWARA」は何年も仕事のない状態が続き、東京進出を諦め大阪に戻ることになる。

そんな最悪の状況に合った「FUJIWARA」に突然、大阪ローカルのレギュラー番組、しかも冠番組が決まる。
その番組が、1997年10月に始まった「吉本超合金」である。
なぜそんな最悪の状況にあった「FUJIWARA」に突然レギュラー番組、しかも冠番組が決まったのだろうか。
それはこの「吉本超合金」という番組は、その当時人気急上昇していた「2丁拳銃」を売り出すために始まった番組だったからである。
ではなぜ、「2丁拳銃」を売り出すために始まった番組であるにもかかわらず、「FUJIWARA」の冠番組となっているのだろうか。
それは、「2丁拳銃」は人気急上昇していたが、その時はまだまだ若手芸人である。実力はあったとしても上手くいかないかもしれない。上手くいかなかったら「2丁拳銃」は面白くないと思われてしまうかもしれない。
それならば、先輩芸人であるが人気の無い「FUJIWARA」の冠番組として、もしも失敗をしてしまったときには「2丁拳銃」ではなく、先輩の「FUJIWARA」に非があると思わせるようにするために、「FUJIWARA」の冠番組として番組を始めたのである。
そんな始まり方をした番組であったが、「FUJIWARA」の実力によって、誰も想像していなかったような良い結果を生み出すことになる。

「吉本超合金」の番組内容は、スタジオでの撮影ではなく地域密着型のロケ番組であり、そしてそれぞれが街の様々なスポットへと繰り出して体当たりロケを敢行し、様々な企画に挑戦するという番組内容である。
大阪のその地域に住んでいれば、誰でも知っているというような場所での超地域密着型のロケと、ローカル番組ならではのちょっと下品さもある面白さによって「吉本超合金」は関西の若者の中で大人気となり、学校では「超合金観た?」という会話が行われ、若者の中でのお約束となっていた。
更にはその面白さから、地域を越えて北海道や愛知、九州でも放送が開始されるようにもなる。
仕事が全くないという最悪の状況にあった「FUJIWARA」は、その実力でこの逆境を跳ね除けたのである。
そして「FUJIWARA」は、これから全国区のタレントになるのだろうと関西のファンは確信していた。
しかしそうはならなかった。
関西の若者の中で大人気となり、更にはその面白さから地域を越えて北海道や愛知、九州でも放送が開始されるようにもなった「吉本超合金」ではあるが、東京では全く放送されることはなかったからである。
なぜならその当時、関東では「ボキャブラ天国」が大ブームになっていたからである。
つまりその当時は、「ボキャブラ天国」のようなネタが好まれ、「吉本超合金」のような番組は、この時代には全く合っていなかったのである。
そしてそのまま「2丁拳銃」の東京進出に伴い、「吉本超合金」は終了することになった。

そして2002年、「FUJIWARA」はまた東京に進出することになる。
しかしそのときはお笑いブームが始まりだし、決してネタで勝負するタイプの芸人ではない「FUJIWARA」は苦戦することになる。
そんな悪い状況を打開したのが原西孝幸である。
2000年代のお笑いブームでは、「エンタの神様」などの影響によって、覚えられやすいフレーズを使ったギャグが流行った。
その影響により、一発ギャグを披露するというバラエティー番組の1コーナーが作られるようになった。
そこで原西孝幸は大活躍したのである。

では、原西孝幸の一発ギャグとはどういうものなのだろうか。
前にも述べたように、2000年代のお笑いブームでは、「エンタの神様」などの影響によって、覚えられやすいフレーズを使ったギャグが流行った。
しかしそのようなギャグは世間でどんどん流行り、誰でもマネをしてしまうため飽きられるスピードが速い。
それに比べて原西の一発ギャグとは、絶対に素人ではマネをすることが出来ない動きをするギャグである。
そのため絶対に流行ることはないが面白いということで、原西のギャグには値打ちが付き、今では日本一のギャグ芸人となっている。

そこから徐々にテレビに出演することになり、「リンカーン」などの番組では「吉本超合金」でも活躍した原西孝幸のお母さんが大人気となり、それによって「リンカーン」にもよく呼ばれるようになる。
そして同じく「リンカーン」内の企画では、藤本敏史が新宿二丁目の同性愛者の間だけで通じる「どんだけ~」というギャグを身に着けることになるが、その当時人気となっていたIKKOにそのギャグを多用され、そのギャグがIKKOのものになってしまう。
しかしそれがまたほんの少し話題を呼び、「めちゃ×2イケてる!」にもよく出演することになる。
原西孝幸はシンクロナイズトテイスティングという企画に出演し、岡村隆史とのコンビネーションで話題となり、「FUJIWARA」としては、「恋のかま騒ぎ」に出演することになる。
この「恋のかま騒ぎ」が、今の「FUJIWARA」の基礎となる。
「恋のかま騒ぎ」とは、女装した芸人が自分自身を彼氏と仮定し、恋愛感やエピソードを暴露されてしまうという企画である。
そして芸人たちは、本来の「明石家さんま」の恋のから騒ぎと同じようにひな壇に座り、与えられたトークテーマについて暴露しあう。
このようなことを最近ではひな壇芸と呼ぶ。
ではこのひな壇芸とは芸人にとってどのようなものなのだろうか。

テレビ番組において雛壇が多用されるようになるのは、1985年4月に始まった「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の頃からであると言われていて、そこから現在のようなトークで掛け合いをするというスタイルが定着したと言われている。
最近になって、なぜここまでひな壇芸というものが重要視されてきたかというと、今のテレビは、お笑いブームが起こって若手芸人が大量に世に出てきたのに、「ビートたけし」「タモリ」「島田紳助」「明石家さんま」などの大御所は、引退をせずに現役バリバリで仕事をするという状況にある。
そんな状況に焦った中堅芸人たちが、過去にひな壇芸人として活躍し、そこから冠番組を持つようになった「今田耕司」「東野幸治」「くりぃむしちゅー」等の芸人のようになるために、ひな壇芸を磨いていったからである。

このひな壇芸で、藤本敏史にしかできない面白さが“司会者”の間だけで浸透したのである。
藤本敏史がプチ整形をしているなどと暴露されたときには、しっかりとつっこみながら、外見とは違い中身は物凄く人を気にするといったキャラクターを見せる。
司会者が藤本敏史のキャラクターや性格をいじりたいときには、それに対してしっかりとつっこんでくれるため気軽にいじることができる。
藤本敏史の出番ではないときには、司会者やひな壇の芸人が話しやすいようにガヤを飛ばす。
このときのガヤも藤本敏史にしかできないガヤである。

ガヤとは、司会者がネタとして芸人達をないがしろにするような言動を取った時や、クイズ席やステージに上がっているゲストが大ボケをした時に、雛壇の後方から大声でツッコミやヤジを入れたり、揃って席から転げ落ちるなどのリアクションを取ったりすることである。
しかしゲストの本音が知りたいときに、ひな壇芸人に座っている芸人全員が同じことを言ったりすると、視聴者は本音を知りたいのにネタっぽく見えてしまう。
例えるならひな壇芸人が、「笑っていいとも!」の客のようにお約束のセリフを言っているだけのように見えて、リアリティーさがなくなってしまうことがあるのだ。
しかし藤本敏史のガヤは、そのゲストの検索関連ワードのような独自の言葉をガヤに取り入れ、そこからトークを膨らませてもらうようなガヤをする。
これらによってトークがスムーズに運び、必然的に司会者の間でも面白いと認められるようになったのである。

このように「FUJIWARA」は、「吉本超合金」で若者の会話の中での「お約束」になって以降は、原西孝幸はその時のブームに逆らいギャグを流行らさずに、藤本敏史のギャグも流行にせず、ガヤでもガヤをお約束のセリフのようにはしないで、ひな壇芸人として視聴者に印象を残すことよりも、司会者に認められるようになることを目指すという早く売れるための法則とは真逆の方向に進むことによって、かなりの年月がかかったが、今テレビで見ない日はないといわれるほどとなり、藤本敏史はひな壇芸人としてどんな番組であっても欠かせない存在になり、原西孝幸は日本一のギャグ芸人となっているのではないだろうか。
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