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「タモリ」「森田一義アワー 笑っていいとも!」

日本に住んでいる視聴者の生活リズムの中で、一番の「お約束」となっているバラエティー番組は「笑っていいとも!」であると言い切って間違いないだろう。
それは平日の昼の12時から必ずテレビを付ければ放送されているからである。

そんな「笑っていいとも!」が放送開始されたのは、「オレたちひょうきん族」でも述べたように、
1980年ごろ漫才ブームが起こり、「ツービート」「紳助竜介」「B&B」「ザ・ぼんち」などの芸人の人気により、漫才ブームの芸人たち司会による「笑ってる場合ですよ!」という番組が、フジテレビの昼の12時から放送されていた。
しかしそのメンバー達が人気だったのは、あくまで漫才ブームがあったからであり、その番組の観客は、そのブームに乗っているだけのあまりわかっていない若い女性がほとんどであった。
このままでは確実に人気が無くなっていってしまうということで、「笑ってる場合ですよ!」を終了させ、「ビートたけし」を中心に、笑いを追及し続けた伝説のコント番組である「オレたちひょうきん族」が始まり、「笑ってる場合ですよ!」の時間帯には「タモリ」司会の観客は18歳以上限定の公開番組である「笑っていいとも!」を1982年10月4日にスタートさせた。

ここで気になることがあるはずだ。
漫才ブームで人気だったメンバーは、たしかにこのままでは確実に人気が無くなっていってしまうということは目に見えていたことである。
しかしそれをわかっていたのは、しっかりとその先のことを考えることができていた人たちだけであって、普通になにも考えずにテレビを観ている視聴者には、「なんで終わっちゃったの?」としか思えないことであったはずである。
視聴率も悪かったわけでもなく、そのブームに乗っているだけのあまりわかっていない若い女性であったとしても、ファンは確実にたくさんいたわけである。
そんな状況で終わるということは、当然次の番組はこの漫才ブームの芸人たちよりも面白いのだろうと視聴者は勝手に予想してしまっていたはずである。
それを示すように「笑っていいとも」は、世間からは3ヶ月で終わる番組というレッテルを貼られてしまっていたという。
しかし「笑っていいとも」は、番組開始から28年経った今現在でも番組が生放送され続けていて、生放送単独司会最高記録という賞をギネス・ワールド・レコーズから受賞している。

では、なぜ「笑っていいとも」は、世間からは3ヶ月で終わる番組というレッテルを貼られてしまっていたのにもかかわらず、番組開始から28年経った今現在でも番組が放送され続けているのだろうか。

そもそも、まず漫才ブームの芸人たちが司会をしていた「笑ってる場合ですよ!」の後番組である「笑っていいとも」の司会になぜ「タモリ」が選ばれたのかということから考えてみようと思う。

タモリが芸能界にデビューすることになったきっかけは、師匠に弟子入りしてその師匠の芸を盗みながら力を付けていき舞台に出て行くというものではなく、
山下洋輔、中村誠一というジャズのメンバーが福岡のホテルで酒を飲み、部屋にあったゴミ箱を頭にかぶってメンバーで歌舞伎の踊りや狂言などいるところに、同じくそのホテルで飲んでいたタモリが乱入し、ゴミ箱を取り上げて自ら歌舞伎を踊り始め、その行動に中村誠一がインチキ朝鮮語でなじったところ、タモリがそれより上手なインチキ中国語で返答したために、双方が意気投合したという。
それで九州には伝説の男・森田がいるということで福岡から東京に呼ばれ、すぐに独演会を開き「四ヶ国語麻雀」などの芸を披露し、その芸に感銘した赤塚不二夫が自分の家に居候させることになる。
そして、赤塚が出演する「赤塚不二夫の世界」の生放送にそのまま連れて行かれ、インチキ牧師などのパフォーマンスを演じさせ、偶然その番組を観ていた黒柳徹子が「徹子の部屋」に出演したことによって、芸能界入りしたという異例中の異例の芸能界デビューを果たしている。

その当時の「タモリ」の芸は自らが密室芸と称し、「中洲産業大学芸術学部西洋音楽理論教授」や「タモリ教授」、「森田一義助教授」といった架空の肩書きをしばしば名乗り、「ハナモゲラ語」「イグアナ」「四カ国親善麻雀」「北朝鮮のアナウンサー」「ベトナム人」「昭和天皇」などのモノマネを披露するというものであった。
それ以前のモノマネは、政治家のモノマネや歌手の歌真似を中心とするというような「声帯模写芸」とは題材やアイデアの面で一線を画し、後の「モノマネ芸」に多大な影響を与えたのである。

しかし自らも密室芸と称しているように、その芸はマニアックなものであり、タモリ自身はその当時は「江頭2:50」のような芸人だったと語っている。

それでもその密室芸と呼ばれるマニアックな芸風のタモリが、「笑ってる場合ですよ!」の後番組である「笑っていいとも!」には必要だったのである。
何度も述べているが、「笑ってる場合ですよ!」の芸人たちは、漫才ブームで活躍した若い女性に大人気の芸人たちである。
その後番組を任せられる芸人は誰かと考えると、同じようにアイドルのような芸人であったら漫才ブームの芸人たちと比べられてしまい、ちょっとその芸人が少し笑いを取ることができなかっただけで「笑ってる場合ですよ!」のほうが良かったなどと言われてしまうことは目に見えていることである。
アナウンサーなどが司会をやったらワイドショーのような他局でもよくやっている番組となってしまい、フジテレビが築いてきたバラエティー番組ではなくなってしまう。
だから漫才ブームで活躍した芸人たちとは全くの異色である密室芸と呼ばれるマニアックな芸風のタモリが「笑っていいとも!」には必要だったのである。

では、なぜ「笑っていいとも」は、世間からは3ヶ月で終わる番組というレッテルを貼られてしまっていたのにもかかわらず、番組開始から28年経った今現在でも番組が放送され続けているのだろうか。

それは「笑っていいとも!」という番組の特徴を考えてみるとわかる。
「笑っていいとも!」は平日の昼の12時という時間帯に、公開収録という形で生放送されている番組である。
そしてその公開収録が行われるスタジオは、新宿にある新宿アルタの7階にあるスタジオアルタという最大収容人数200人程度の小さなスタジオである。
「笑っていいとも!」の番組の内容は、まず覚えやすい音楽が流れ観客からは拍手が起こり、その拍手で盛り上がった会場を『チャッ、チャッチャッチャ』の拍手で締め、テレビでお馴染みのタレントが登場し、テレフォンショッキングの前には、なんでもないようなことをタモリが観客に喋りかけ『そうですね』という掛け合いを行い、最後は『また明日も観てくれるかな?』『いいとも』と言うという番組内容である。
この番組の内容を考えてみると、決して面白いとは言えない内容である。
なんでもないようなことをタモリが観客に喋りかけ『そうですね』という掛け合いや、『また明日も観てくれるかな?』『いいとも』という掛け合いも、それを知らない人が見たら、ただ身内ウケで盛り上がっているだけであって、言わば高校の学園祭で生徒だけが笑う学校の先生のモノマネくらいの面白さである。

しかしこの番組は、新宿にある新宿アルタの7階にあるスタジオアルタという最大収容人数200人程度の小さなスタジオで生放送されている番組であるため、観客には一体感が生まれるのである。
そしてタモリの芸風とは密室芸と呼ばれるマニアックな芸風である。
この密室芸というものは、その芸の元を知らないと全くわからないネタであるため身内ウケである。
そんな身内ウケで異例中の異例で芸能界デビューしたタモリという芸人は、身内だけを笑わせる天才なのである。

その身内ウケの天才が、平日の昼の12時という視聴者がゆっくりとしている時間帯にいつでも観ることができて、覚えやすい音楽が流れ観客からは拍手が起こり、その拍手で盛り上がった会場を『チャッ、チャッチャッチャ』の拍手で締め、ゲストにはテレビでお馴染みのタレントが登場し、テレフォンショッキングの前にはなんでもないことをタモリが観客に喋りかけ『そうですね』という掛け合いや、『また明日も観てくれるかな?』『いいとも』という掛け合いを行う。
普通ならただの学園祭のような身内ウケではあるが、一体感の生まれやすいスタジオアルタで生放送するという要素と、身内ウケの天才であるタモリがこのような身内ウケを行い、平日の昼の12時という時間帯であれば、視聴者全員を身内にしてしまうのである。
だからたとえ世間からは3ヶ月で終わる番組というレッテルを貼られてしまっていたとしても、実際には3ヵ月後には日本中の人々をタモリの身内にしてしまっていたのである。

そのため現在の「笑っていいとも!」は、番組開始から28年経った今現在でも番組が生放送され続けていて、生放送単独司会最高記録という賞をギネス・ワールド・レコーズから受賞することができて、タモリ自身はマニアックであった芸風から「ビートたけし」「明石家さんま」と共にBIG3と呼ばれるような存在にまでなっていったのではないだろうか。
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