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関西の笑いと関東の笑いの違い

「漫才ブーム 1」でも述べたが、
『関西の芸人は、関西弁という魔法の言葉を使う。これによって関西弁を話しているだけで面白い人。関西弁で会話をしているだけで漫才のように聞こえるといったようなイメージを一気に全国ネットで広めたのである』と述べた。
ではなぜ、関西弁は面白く感じる魔法の言葉のように思えて、更に関西の人が会話をすると漫才のように聞こえてしまうのだろうか。

それにはまず関西の芸人特有のつっこみであり、関西では生活に慣れ親しんだ言葉である「なんでやねん」という言葉から考える必要がある。
実はこの「なんでやねん」という言葉は、ほとんどのボケに対するつっこみとなる言葉なのである。
だから、たとえ素人であっても、ボキャブラリーが全く無い人であっても、昔の大阪の芸人が作り出して、漫才ブームなどで日本中に浸透させたという実績があるため、どんな関西の人が会話をしていたとしても、「なんでやねん」という言葉さえあれば、その会話は漫才に聞こえ面白く感じてしまうのである。

では、なぜ関西ではこのような独特の文化があるのかということを調べてみた。
確かではないのだが有力な説が、「東京は武士の文化」であり、「関西は商人の街」であるという説が有力である。

元々江戸は、政治の中心の文化であり、自分は博学であり他人より優れているということを、どのようにして相手にわからせるかで地位のようなものが決まる。
逆に言えば敗者は去れ、というような文化であった。
そして、その当時の江戸の伝統的な娯楽といえば江戸落語である。
その江戸落語の内容は、与太郎といった頭の弱い人物を出してきて、噺家は第三者的にそれを語る。
話し手は客の上に立ち、客である聞き手も、ある程度の知識がなければ、与太郎のこっけいな話が分からない。
それをわかるのが「粋」というような言葉で表現されている。
東京の料理であっても、最近はそうでもないが、東京の美味しい店というのは高級店のことを指さなければなけないというような文化があり、そこに行けるだけ金があって、その味が分かる、それが東京のステータスといった傾向がある。

関西は商人中心の街であり、「わてはホンマにアホでっしゃろ」、「ウチは下品で色気のない女やさけに」とわざわざ自分のことを悪く言うことによって、相手を満足させることに徹する。
しかし商人であるため、あえてアホなフリをして相手の下に立ち、「銭金を儲けたもんが勝ち」と思っているような街なのである。
そのため関西の娯楽である伝統的な上方落語も、屋外のざわめきの中でどのようにして人を呼び寄せることができるかというところから始まっているため、小道具や鳴り物などを使っていたり、聞き手にしっかりと伝わるように語りかけるように話す。
関西で上方落語と同じく象徴的なのが漫才であり、この漫才もボケはその人自身がボケでアホなことを演じ、客は「こいつホンマにアホな奴やな」と喜ぶという文化がある。
漫才で芸人が登場するときに必ずといって「どうも~!」と登場するのも、最後に「ありがとうございました」と言って終わるのも、客が上の立場にいるからである。
大阪の料理であっても、「安くて美味いもんがホンマに美味いもん」というような、安い食材を工夫して美味しく料理する技が評価される傾向にある。

つまり、関西の芸人と関東の芸人の違いは、関西の芸人はあえてアホなフリをして相手の下に立ち笑わせ、関東の芸人は客の上に立ち笑わせるというものであった。

しかし関東の場合、これらは全て過去の話である。
最近のお笑い芸人は、関西とか関東などというものはほとんど関係なく、関東の芸人があえてアホなフリをして相手の下に立つこともあるし、関西の芸人が客の上に立ち笑わせるということもある。
漫才ブーム以降、関西の芸人であっても関東のテレビに出演するようになったため、日本全国で関西の笑いの文化が広まっていったのである。
東京という街は、今ではほとんどが東京生まれではない人たちばかりであり、関西の芸人だけでなく、どの地方出身者の芸人でも面白いのであれば受け入れるという文化になっている。

しかし、ここまで笑いが進化しているのにもかかわらず、あまり変わっていない地域がある。
それが、関西の視聴者や観客である。
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