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「コント55号の世界は笑う」、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」

「コント55号の世界は笑う」は、1968年7月13日の土曜日の夜8時から、コント55号の萩本欽一と坂上二郎がテレビ番組の編集を上手く利用し、いろいろなコントを披露していった番組である。
しかし、その翌年の1969年10月4日に、TBSでザ・ドリフターズによる「8時だョ!全員集合」を同じく土曜日の8時に開始させ人気となり、1970年3月28日に「コント55号の世界は笑う」は終了してしまう。
そして、1975年4月5日土曜日の8時に視聴率で劣勢続きだったフジテレビが、高視聴率を誇るザ・ドリフターズのお化け番組「8時だョ!全員集合」(TBS)に対抗するため、土曜日の8時に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」をスタートさせ、巻き返しを図った。
「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は、「コント55号の世界は笑う」がリニューアルした番組ではなく、1972年10月9日から萩本欽一がやっていたニッポン放送のラジオ番組である「欽ちゃんのドンといってみよう!」を、コント番組として放送したテレビ番組である。
では、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」というラジオ番組とは、どういう内容だったのだろうか。

「欽ちゃんのドンといってみよう!」とは、一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させて、それをラジオで流して良いと思うものを、萩本欽一が選ぶという内容のものであった。
実は前にも述べた「ビートたけしのオールナイトニッポン」は、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」にビートたけしが影響を受けて、自分なりにアレンジしたものである。
つまり、今の地上デジタル放送の特性を上手く使った番組の原型となったラジオ番組なのである。
2001年4月11日から2007年9月26日までフジテレビで放送されていた「ココリコミラクルタイプ」という番組や、2010年7月27日から日本テレビで放送されている「1億3千万人のエピソードバラエティー コレってアリですか?」という番組も、「欽ちゃんのドンといってみよう!」が原型であるといえる。

そして、この「欽ちゃんのドンといってみよう!」がコント番組としてリニューアルし、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」になり、視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にしたコント番組となったのである。
たとえ誰かが失敗をしたとしても、NGとはせずに放送し続けるという今ではバラエティー番組では当たり前の演出の走りともなっていて、その面白さがウケて、その時期に低迷していたドリフターズも影響して、なかなかの視聴率を誇っていたが、またドリフターズが大人気となったため、1980年3月に「欽ちゃんのドンとやってみよう!」は終了することとなってしまった。

わずか2年という短命番組ではあったが、「オレたちひょうきん族」など、「土曜日の8時」という時間を、各年代を代表するテレビバラエティーを築く時間帯として定着させ、また「欽ちゃんVSドリフ」という、後世に語り継がれるライバル図式を生み出したことから、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」がテレビ史・お笑い史に残した影響は相当に大きいと考えられている。

では、萩本欽一がここまでしても、視聴率で上回ることのできなかった「8時だョ!全員集合」という番組とは、どのような番組なのだろうか。
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