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ビートたけしのお笑いウルトラクイズ

この番組は、1989年1月2日から1996年4月6日まで、日本テレビで放送されていた番組で、同じ日本テレビで放送していた局の看板番組である「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」をモチーフとした、お笑い芸人のためのクイズ番組としてスタートした。
芸人数十人を集め、熱海やスパリゾートハワイアンズなど東京近郊の温泉地に宿泊しながらロケを行い、クイズと言いながら超過酷なゲームで体力・知力を競い合い優勝者を決めるという内容のビートたけしの冠番組である。
今ではこの番組は伝説の番組と称されている。
この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズという番組」は、「売れない芸人をテレビに出してやろう」という思いから始まった番組であるとビートたけしは言う。ビートたけしの弟子であるたけし軍団などの芸人を目立たせるために、この番組を始めたのだとビートたけしは語っていた。

過酷なゲームの内容は、プロレスラーとの対戦やスカイダイビングやロケットのように芸人が飛ばされたり、闘牛の格好をした車が暴走したり、バスに乗りクレーンで吊るされて海に落とされるといった超過酷な企画や、人間性クイズというドッキリ企画など、視聴者であっても「大丈夫なのか?」と思わせるほどの過酷な内容であった。
そのため、この過酷な内容に対する芸人のリアクションが視聴者にウケて、この番組から「ダチョウ倶楽部」、「出川哲朗」、まだまだその当時は知名度の低かった「ナインティナイン」など多数の芸人を、全国的に有名にした番組へとなったのである。

この番組は過酷な内容に挑戦する芸人の番組である。
だからただ単にそのまま放送していただけでは視聴者は引いてしまう。
しかしこの番組は違う。
どう違うのかというと、この番組はその当時、芸能界で天下を取ったビートたけしの冠番組だから違うのである。
「M-1グランプリ」にも書いたが、「M-1グランプリ」という番組で優勝した芸人にはスターへの階段が用意されているのは、面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決めるのであるから当然といえば当然である。
この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」という番組で、審査員の立ち位置にいるのがビートたけしである。
つまりこの番組は、芸能界で天下を取ったビートたけしを笑わせることによって、視聴者にもこの番組の面白さがより伝わるのである。
実際にビートたけしも、この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」という番組が一番好きな番組と語っている。
つまり、多数の芸人を全国的に有名にしたのは、今の芸能界の原型を作ったと言って良いビートたけしを面白いと思わせた芸人達なのであるから当然といえば当然なのである。
そしてそんな芸人達が輩出していたからこそ、この番組は当時人気番組へとなったのだろう。

しかし「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」はその当時、低俗番組と呼ばれていた。視聴者からのクレームは、放送回数が増えるたびに多くなっていった。
なぜなら、いくらビートたけしが楽しそうに笑っていたとしても、テレビに映し出されている映像は過酷なシーンばかりである。
そこしか観てくれない視聴者にはいじめに繋がるとしか思えないのだろう。
しかし芸人達は実際に怖がりながらも、なんとかしてビートたけしに笑ってもらおうとする姿は、「M-1グランプリ」と同じく真剣勝負の世界なのである。
芸能界で売れるために、ビートたけしに笑ってもらう芸を真剣に披露する舞台が「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」なのである。
そしてここから今のテレビでは欠かせない、リアクションという一瞬の時間の中で、どれだけ印象に残ることができるかを披露する芸である「リアクション芸」が誕生した。
つまりこの番組は、低俗番組などというものではなく、これからのテレビでは欠かせない「リアクション芸」を誕生させたという革命を起こした番組なのである。
だからこの番組は今では、伝説の番組だと称されているのではないだろうか。
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