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島田紳助

本名、長谷川公彦

大学に入学をする時、漫才というものは若者向けではなく、子供からお年寄りまで誰が見ても聞いても面白いものが漫才だと思っていて、紳助は漫才にはあまり興味が無かった。
しかし、たまたま見た若者向けの新しい漫才である「B&B」の漫才を見て衝撃を受けたと語っている。
そこで紳助は、このB&Bの島田洋七を倒すことを青春の目標にしようと決めた。
そして、島田洋七に少しでも近付こうと、洋七の師匠である島田洋之助に18歳で弟子入りしたのである。

しかし弟子入りしてすぐに、同期の今の「オール阪神・巨人」の巨人の芸を見て、まともに戦っていては確実に、漫才でオール巨人に勝つことは出来ないと感じたという。
紳助は「誰かに少しでも負けていると思ったら、実際はだいぶ負けている。だいぶ負けていると思ったら、めちゃくちゃ負けている」と語っている。
この時紳助は、オール巨人にはめちゃくちゃ負けていると感じたのだろう。
しかし、この時に最初に負けていると感じたからこそ、その後の漫才師としての島田紳助があるのではないだろうか。
そしてそれは、紳助が漫才に興味を持つ前に感じていた「漫才というものは若者向けではなく、子供からお年寄りまで誰が見ても聞いても面白いものが漫才」だと思っていたというところに、島田紳助の漫才の原点があるのではないだろうか。

紳助は毎晩のように「やすきよの漫才を終わらせなくてはいけない」と同期の仲間に話していたという。
その当時、怖いもの無しであった「やすしきよし」の漫才を徳川幕府に、今の自分たち若手を幕末の志士に例え、その幕府を終わらせなくては、新しい漫才は出来ないという「倒幕論」を語り続けたという。
やすきよ漫才は、従来の漫才の究極の完成形のような漫才である。
だから子供からお年寄りまで誰が見ても聞いても面白い。
だからこれからの若手が、やすきよの漫才を追い越すことを目指しても、絶対に勝つことは出来ない。ましてや、当時のオール巨人でさえ勝てないと感じたのに、究極の完成形であるやすきよ漫才に敵うはずが無いと、紳助は考えていたのだ。
しかしその時に、その倒幕論を聞いていた人は、なぜやすきよ漫才を否定しなくてはいけないのかがわからなかった。
やすきよ漫才に憧れて漫才を始めたのに、やすきよ漫才を追い越すことを目指さないという意味がわからなかったからである。
しかし、結果的には紳助の言っていたことが正しかった。
それは紳助が、「今までの漫才というものは若者向けではなく、子供からお年寄りまで誰が見ても聞いても面白いやすきよ漫才のようなものが漫才だと思っていて全く興味が無かったが、たまたま見た若者向けの新しい漫才の原型であるB&Bの漫才から影響を受けて漫才を始めた」というところにあるのだ。

そもそも従来のやすしきよしを代表とする漫才とは、リアリティーが無くてテンポも遅い漫才である。
漫才とは、良くできた作り話を2人以上の掛け合いで行うものであった。
実際にはありもしなかった結婚や引っ越しを話題にし、起承転結のある「良くできた作り話」をお笑いが好きだという人に向けてやっていたのが従来の漫才であった。
また漫才でもコントでも、その時そうであるというリアリティーがなくては、観客は笑ってくれない。
だから従来の漫才は、作り話を本当にあったかのような演技や技術でリアリティーを表現しなければいけないものだった。
しかし、B&Bの漫才はそれと大きく違っていた。
B&Bの漫才は、今までは作り話だった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、今の世の中に合わせたリアリティーのある漫才であった。
リアリティーのある漫才は、世間話をしているかのようで、その人の心が見えるのでとてもパワーがある。
紳助はここに目を付けることで、演技や技術でリアリティーに見せるという技術が無かったとしても、やすきよ漫才に勝てるのではないかと考えたのである。
そしてその漫才が完成すると、やすきよ漫才は終わり、若手の漫才の時代が訪れるのではないだろうかというのが、紳助が毎晩のように語っていた倒幕論の内容である。
紳助がもしも、紳助の同期のようにやすきよ漫才を目指すために弟子入りをしていたとしたら、今の紳助は無かったのかもしれない。

そしてその倒幕論を実現させるため、紳助は若者向けの新しい漫才の原型であるB&Bの漫才を研究するために、島田洋七と毎日一緒に行動した。
そして紳助は相方を探し、自分を信じて付いてきてくれる松本竜介を相方にし、漫才コンビ「紳助・竜介」が誕生した。
そして島田洋七の漫才を研究して漫才をすることになる。
すると紳助・竜介の漫才を観た洋七に「ネタをパクるな」と怒られたという。
しかし観客には、そんなことが気付くはずがない。
紳助はB&Bの漫才の笑いのシステムをパクっていたからである。
紳助は漫才を始める前にまずは、B&Bの漫才をテープに録り、紙に書き出していった。そして他の漫才師のネタも同じ事をしていき、面白い所に赤線、すべった所には青線を引き、漫才というものはどこで笑いが取れるのか、なぜすべるのかを研究し、それからB&Bの漫才の笑いのシステムにオリジナルの違うボケを当てはめていったのである。
だから紳助は、ネタ自体は全くパクってはいないが、笑いのシステムをパクられたことを島田洋七は怒ったのである。
そして紳助はもう一つB&Bから重要な事をパクっている。
それは漫才のテンポである。
お笑いで一番難しいものは喋りの「間」である。
この「間」を、従来の漫才師は経験によって習得し、それを効果的に上手く使っていた。
しかし、B&Bの漫才は喋りの間を極端に減らし、一人が喋る時間を出来るだけ長くして、ボケの回数を増やすという工夫をしていた。
これによって従来の漫才よりも速いテンポで、ボケの量が多くなることで若者向けの漫才というイメージをつけることができた。
紳助はこの笑いのシステムと、テンポをB&Bの漫才から研究し自ら習得するために、島田洋七と毎日一緒に行動していたのである。

更に紳助は漫才だけではなく、自分には何が出来るのかということを自己分析した。
また売れるためには、この先どうなっていくのか予想しなくてはいけないと考え、この先どうなっていくのか予想するためには、今までの時代も分析しなければならないと、エンタツアチャコの時代の漫才までも研究し、その時代から今までの漫才の流れを読み、そしてこの先どうなっていくのかの流れを考え、その変わっていく時代の延長線上に自分のやるべき漫才があると考え実行した。

そして紳助は、その流れというものを考えると、女性向けに漫才をしていたら必ず落ち目が来てしまうということを考えていた。
人気が出ると、必ず若い女性がキャーキャーと劇場に詰め掛けるようになる。この女性たちには、その時は大抵何をしたってウケる。
しかし、この女性たちに向かって漫才をしていると、感性の鋭い同世代の人たちには全くウケなくなってしまう。
紳助・竜介の漫才は、今までに無かった漫才でパワーがあり、リアリティーのある漫才である。
そのすごさをわかっていた視聴者は、感性の鋭い同世代の人たちだけである。
つまり人気があるというだけでキャーキャーと劇場に足を運ぶ女性ではなく、紳助・竜介の本当のすごさをわかっている感性の鋭い同世代の人たちに向かって漫才をやらなければ、そのうち飽きられて必ず落ち目が来てしまう。紳助はそのように考えて、漫才ブームに乗りながらも、その後の流れまでも読んでいたのである。

そして更に紳助は、今までの漫才師との差別化を謀った。
それは人間味を表に出していくことだった。つまりキャラクターを作る事である。
作り話だった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、世間話をしているかに見えるため、その人の心が見え、とてもパワーがあり、リアリティーのある漫才をB&Bから盗んでいった。
しかし、リアリティーのある漫才をやっているのに、島田洋七の内面はあまり見えてこないと紳助は考えていた。
そこで紳助は、本当の自分をキャラクターにすることで、更に感情でリアルに伝えることができると考え、更に従来までの漫才師との差別化を謀ったのである。
そのキャラクターとは、紳助は元々不良で暴走族にも入っていた。高校では三者面談の際「長谷川君はこの学校のゴミだ」と言われたこともあるらしい(芸能界で活躍後は「この学校のホコリだ」と言われ、でも結局ゴミだということは変わらないと発言している)。
しかし暴走族でありながら、実は弱くてよく喋ることでいつも難を逃れているような不良だったと自分で言っている。高校生の時のあだ名は、泣きながら熱く将来の展望などを語ることから「泣き虫みー君」。
このような本性をキャラクターにすれば、漫才で感情が伝わり、よりリアリティーさが出ると考え、従来の漫才師ではあり得なかった、髪型をリーゼントにし、ツナギを着ることによって、不良だけどよく喋り弱そうだというキャラクターを作り上げ、更なる従来の漫才師との差別化を実現させたのである。
紳助・竜介は、漫才師は正月のしきたりでは、正月の舞台は紋付き袴と決まっていたのだが、実際に正月の舞台に出た時には、白のツナギの裏にマジックで「賀正」と書いただけで舞台に出たらしい。
もちろんそれは物凄く怒られたらしいが、紳助・竜介の漫才の完成度を考えると誰もやめろとは言うことができなかったというエピソードがあり、この時点でもう完全に従来の漫才師との差別化をすることが出来ていたのだ。

そうして、漫才ブームの先頭を走っていた紳助・竜介の漫才が完成したのである。
その完成された漫才で紳助・竜介は1979年に上方漫才大賞の新人賞、翌年1980年には花王名人大賞でも新人賞を獲得し、一気に全国区のタレントになり、バラエティ番組のオレたちひょうきん族にも出演することになった。

しかし、視聴者からはこれから順調に漫才の道を進むように思えた紳助・竜介は、突然解散することとなった。
しかし実は突然解散するように見えたのは視聴者だけで、1982年、紳助・竜介が結成5年目、紳助は26歳の時にはもう既に解散を考えていたという。でもその時は、会社や仕事の都合などで解散はできなかった。
そして、1985年5月紳助・竜介は解散することになったのである。
このときも、はっきりと負けを感じていたから解散したのだと紳助は言う。
その存在が「ダウンタウン」である。
その時はまだ紳助・竜介の人気は物凄いものであったが、そのうちに紳助はダウンタウンに追い越されてしまうと感じたという。
そしてオール巨人に負けたと感じた時と同じように「誰かに負けたと思ったら実際はだいぶ負けている。だいぶ負けていると思ったら実際はめちゃくちゃ負けている」ということをまた感じたのだろう。

紳助はダウンタウンから逃げたと考えられてしまうが、芸能界では、比べられて下に見られたら、そこからまた這い上がってくることは安易ではない。
それなら観客が気付かない内に、今の人気を利用して、別の道に進んだ方が良いと紳助は考えたのである。
そして紳助はその道を、司会という道に変えた。

しかし紳助は、その時にまた負けを感じていた。「誰かに少しでも負けていると思ったら実際はだいぶ負けている。だいぶ負けていると思ったらめちゃくちゃ負けている」とまた感じたのだろう。
その時に負けを感じたのは、同期の「明石家さんま」である。
この明石家さんまにも、めちゃくちゃ負けていると感じたという。
しかし、この時も司会業に変えるときに負けていると感じたからこそ、今の司会者としての島田紳助があるのではないだろうか。

明石家さんまは天性の明るさがある。
この明るさによって、視聴者には普通のことなのにめちゃくちゃ盛り上がって見えているのだ。
野球で例えるなら、明石家さんまは長嶋茂雄のような選手で、普通のサードゴロをファインプレイに見せてしまう魅力が明石家さんまにはあると感じたと紳助は言っている。
だから紳助は、明石家さんまとは違う、テレビというものを上手く使い、自分にしか出来ない司会を目指した。

それは、紳助は自分の出来そうな仕事しかしないという事であった。
なぜなら、負ける相手とは勝負をしないためである。
しかし、自分の出来そうな仕事しかしないのに、紳助は今やゴールデンの時間帯で冠番組を何本も持っている。
紳助の出来ないことなど無いのではないかとも感じられ、しかもなんでも詳しいという評価を視聴者はすると思う。
しかし、これらのイメージは全てテレビを上手く使った紳助のテクニックである。
つまり紳助はこのテクニックを使い、何本ものゴールデン番組をやっているのだ。
紳助は新聞も本もほとんど読まないと言う。しかし紳助はニュース番組をやっていた時もあるし、いろんな知識を持っている。
それはなぜかというと、紳助は本当に自分の出来そうな仕事しかしないからである。
そのテクニックとは、まず一般の人が言う賢い人というのは、一つの分野のスペシャリストの事を言う。
ラーメンが詳しい人はラーメンについてはどんなことも知っていなくてはいけないため、いろんな地域のラーメンを食べに行かなくてはいけない。
しかし司会という仕事は、一つの分野の知識だけではなく、その番組でやる全ての企画のスペシャリストでなければならない。もちろん紳助にそんな全てのスペシャリストになる時間など無い。
でも紳助は全てのスペシャリストであるように見える。
なぜ紳助が全てのスペシャリストに見えるかというと、一分野につき一ヶ所を掘り下げてそこだけを熱く語り、全部知っているかのように話しているからである。

どういうことかというと例えば、
あるトーク番組に出たとしてその日のトークテーマはインスタント麺。
6人のタレントがいて、まず一人ずつ好きなインスタント麺を聞いていく。ここでのベストの答えは・・・
「カップヌードル」「UFO」「赤いきつねと緑のたぬき」
これらの超有名インスタント麺を好きだと言っても視聴者は食い付かない。「この人もこれが好きなんだぁ」と思われるだけである。
そこで「焼きそば弁当」と言ったらどうなるだろうか。
視聴者は「何それ?」と思うはずである。
そしてそのマイナーな焼きそば弁当というインスタント麺について熱く語るのである。
「焼きそば弁当は、北海道限定のカップ焼きそばで、何が良いかと言いと、従来のカップ焼きそばはお湯を入れたら、湯切りをしてお湯を捨てなくてはいけない。世界では満足に水も飲めない人がいるのにお湯を捨てるのはどうかと思う。しかし、この焼きそば弁当は、その本来は捨てるはずのお湯をスープにすることで勿体無くもないし、焼きそばに更にもう一品スープが追加される。そしてそのスープは、麺からのダシが出ているお湯を使っているからとても美味しい。だから焼きそば弁当が一番好きだ。」と熱く語るとする。
すると視聴者は、この人はめちゃくちゃインスタント麺について詳しいと感じるのである。
物凄くマイナーで地方限定のインスタント麺について熱く語ると、視聴者は「こんなマイナーな情報を知っているのだから、有名なインスタント麺についても詳しいはずだ」と思うのである。
でも実は焼きそば弁当にだけ詳しくて、他のインスタント麺については全く知らないとしても・・・
そして更に紳助は否定する技術を使う。
その番組でUFOの話を振られたとする。しかしUFOについては全く知らなかったとしても、焼きそば弁当にさえ詳しかったら、後は否定をすれば良いだけなのである。
「UFOは確かに美味しい!でも焼きそば弁当がこれだけ世界の恵まれない国々のことを考えているのに、そこまでは考えていないUFOをこれから好きになることはできない。」
というようなことを言っておけば、誰もUFOについて何も知らないとは感じないはずである。

でも、この話を一時間も喋り続けたらさすがにバレてしまう。
しかしテレビというものは、一人の人間にそんなに喋る時間を与えてくれない。
テレビで喋らせてくれる時間は一人30秒までである。それを超えたら誰も聞いてくれない。
つまりこの一分野につき一ヶ所を掘り下げてそこだけを熱く語り、全部知っているかのように話し、後は否定する技術を使えば、この人はインスタント麺について何でも知っていて、特に焼きそば弁当が一番好きだというイメージが付いたまま番組は終わるのである。

紳助はこのテクニックを応用し、それを自分の出来そうないろいろな番組で繰り返し使っていき、知識がある面白い司会者として「サンデープロジェクト」などの番組で司会をして地位を築き、明石家さんまとは全く違う、お笑い出身の司会者として、今の地位にまで登り詰めたのだ。


このように島田紳助は歴代の漫才というものから研究し、そこから自分は何が出来るのか、どうすれば漫才で他の漫才師に勝つことができるのかを分析し、実際に漫才師として成功を収めた。
そして更に、司会者になりテレビというものも研究し、今でも活躍し続けている。
このように、歴代の番組を研究し、最近の番組までの流れを読み、その時に流行った番組やタレントがなぜ売れていったかということを調べると、紳助のように、「これからのテレビには何が求められているか」ということが見えてくるかもしれない。
そのために番組やタレントについて考えてみようと思う。

まずは、島田紳助が司会者になって番組でどのように今の地位にまで築き上げていったかを考えてみようと思う。
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オールスター感謝祭

島田紳助の司会として、まず思い浮かぶのが、この「TBSオールスター感謝祭」であろう。
オールスター感謝祭とは、1991年秋から始まり今現在も続いている番組で、1年に2回行われ、200人もの有名人をゲストとして招き、紳助司会のTBSの新番組の宣伝も兼ねて5時間以上にもわたり生放送をするクイズ番組である。
この番組は紳助が35歳のときに始まり、もちろん紳助よりも先輩もいれば同業者のお笑いもいるその中で、5時間以上の番組の司会をするので、ものすごくプレッシャーのかかる番組である。
紳助はこの番組に向けて、200人のゲストを「最低でも一人一回は花を持たせる」ということを毎回目標に司会をしている。
「この話しになったらこの俳優に話を振り、そしたらこの流れで歌手に振り芸人で落とす」というようなパターンをいくつも考えて、その目標への達成をイメージする。
初めてのゲストの場合や、前にあまり出てこない役者などの場合は、クイズ以外の番組の企画などに参加させるようにして、しっかりと新番組の宣伝もさせる。
しかし、それは司会者としてなら当たり前のことなのではないかとも思えてしまうが、実はこれは紳助にしか出来ない番組なのである。

この番組は、新番組への宣伝をしなくてはいけないというのが大前提である。
もしこれが、「ビートたけし」が司会だった場合、もっとバラエティ色が強くなり、俳優や歌手などは居場所が無くなり、たけしの生放送だからなにをするかわからないというアドリブを期待してしまい、宣伝などしなくなるだろうし、視聴者もそれを求めない。
「明石家さんま」が司会だった場合、200人のゲストはほとんど要らなくなり、身内の笑いが取れそうなメンバーだけで番組を進めていってしまうだろう。
だから、200人のゲストに一人一回花を持たせることを目標にする島田紳助が、TBSオールスター感謝祭には適役なのである。

そして紳助は35歳にしてこの大役を見事成功させ、司会者としての地位を不動のものにしたのである。

なんでも鑑定団

誰もが家の押し入れの奥にしまってあったり、しっかりと飾ってあったりして「これはいくらなんだろう」と思うものが必ず一家に一つはある。
それを専門家が鑑定し、値段付けを行う番組が「なんでも鑑定団」である。
押入れの奥にしまっていたものが実は高価だったり、しっかりと飾ってあって家宝とされているものが、実は偽者だったり安価であったりする意外性の面白さが、この番組の売りである。
そして家宝が安価だったとしても、その依頼品には持ち主の依頼品にまつわる思い入れなどがしっかりと伝わり、鑑定を単なる金銭的な評価には終わらせることは決してない。

この番組は1994年から始まっている長寿番組である。
なぜこんなに長く続く番組かというと、それは単純に、終わらない番組だから長寿番組なのである。
どの家庭にも必ず一家に一つは鑑定してほしい物があるはずだ。
だから週に1回の放送では日本全国の依頼品を鑑定することは出来ない。
だから依頼してほしい視聴者が途切れることは無い。
視聴者はお年寄りの世代がほとんどで、歴史にまつわる依頼品も出てくるので教養にもなるため、視聴率が一定よりも下がることは無い。
だからこの番組は終わらない番組として今現在も続いているのである。

行列のできる法律相談所

この番組は、日常で起こりそうな身近な問題を再現ドラマで提示し、賠償金額を請求できるのかなどといった課題について、最強の弁護士軍団と呼ばれる実際に資格を持った弁護士と、司会の島田紳助とゲストがさまざまなトークを繰り広げる番組である。
これまでの法律番組は、一人の弁護士がその問題に対して一つの結論しか出さなかった。
しかし、実際の裁判ではその判決がひっくり返ることもあり、テレビとは大きく差が生じることが問題視されていた。
そこでこの行列のできる法律相談所では、複数の弁護士がそれぞれの見地と解釈から判断することによって、裁判の難しさや限界を提示する新しいスタイルの法律番組である。

しかしこの番組は2007年以降、法律相談は番組の最後に1件だけ行うだけである。
それ以外は全て司会者とゲストのトークだけだ。
しかし実はそれがこの番組を支えているのである。
実際に視聴率は毎週20%を越している。
そのトークはどのようなものなのだろうか。

まず注目すべきところは、ゲストの配置である。
雛壇に席が4つ並んでいて、それが前後で2列ある。前列の司会者に一番近いところには大御所や宣伝をするためのゲストが座り、その隣には女優やアイドルが座り、その隣には俳優などが座る。後列には司会者側から勢いのある若手芸人コンビが座り、その隣に磯野貴理、そして一番端には東野幸治が座る。
この配置によって視聴率20%を毎回越えるトーク番組ができるのである。

まず始めに、勢いのある若手芸人を紳助がいじり番組の空気を作っていく。
しかし紳助はこの若手芸人を事前に知っておくということはしておかない。
今まで書いてきたことを考えれば、若手芸人であっても重要なところだけはしっかりと知っておき、その良いところを活かすように考えておくのだろうと思うはずである。
しかし紳助はその作業は一切行わない。
なぜなら紳助はこの時に視聴者目線に立つからである。
たとえ今勢いのある若手芸人だったとしても、その芸人を視聴者全員が知っているとは限らない。
その芸人を知らない視聴者のためにあえて事前に知っておくということはせずに、その若手芸人を初めて見て、面白い部分をその若手芸人にアピールさせ盛り上げるのである。
そして宣伝のために来た俳優や女優とトークをして磯野貴理に振る。
この磯野貴理がとても重要なのである。
男性俳優が来た場合は、磯野貴理がカッコイイなどのコメントをして視聴者を共感させる。
女優の場合は、磯野貴理がどうすれば美しくなれるかということや、その女優に対して嫉妬しているようなコメントをして紳助がつっこむ。そこで笑いが起こり、更にその紳助のつっこみに対して、東野がつっこみ更に笑いを大きくさせる。
大体この番組のトークはこのように流れている。

松本人志は本の中で、島田紳助はちゃんと世間で評価されていないと言っている。
それは、このようなトーク番組の時の紳助のつっこみが、世間では毒舌と言われることがよくあることを松本人志は言っているのだと思う。
この紳助のつっこみは実は物凄い技術なのだ。
紳助のつっこみは完璧にその人の的を得ていることを言う。
しかし的を得すぎていて視聴者には毒舌だと言われてしまっているのである。
しかし、それが芸能人の場合、的を得ていてくれたほうが言い返しやすいのである。中途半端に話を振られても、それに言い返すことは難しい。
だから紳助のように、完璧に的を得ていてくれたほうが、言い返しやすく、つまりトークがしやすいのである。
特に芸人や磯野貴理のようなバラエティに出るタレントにはこの的確な紳助のつっこみが物凄くありがたいことなのである。
そして東野幸治はその紳助のつっこみに対し、更につっこむことで笑いを大きくし、この視聴率を毎週たたき出しているのである。

そして更に、最強の弁護士軍団と呼ばれる弁護士にもトークに参加させ、一人一人キャラクターを付ける。
そして実際にこの番組に出演していた橋下徹は大阪府知事に、丸山和也は参議院議員にもなっているくらいこのトークには影響力がある。

この番組は、法律問題やトーク以外にも「カンボジア学校建設プロジェクト」という企画や、東野幸治がトライアスロンに出場するという企画があった。
それはバラエティとは違い、視聴者を感動させる企画である。
この企画にも紳助は偽善者だと批判をされることがある。
しかし、こういう企画にはそういう批判は全く意味が無いものである。
なぜなら偽善者だと言われようが、実際にカンボジアには学校は造られて、今まで勉強できなかった子供は、勉強をすることができるようになった事実があるわけだし、東野は確かにトライアスロンを完走した事実があるわけだから、観ているだけの視聴者には、批判の権利など無いのである。

深イイ話

深イイ話という深いと思うエピソードについて議論する番組があり、その番組の中の企画に旨イイ話という企画があった。
視聴者の中から、自分の店で出している食べ物を紹介して、司会者やゲストが正直にそれを評価するという企画で、実際につぶれそうな店が大繁盛したり、閉店覚悟で出た店が実際に閉店したりするシビアな企画である。
このゲストの評価の仕方は、普通の商品を紹介する番組なら、どれだけ視聴者に商品の良さを教えることができるかがポイントではあるが、この企画は違う。
旨イイ話では、価格と味の良さを重点に置いて、嘘偽り無く評価をする。
そのために、実際に閉店したりする店はあるのだが、それがあるからこそ本当に良いものは大繁盛したりするのである。
今は不況で買い物に失敗したくないという人が多いからこそ、この企画は凄く影響力があるのだろう。

クイズ!ヘキサゴンⅡ

元々この番組は、ゲスト6人がお互いにクイズを出し合い、相手が正解か不正解かを推理するクイズ番組だった。
しかし、それでは司会の島田紳助の良さが全く出ていなかった。
そのため視聴率もだんだんと低くなっていったため、現在の「クイズ!ヘキサゴンⅡ」にリニューアルすることになった。

そして、リニューアルしてからは、島田紳助の芸能人をいじる能力と、FUJIWARAの藤本敏史や、品川庄司の品川祐などの雛壇芸人と呼ばれる司会者を上手くサポートする技術のある芸人らによって、「おバカキャラ」としてキャラ付けされたアイドルや俳優をいじるという面白さによって、この番組は毎週高視聴率をマークしている。

しかし、このおバカキャラのことに対してのいじりの面白さが伝わらない視聴者がいるため、子供に見せたい番組にも選ばれるが、子供に見せたくない番組にも選ばれている。
しかしこの番組は、そのおバカキャラ達がいるおかげで、ラサール石井らの知識の豊富さを尊敬させるような番組でもあり、勉強が出来なくても、別のことを頑張れば有名にだってなれるのだというようなメッセージ性も伺うことができる番組である。
それも含めてヘキサゴンは、家族みんなで観ることができるクイズ番組なのである。

そしてクイズだけではなく、
里田まい、スザンヌ、木ノ下優樹菜によるグループ「Pabo」や、
上地祐輔、つるの剛士、野久保直樹によるグループ「羞恥心」、
Paboと羞恥心が合わさった「アラジン」、
里田まい、misono、FUJIWARA藤本によるグループ「里田まいwith合田兄妹」など、他にもたくさんのグループが歌を出していて、ヘキサゴン内だけではなく、紅白歌合戦などにも出場するなどの活躍をして、よりこの番組を大衆的なものとしている。

しかしこの番組を観ていて、必ず疑問に思うことがあるはずである。
この番組は事前にゲストが予選ペーパーテストを行い、そのテストの点数に応じて、3つのチームに振り分けられる。
1チームに6人ずつ合計18人のチーム戦でこの番組は進行される。
ここで疑問に思うことがあるのだ。
「なんでこの人が出てるの?」と思う事があるはずなのである。
波田陽区、ダンディ坂野、クリス松村などの決して今が旬とも言えないし、かといってFUJIWARA藤本や品川庄司の品川のように、雛壇芸人として活躍するわけでもなく、ラサール石井らのように知識があるわけでもないし、かといっておバカキャラにもなれない、この目立たない芸能人らのことである。

なぜこの芸能人らが出演しているのかというと、それは「目立たないからこそ出演している」のである。
どういうことなのかというと、この番組は総勢18人でやっていて、一人一人に違う役割がある。
そしてこの番組は、おバカキャラの芸能人達につっこんで笑いを取る番組である。
お笑い芸人がクイズに対してボケるよりもリアリティがあって面白い。
しかし、このおバカキャラが同じ番組にたくさんいては、まとまりがなくなるため、この番組にはおバカキャラは6人くらいが丁度良い。
そしてラサール石井のように、おバカキャラとは逆に尊敬される知識人は、おバカキャラを生かすためにこの番組には3人くらいで丁度良い。
そして司会をサポートするFUJIWARA藤本や、品川庄司の品川などが2人いればこの番組は成立する。
しかし、それだけではこの番組に重要な対抗戦にはならないのである。
この番組は対抗戦だから、おバカキャラが生き生きと間違えることができて、それを他のチームにいる雛壇芸人がつっこむことが出来きるから、視聴者は笑うことができるのである。
しかし対抗戦ではそれでは数が少なすぎる。
だからラサール石井などの知識人とおバカキャラとの間に、人数合わせとして目立たない芸能人を使い、橋渡しの役割もさせるために、このような芸能人をわざと使っているのである。

このような目立たない芸能人は、クイズ番組に絶対に必要な存在である。
新曲を出せない歌手や映画に出ない俳優、笑いのとれない芸人などが、マルチタレントという肩書きで、いろいろなクイズ番組に出演することがよくある。
それで有名なのは、ゆうゆ、吉村明宏、野々村真、チェッカーズの高杢、バレーボールの川合などの芸能人である。
この芸能人らも宣伝に来た俳優や女優、売り出し中のアイドルなどの邪魔にならないように、人数合わせとして起用させる芸能人なのだろう。
このように陰で活躍(?)する芸能人らによって、おバカキャラを人気者にして、その人気者が毎週出演し活躍する番組として、毎週高視聴率を叩き出す番組になっているのだ。

漫才ブーム 1

1980年頃に漫才ブームが起こった。このようなブームは漫才ブームの前にも、2度10年周期でお笑いブームが起きている。
1960年代には落語家や伊東四朗のいたてんぷくトリオなどの第一次寄席ブーム。
1970年代にはやすしきよし、コメディーNo.1、中田カウス・ボタンなどの芸人たちによる第二次寄席ブーム。
そして1980年の漫才ブームという流れがある。
このブームがなぜ起こるかというと、それは関西芸人の全国ネット進出があるためである。
吉本興業の持っている梅田花月、なんばグランド花月、京都花月で日々修行を繰り返されてきた芸が、全国ネットでは全く未知のタレントとして扱われ、関西芸人の中でも選りすぐりの芸人達が、貯蓄していたパワーを、わずか数ヵ月で一気に放出するためにこのブームが起こるのである。
そして更に関西芸人は、関西弁という魔法の言葉を使う。
これによって関西弁を話しているだけで面白い人。関西弁で会話をしているだけで漫才のように聞こえるといったようなイメージを一気に全国ネットで広めたのである。

そして更に漫才ブームは、これまでの芸能界のシステムを大きく根本的に変えた。
第一次、第二次ブームの時は、ただ単にお笑い芸人達の仕事がその時に飛躍的に伸びて、ブームが過ぎると元の劇場に戻るという現象にしか過ぎなかった。
しかし漫才ブームは違った。
それまでの芸能界は、カースト制度のような階級制が存在していて、俳優、歌手、アイドル、そしてそのずっと下に離れてお笑い芸人があるという感じであった。
それが漫才ブーム以降になると、お笑いの地位は飛躍的に向上して、今までは演芸場の延長線上でしかなかった漫才の客層が大きく変化し、若い女性を中心とするファンが増え、番組の添え物、歌手や俳優の引き立て役ではなくなり、常に番組作りの中心にいて、時代や文化を常にリードする存在へとなったのである。

そして、その漫才ブームの先頭を切って走ったのが、「B&B」と「ザ・ぼんち」の2組である。

B&B 1

この頃のB&Bは、アイドル的人気を得ていて、芸人では有り得なかったブロマイドが売れるという現象まで引き起こし、B&Bが東京で活躍しなければ、漫才ブームも起きなかったかもしれないとも言われるくらいの影響力があり、そのため仕事も超多忙で、月給が最高の月は8000万円、4年間で32億円稼いだという逸話もあるほどである。
この人気は島田紳助の時にも述べたが、B&Bの漫才は若者向けの新しい漫才をしていたからである。
そのB&Bの漫才にも原型があり、浮世亭ケンケン・てるてるという漫才に影響を受けて、若者向けの新しい漫才が完成したのだという。

ザ・ぼんち 1

ザ・ぼんちは、漫才ブームの頂点を極めたコンビである。
この当時、大阪~東京の会場をヘリコプターで往復していて、楽屋で過労防止のために点滴を打っていたとも言われているほど、多忙で人気もあった。
1981年には、「恋のぼんちシート」でレコードデビューし、売上80万枚、オリコンでは最高位2位になるほどの大ヒット曲となり、この歌で日本武道館を満員にした初の漫才師となった。

漫才ブーム 2

しかし、このブームはB&B、ザ・ぼんちらの芸人だけが作ったブームではない。
実はこのブームは、あるプロデューサーが火付け役であった。

それは1979年の秋から、澤田隆治というプロデューサーが、かなり画期的でかつ大胆な企画を出して始まった「花王名人劇場」という番組が漫才ブームの火付け役である。
この番組から、今現在でも使われる2つの技術をこの番組から始めたのである。

1つ目の技術とは、
番組の収録で「激突!! 漫才新幹線」というタイトルで公開録画という形で番組の撮影が行われた回がある。
メンバーは、あらんどろん、B&B、ザ・ぼんち、ツービートというメンバーである。
しかし、こんなメンバーがいながら、この番組はそのまま放送されなかった。
そしてその次の回の収録の際に、「第二回 名人芸を見逃すな!」というタイトルで公開録画された「やすし・きよし、セント・ルイス、B&B」の漫才を、「激突!! 漫才新幹線」のタイトルで放送されたのである。
また、「漫才十八番」というタイトルで録画された「ゆーとぴあ、Wけんじ、正司敏江・玲児、青空千夜・一夜」の出演番組と、
「特選十八番集決定版 これが漫才だ!!」というタイトルで録画された、「レッツゴー三匹、内海圭子・好江、獅子てんや・瀬戸わんや、玉川カルテット」の出演番組を、
「漫才決定戦」というタイトルで、「ゆーとぴあ、Wけんじ、レッツゴー三匹、内海圭子・好江」のメンバーで放送した。
これが1つ目の画期的な技術なのである。

なぜこのようなことをするのかというと、それは演芸とは水物だからである。
その日の調子や客の感じで、ウケ方はまるで変わってしまう。毎回毎回漫才師が100パーセントの実力を発揮できるとは限らない。
それまでの普通の公開録画をそのまま放送しているというやり方では、たとえウケない芸人がいたとしても放送しなければならなかった。
しかし、このように出来が悪い漫才は、放送しないようにすると、いつもベストな組み合わせで番組が出来上がり、しかも芸人のほうも、出来が悪ければ放送されないとなると必死で頑張るというわけである。
これによって芸人も鍛えられ、番組のほうも面白い芸人しか出ないというイメージを印象付けることができた。

そして2つ目の画期的な技術は、漫才師が漫才をしている時に、その漫才師じゃない場所もカメラで映すということだった。
その場所とは客席である。
客席は笑い声があれば良いのだから、マイクが客席にあれば良いのではないかと思うのだが、澤田プロデューサーはその客席の笑いを、編集によって漫才の随所に差し込むことによって、ウケていない漫才であってもウケているように見せるというマジックを使ったのである。
つまり、あまりウケの良くない漫才師のボケの後に、やすし・きよしに笑っている客席の画を差し込むのである。
そうすれば、そのコンビはいかにも面白いというイメージを印象付けられ笑いをちりばめるので、番組全体がウケているように演出することができるのである。

この2つのことを澤田プロデューサーが始め、漫才ブームが起こったのである。
そしてこの2つの技術はその後、エンタの神様のプロデューサーである五味一男プロデューサーが引き継ぐことになる。

エンタの神様

この番組は、漫才ブームの火付け役となった澤田隆治プロデューサーの技術である「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」という2つの技術を、エンタの神様のプロデューサーである五味一男プロデューサーが引き継ぎ、それをうまく使い2003年4月から2010年3月まで放送された、2000年代のお笑いブームの走りとなったと考えられる番組である。
実は、もともとこの番組は「他の番組では見せない芸のスタイル」をキャッチフレーズに挙げていた番組であった。
そのため、いつもとは違う芸を見せたり、漫才をしている芸人はコントをしたり、コンビの芸人の片方だけが出演したり、番組限定の芸名をつけたりしてこの番組に出演をしていた。
そして出演する芸人一組一組に対して、その芸人の芸がわかりやすくなるようなキャッチコピーをつけ、芸をする前にそのキャッチコピーをナレーションで紹介してからその芸人が登場をしていた。

更に、エンタの神様ではネタに字幕を出すという工夫をした。
なぜ字幕を付けるのかと言うと、その芸人のネタに含まれているフレーズを際立たせるためである。
エンタの神様の出演芸人は、アンジャッシュやインパルス、次長課長、陣内智則な
ど、他の番組でも活躍しながらエンタの神様に出演する芸人と、
波田陽区、小梅太夫、タイガーリー、kick☆、スリムクラブ、ですよ。、桜塚やっくん、生徒会長金子、他多数のエンタの神様にしか出演しない芸人の2つに分かれている。
他番組に出演しながらエンタの神様に出演する芸人は、この番組をテレビに更に露出するための足掛かりとして出演していた。
エンタの神様にしか出演しない芸人は、元々はテレビには全く露出していない芸人であったため、テレビに出るためのきっかけにこの番組を選び、この番組に出演するためのネタを作り、この番組に出演しようとした。
この芸人らのネタの特徴は、あるキャラクターを作り、そのキャラクターに合わせた覚えられやすいフレーズをネタの前か後に使い、そのキャラクターとフレーズを目立たせるというようなネタを作って番組に出演していたのである。
そして、そのフレーズを目立たせるために、この番組では字幕でそのフレーズを出して、よりフレーズを印象付けるために新しくネタに字幕を付けるという工夫をしたのだ。

そしてそのわかりやすさと、今までに見たこともないキャラクターがどんどん出てくるという期待感によって、エンタの神様は若い女性からの人気を得て、子供からはそのフレーズを真似され授業が進まなくなるというような状態になるくらいの絶大な支持を得る高視聴率番組へとなったのである。

B&B 2

B&Bは、浮世亭ケンケン・てるてるという漫才師の漫才に影響を受け、若者向けの新しい漫才で漫才ブームの先頭を走った。
しかし、B&Bは漫才ブームに少し陰りが見え始めると、人気が一気になくなっていった。
それは、B&Bの漫才は覚えられやすいフレーズをネタに入れて、それを多用し、楽に笑いを取りにいってしまっていたからである。
B&Bの漫才の中には「もみじまんじゅう!」というギャグや、当時アフロヘアーだった洋八の頭に向かって「小野田さ~ん!」というギャグや、笑いながら「メチャメチャ陰気やで~」「リンゴとみかん、どっちがバナナ」などの覚えられやすいフレーズを漫才の中に取り入れていた。
そのフレーズによって、同じように新しい漫才であった紳助・竜介やツービートなどの漫才師よりも早く視聴者に覚えられて人気が出た。
しかしこのフレーズは、使いすぎると飽きられてしまうものである。
それは、この漫才ブームとは「島田紳助」でも述べたが、従来は作り話であった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、世間話をしているかに見え、その人の心が見えるためにとてもパワーがあり、リアリティーのある漫才をテレビで広めたのが漫才ブームであった。
しかしB&Bの漫才は、初めはリアリティーのある漫才であったのに、毎回同じフレーズを使ってしまっていたことで、リアリティーのある漫才ではなくなってしまっていたのである。
そのためB&Bは、漫才ブームに少し陰りが見え始めると、真っ先に人気が一気になくなってしまったのだ。

ザ・ぼんち 2

この「ザ・ぼんち」も、漫才ブームに少し陰りが見え始めると、真っ先に人気が一気になくなってしまった。
このザ・ぼんちの漫才はB&B、紳助竜介、ツービートとは違い、全く新しい漫才ではなかった。
だからといって技術のある漫才というわけでもないと思う。今、ザ・ぼんちの漫才を見ても何がなんだか全然わからないからである。
ではこのザ・ぼんちはなぜ人気が出たかと考えると、それは外見だとしか考えられない。
その頃の芸人は、アイドルのような人気があった。
ぼんち・おさむはアメリカのジェリー・ルイスという俳優のファンで、髪型やダンスなどを真似していたため、女性人気が出たのだろう。
その外見と、「おさむちゃんで~す」という覚えられやすいフレーズで漫才ブームの先頭を走ったのではないだろうか。
しかしそのフレーズは、B&Bで述べたのと同じようにすぐに飽きられてしまい、外見で人気を得ていたが、実はザ・ぼんちはもうその時既に30歳を超えていたため、一時的にアイドルとなっただけで、すぐにテレビから姿を消す形となってしまった。

漫才ブームの終焉

漫才ブームとは、従来は作り話であった漫才の嘘臭い部分を全てとっぱらい、世間話をしているかに見え、その人の心が見えるためとてもパワーがあり、リアリティーのある漫才をテレビで広めたのが「漫才ブーム」である。
しかしどの芸人も、初めは見たこともない漫才であったため、リアリティーがあるように見えていたが、そのうち何回も漫才をしなくてはいけない場が増え、リアリティーのある漫才ではなくなってしまっていたのである。
そのためにそれらの漫才は飽きられてしまった。
そしてアイドルのような人気があった芸人も、一時的にアイドルとなっただけで、テレビから姿を消す形となった。
こうして漫才ブームは終焉したのである。

今までの第一、第二ブームの時のように、元の劇場で漫才をする生活に戻った芸人や、
「ビートたけし」、「島田紳助」のように漫才ブームをきっかけにテレビの司会で大活躍するようなタレントになったり、
コンビを解散し別の仕事をするような人もいた。

エンタの神様の終焉

この番組は、今現在の2000年代のお笑いブームの走りとなったものであると考えられる番組である。
しかしこの番組は飽きられてしまった。
エンタの神様は番組が終わる前は、いつのまにか使い捨て芸人を世に送り出す番組となってしまったのである。
それは、この番組は、漫才ブームの火付け役となった澤田隆治プロデューサーの斬新な技術である「出来が悪ければ放送しない」、「客席の笑いをちりばめる」という2つの技術を、エンタの神様のプロデューサーである五味一男プロデューサーが引き継いだというところにあるのではないだろうか。
なぜならエンタの神様の終焉は漫才ブームの終焉とよく似ているからだ。

漫才ブームで先頭を切って走っていたB&Bは、初めはリアリティーのある漫才であったのに、毎回同じフレーズを使ってしまっていたことで、リアリティーのある漫才ではなくなってしまったため、飽きられてしまった。
エンタの神様に出演した芸人にも同じことが言える。
もともとこの番組は「他の番組では見せない芸のスタイル」であったが、エンタの神様にしか出演できない芸人が出てきてしまったことで、初めは今までに見たこともないキャラクターがどんどん出てくるネタであったのに、その芸人が毎回同じフレーズを使ってしまっていたことで、すぐに飽きられてしまったのである。
つまり、同じパターンの笑いを毎回見せられる事になり、ネタとはリアリティーがなくてはいけなかったものが、同じパターンのものが続くことで必ず飽きらてしまったのである。
なぜ、エンタの神様にしか出演できない芸人が出てきてしまったのかというと、例えるとするならば、小学生の時にやった算数のドリルのように、同じような方程式で解く問題を、繰り返し繰り返し行うため、面倒くさくなって飽きてしまうということが過去にあったと思う。
お笑いも、その算数のドリルのようにすぐに飽きてしまうから、他番組に出演できたとしても、その芸人はそのキャラクターでしか出演できないため、ネタにしか興味が持たれない。
そのため、エンタの神様のネタで使うフレーズを、他の番組であっても、それを言うことしかできないため面白くない。
だからエンタの神様にしか出演できない芸人が出てきてしまったのである。

そうしてエンタの神様に出る芸人は、すぐに飽きるというイメージが付き、この番組を観ても新しい芸人は出てこないと思われてしまったため、平均20%を超えていた視聴率は一桁にまで下がってしまい、この番組は打ち切られる結果となってしまったのである。

今までのブームの時のように、元の劇場でネタをする生活に戻った芸人や、
芸能界を辞め、別の仕事をするような人もいる。
しかし、ビートたけし、島田紳助のようにエンタの神様をきっかけにテレビで大活躍するようなタレントになる芸人はまだいない。
この番組は、テレビに出るためのきっかけにはならなかったのである。
それは、今までキャラクターやフレーズに頼り切ってしまっていたからだろう。

明石家さんま

本名:杉本 高文
明石家さんまは18歳の時に、落語家の2代目笑福亭松之助に弟子入りした。
「明石家」は笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。
笑福亭松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、実家が自転車屋だったから明石家サドル、美容室だったから明石家パーマなどが命名されている。
そのため明石家さんまの芸名の由来は、そのまま実家が秋刀魚屋だったためである。
「明石家さんま」命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時に、さんまは「その島田紳助という名前やったら絶対売れへん」とからかわれ、紳助は落ち込んだ。しかしそのすぐあとに「明石家さんま」という芸名をもらったという話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わった」と逆に大笑いしたというエピソードを島田紳助がよく話している。
島田紳助とは、若手時代に営業で一緒に出演する機会が多く、私生活でもお互いの家に出入りするような仲でもあり、紳助が相方について悩んでいた時、松本竜介を紳助に紹介したのはさんまである。

デビュー当初のさんまは、菅原文太のものまねや、当時人気だったプロ野球・巨人の投手である小林繁の形態模写、漫談が主であった。さんまは巨人の小林繁の形態模写をしていたが、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印した。
しかし、トレード直後の阪神タイガースでの小林繁の活躍に伴い、関西地区では小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。

そして、「漫才ブーム」が起こった。
明石家さんまは、関西地区では多少人気も出ていたが、この漫才ブームによって、同期で仲の良かった島田紳助らが、漫才ブームで全国的に有名になっていった。
しかしこの時さんまは、一切焦らず密かにじっくりと自分の地盤を固めていた。
それは、漫才ブームで活躍する芸人達がもっと人気になっていけば、そこには大きな道が出来るはずである。
しかしその芸人達は、必ずそのうち疲れてくる。
そしてその芸人達がバテてリタイアしていった時に、自分が颯爽と登場すれば良い。
このようにテレビについてさんまは考えていたからである。
そしてその考え通りに、漫才ブームは下火にはなったが、芸人の地位は以前とは比べ物にならないほど上がり、それによってビートたけしが作った「オレたちひょうきん族」に呼ばれるようになり、人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルである高田純次が急遽入院して、その代役として、その当時26歳の明石家さんまが代役を務め、そこから明石家さんまは一気に全国的に有名になっていったのである。

明石家さんまの魅力は、基本的にバラエティー番組しかやらない一貫性と、タレントではあるが裏表無く、いつもお笑いに対して真剣な姿勢、そして造語能力であると思う。

明石家さんまは、日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントである。
若手の時は、男女7人夏物語など数々のドラマに出演していて、男女7人夏物語で共演した大竹しのぶと結婚するなど、ドラマに出演するお笑いタレントのイメージもあったが、今現在は「お笑い怪獣」と言われるほどバラエティーをやり続けているイメージがあり、実際にやり続けている。
そのイメージはいつもお笑いに対して真剣な姿勢が視聴者の目には映っているからだと思う。
「踊る!さんま御殿」、「さんまのSUPERからくりTV」など、ゴールデンの時間帯で司会を務める一方で、「痛快!明石家電視台」、「MBSヤングタウン土曜日」など大阪ローカル番組や、ラジオなどの仕事も引き受けるという姿。
そして、陣内智則が藤原紀香と離婚後、島田紳助に報告のメールをしたところ、涙を流して感動するほどのアドバイスが返信された。
続いてさんまにもアドバイスをもらおうとメールをしたが、即座に「そんな事より、俺オモロい?」という返信が着たというようなエピソードがあったり、
若手の出演している番組や、自分の司会の番組は毎週欠かさず観ていて、自分が発言したところでは大爆笑しているというエピソードがあるように、
「この人は本当に笑いというものが好きなんだな」と思わせるところが、視聴者は明石家さんまという人は、いつもお笑いに対して真剣なんだと感じているのである。
それが、明石家さんまは、日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントであるということなのだろう。

しかし、明石家さんまは「明るいけど面白くない」というような感想を持つ人はよくいる。
それは、やすしきよしや、オール阪神・巨人のように他に追い越すことのできないような芸があるわけでもなく、島田紳助のように200人ものゲストに対して司会をできるわけでもなく、ダウンタウン松本人志のように天才的な発想があるわけでもないからである。
ではなぜそんな明石家さんまが、今でもバラエティー番組という言葉が似合うタレントでいられるのかというと、それは「とにかく明るい」からである。
明石家さんまは、「島田紳助」で述べたように、『さんまは野球選手で例えたら長嶋茂雄のような選手で、なんでもないサードゴロをファインプレイに見せてしまう魅力がある。』と述べた。
明石家さんまは本当にいつも明るい
2008年7月放送の「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」で総合司会を務めた際に、26日19時から翌27日22時まで全力で声がかすれるまで出演し続け、番組が終わった後には、放送スタジオでの打ち上げで、深夜1時までビートたけしと語り明かし、帰宅後も朝6時まで起きていて、「次は35時間テレビが出来る」と言っていたというエピソードがあったり、
雨上がり決死隊・宮迫博之の話で、「仕事で3日間一緒になった際、行きの飛行機の機内で寝ようとしたら、さんまに起こされ、ずっとしゃべり続けられ、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何事も無かったかのように元気なさんまがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまがいつもと変わらず、元気に生放送番組に出演していた」というエピソードや、
新幹線に乗っている時に、隣に座っているサラリーマンが軽くさんまに喋りかけたら、大阪に着くまでにずっと喋り続けられ、途中でそのサラリーマンの人が寝たいと言ったのにも関わらず、寝させてもらえずに喋り続けられた。
というようなエピソードがあるくらい、明石家さんまはいつも明るいのである。

明石家さんまのことを、こんなに明るいと言っているのは、これだけ明るいということは、明石家さんまには、「漫才ブームやエンタの神様のような演出が必要ない」からである。
どういうことなのかというと、
漫才ブームのときは、その漫才を盛り上がっているように視聴者に見せるために、「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」という2つの技術を使ってそれを演出させた。
そしてエンタの神様では更に、わかりやすくするために「字幕を出す」という演出をした。
この演出全てが、明石家さんまには全く必要ないのである。
何度も言うが、明石家さんまは本当に明るい。だからもちろん最初から最後まで明るいのである。35時間テレビが出来ると言ってしまうくらい最初から最後まで明るいのだ。
つまり、明石家さんまが出ている番組は、最初から最後まで明るいのだから漫才ブームのときのように、「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」というような演出は全く必要ないのである。

そして、明石家さんまには「明るい」ということ以外にも凄いところがある。それは、明石家さんまの魅力の時に書いた、「造語能力」である。
明石家さんまが作る言葉は、エンタの神様に出演しているような芸人の誰もが覚えやすいフレーズではなく、「トークの幅を広げ、観客を引かせないためのフレーズ」をさんまは作るのである。
代表的なフレーズは「H」である。
変態のローマ字読みの最初の文字を取って「H」。
今までの性的な会話は、こういうことをセックスをするなどと直接的に表現するしかなかった。
しかしこのさんまが広めた「H」よって、性的な会話がどれだけトーク番組で楽になっただろうか。
そして更に番組内だけでなくても、一般人女性の性的な会話がどれだけ楽になったか。
そして、これも今では誰でも使うようになった「ドヤ顔」という言葉。
これも明石家さんまが作った言葉である。
明石家さんまは、芸能界一といって良いほど笑いに貪欲である。
そのためトーク番組などで、他の芸能人が笑いを取っている姿に指をくわえて見ているということができなかったのだろう。
そこで笑いを取った後に、「どうや」と自慢げになってしまう芸能人に対して「ドヤ顔」とつっこむことによって、さんまは更に笑いを取ることができたのである。

このようにさんまは、エンタの神様のようにフレーズを覚えさせるわけではなく、日常で使えるフレーズを日本人の生活に溶け込ませていくわけである。
更に「踊る!さんま御殿」、「恋のから騒ぎ」、「さんまのまんま」、「さんまのSUPERからくりTV」の番組では、明石家さんまの発言には、エンタの神様のように字幕が出ないようになっている。
つまり、明石家さんまが出ている番組には、日常で使えるフレーズを日本人の生活に溶け込ませていくわけであるから、エンタの神様のようにわかりやすくフレーズを覚えさせるために「字幕を出す」という演出は、全く必要が無いのである。

この演出が全く必要ないから、明石家さんま本人も番組自体もリアリティーが出る。
つまり演出など全く無く、表裏の全く無い明石家さんまのトークをいつでも観ることができるのである。
だからこそ漫才ブームや、エンタの神様のようにすぐに飽きられずに、いつまでも日本一バラエティー番組という言葉が似合うタレントであり続けているのではないだろうか。

明石家さんまの番組

今現在、明石家さんまが全国ネットに出演している番組は、
「さんまのまんま」「さんまのSUPERからくりTV」「ホンマでっか!?TV」「踊る!さんま御殿!!」「恋のから騒ぎ」
という5番組である。
これらの番組でゲストの影響力が大きいものは、「さんまのまんま」「踊る!さんま御殿!!」の2つである。

「さんまのSUPERからくりTV」では、ゲストは出演するが、VTR問題に答えるだけである。そこで若手芸人が面白い答えを言ったとしても、それによっての影響力はほとんど無くそのまま流されてしまう。
「恋のから騒ぎ」もゲストは出演するが、ゲストのトークというよりも、素人を明石家さんまがどれだけ上手く盛り上げることができるか、というような番組であり、あまりゲストは重要視されない。
「ホンマでっか!?TV」にはゲスト出演は無い。

そして、「踊る!さんま御殿!!」「さんまのまんま」はトーク番組のため、ゲストの力が必要になってくる。
では、明石家さんまとトークする時はどのようなことが求められるのだろうか。
明石家さんまは島田紳助とは違い、どの番組であっても、いつでも明るい表裏の全く無い明石家さんまというキャラクターで司会をする。
そして明石家さんまは、聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に使用するといった方法でトークを盛り上げていくのである。
つまりこの明石家さんまのトークのパターンに、ゲストのトークが上手く噛み合えば、そのゲストは「踊る!さんま御殿!!」「さんまのまんま」の番組では成功したことになる。

「踊る!さんま御殿!!」の場合は、必ずトークテーマが決まっていて、そのトークテーマに沿って進行される。
そしてゲストは、そのテーマ通りにトークするのではなく、そのトークに合わせた自虐ネタを話すのが良いのではないだろうか。
なぜなら、それを話すとさんまは、その自虐ネタを広げてくれたり、相手の何気ない一言を話の節目やオチにしてくれたりなどの盛り上げ方をしてくれるのである。
しかし、気を付けなくてはいけないことは、その自虐ネタをキャラクターにしてはいけないということである。
これらの番組はとても影響力のある番組で、そのキャラクターが付いてしまうとこれから先、ずっとそのキャラクターで押し通さなくてはいけなくなってしまう。
そうなると、エンタの神様の芸人のようにブームは起きたとしても、すぐに飽きられてしまうのである。
つまりその自虐ネタは“自分は一部だけそういう部分がある”というような自虐ネタを話すと、「踊る!さんま御殿!!」では印象に残るのではないだろうか。

そして、「さんまのまんま」の場合も、いつでも明るい表裏の全く無い明石家さんまというキャラクターで司会をするため、基本的には「さんまのまんま」の場合でも、「踊る!さんま御殿!!」のように、自分は一部だけそういう部分がある”というような自虐ネタを話すと盛り上がる。
しかし、気をつけなくてはいけないことは、「さんまのまんま」という番組は、明石家さんまと1対1でトークするというところである。
そうなると、その自虐ネタを他のゲストに降ることができない。
明石家さんまとゲストだけで話をオチまで持っていかなくてはいけないのである。
しかしそれならゲストは、明石家さんまを褒めながら自虐ネタを言えばいいだけである。
「明石家さんま」述べたように、『さんまは自分の司会の番組は毎週欠かさず観ていて、自分が発言したところで大爆笑しているというエピソードがある。』
つまり自分が大好きである。
その自分が大好きであるということを利用して、自虐ネタを話せば、明石家さんまとゲストで話をオチまで持っていくことができるのである。
例えば、自分は普段は暗いが明石家さんまはいつも明るくてすごいというエピソードを話していき、それからさんまのトークについていけば、この番組でのトークは盛り上がっていくのではないだろうか。

お笑いスター誕生!!

お笑いブームが起きている時には、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしている。

1979年の秋から「花王名人劇場」が始まって漫才ブームに火が付き、「B&B」「ツービート」「ザ・ぼんち」らが漫才ブームを引っ張っていた時、
1980年4月12日から「お笑いスター誕生!!」という番組が始まった。
「お笑いスター誕生!!」とは、プロ・アマを問わず毎週5組の程度の芸人が出演し、桂米丸をはじめとする5人の審査員たちが審査をして、10週間連続で勝ち抜くということを目指す若手芸人のオーディション番組である。
審査員には、桂米丸、タモリ、赤塚不二夫、京唄子、東八郎、伊東四郎など、お笑いに携わる有名なタレントや芸人などが務めた。

この番組は、これから先が期待される若手の芸人は、このオーディション番組に出演して、芸人として売れるためのきっかけにしようとした番組である。
芸人は、どれだけ面白かったとしても、知名度が無いというだけで、いきなりテレビに出演しても、視聴者には受け入れてもらうことはあまり無い。
そのため、若手芸人はお笑いに携わる有名なタレントや芸人などに「面白い」ということを認めてもらい、「この芸人は果たして面白いのだろうか」という視聴者に対して、「この芸人は面白い」ということを印象付けてもらうために、こういったオーディション番組に出演するのである。

この番組は前にも書いたが、10週間連続で勝ち抜くことを目指す番組である。
そのため視聴者はこの芸人は面白いか面白くないかというところしか観てくれない。
更に番組のルールで、審査員が審査して不合格となった場合、最低2ヶ月間は再挑戦できないというルールがある。
これらによって、芸人は失敗すると「面白くない芸人」というレッテルを貼られてしまう。
しかしそれらのルールによって、芸人の真剣さが視聴者にも伝わり、10週間連続で勝ち抜くことができた場合は、この番組のタイトルが表すように、実際にスターが誕生するのである。
10週間連続で勝ち抜くことができた芸人には、「B&B」「とんねるず(当時は貴明&憲武)」「シティーボーイズ」「小柳トム(今のブラザートム)」などがいる。
更に、その当時はまだ新人だった「ダウンタウン」「ウッチャンナンチャン」「ツーツーレロレロ(今の東国原知事)」、他にも「マギー司朗」「コロッケ」他多数の今現在も活躍する芸人も出演していた。

そして、花王名人劇場などの番組と共に、漫才ブームを支えた番組となったのである。
しかしその漫才ブームの終焉と共に、この番組も終了した。

爆笑オンエアバトル

2003年4月から「エンタの神様」が始まった。
それよりも前に、今現在でも続く、2000年代お笑いブームのきっかけとなった番組が、「爆笑オンエアバトル」である。
この番組は、1999年3月27日から2010年3月26日までNHKの深夜でやっていた番組で、この番組のキャッチコピーが「史上最もシビアなお笑い番組」だというように、芸人が観客に芸を見せて、面白いと評価されたネタだけが選ばれてオンエアーされるという番組であった。
そのシビアさがあるため、この番組も芸人の真剣さが視聴者にも伝わるようになっている番組である。
そして、面白いと評価されたネタだけが選ばれるため、この番組も若手芸人のオーディション番組と言っても良いだろう。
そのため今現在でも続く、お笑いブームのきっかけとなった番組となったのだろう。

この番組から有名になった芸人は、ダンディ坂野、テツandトモ、長井秀和、ますだおかだ、ラーメンズ、アンジャッシュ、アメリカザリガニ、おぎやはぎ、アンタッチャブル、パペットマペット、スピードワゴン、タカアンドトシ、NON STYLE、トータルテンボス、東京03、キングオブコメディ、パンクブーブー、我が家などの多数の今現在でも活躍する芸人を輩出していた番組である。

このようにお笑いブームが起こるときには、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしているのである。
それはなぜなのかということを考えると、それは少しマニアックなお笑いファンの存在が大きいのではないだろうか。

お笑いのファンの人を大きく2つに分けるとすると、
「ただ単純にお笑いが好きであるというお笑いファン」そして、
「若手お笑い芸人の成長していく姿を見るのが好きなお笑いファン」
に分かれるのではないだろうか。
芸人やアイドル歌手などには、必ずといって良いほど「追っかけ」の存在がある。
この「追っかけ」の人たちは、まさにこの「若手お笑い芸人の成長していく姿を見るのが好きなお笑いファン」である。
この人たちは、「もうメジャーになっている芸人には興味がなく、まだメジャーではないが、これからこの芸人は必ずメジャーになるだろう。そのために、まだメジャーではなく自分でも手の届きそうなときにファンになっておき、そしてその芸人がメジャーになったときに『私のお笑い芸人に対する目は間違っていなかったんだ』と思う」ということが趣味のお笑いファンなのだ。
こういうお笑いファンのためにオーディション番組があるのである。
オーディション番組は、追っかけの人たちが、実力はあるがまだ知名度のあまりない若手芸人を探すための番組なのである。
そして「爆笑オンエアバトル」の場合は、深夜の時間帯の放送のため、自分だけがこの実力のある無名若手芸人知っているのではないかと思わせることができるのである。
もちろん実力がある芸人が出演するため、単純にお笑いが好きだという人も見ることができる番組である。
だからお笑いブームが起こるときには、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしているのではないだろうか。

お笑いブームが起こるときには、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしているということを考えるために「お笑いスター誕生!!」と「爆笑オンエアバトル」を並べて書いてみた。
すると疑問に思うことがある。
「お笑いスター誕生!!」は漫才ブームの終焉と共に番組が終了している。
しかし「爆笑オンエアバトル」は今現在もお笑いブームが続いているのにもかかわらず、2010年3月26日に終了しているのである。
それはなぜなのだろうか。
世間では「爆笑レッドカーペット」のように短い時間でネタを披露するというブームが来ているからだ。というようなことをよく言っている。
しかしそれは本当にそうなのだろうか。
現在のお笑いは、「爆笑レッドカーペット」のように、短い時間でネタを披露することでしか視聴者には求められないのであれば、「M-1グランプリ」という番組で優勝した芸人が、その次の日からバラエティー番組に朝から晩まで出続けるという現象が起きているのはおかしいのではないだろうか。

お笑いブームが起こるときには、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしていて、「お笑いスター誕生!!」は漫才ブームの終焉と共に終了しているのに、今もお笑いブームは続いているが、「爆笑オンエアバトル」は、今はもう終っているというのは、「M-1グランプリ」がなにか関係しているのではないかと思い、そのことについて考えてみようと思う。

M-1グランプリ 1

この番組は島田紳助が主催して2001年から始まり、漫才でだれが一番面白かを、現在でも活躍するタレントや芸人が審査をして決める大会である。
この大会には、結成開始から10年以内のコンビであればプロ、アマチュア、国籍など関係なく誰でも出場ができ、ネタで小道具等は使用不可能で、使えるものはセンターマイク1本のみで時間は4分間。
つまり単純に漫才の面白さだけを競う大会である。
この大会にはコンセプトが2つあると主催の島田紳助が語っている。
「単純に1番面白い漫才をする芸人を決める」というコンセプトと、
「才能が無いことに気付かせる」という2つのコンセプトがある。
「才能が無いことに気付かせる」ということの意味を島田紳助はこのように言っている。
「芸人には、3つのタイプの人がいる。
1つ目は、才能がある人。この人は幸せになれる。
2つ目は、才能がないことに気付いて辞めていく人。この人も次の人生のために幸せになれる。
3つ目は、才能がないことに気が付かずにいつまでもやっている人。この人たちを何とか辞めさせてあげないと、次の人生までもが不幸になってしまう。
だから出場できるのは10年と決めているのも、10年やって準決勝にも残らなかったら芸人を辞めなさい。」
というのが、この大会の本当のコンセプトなのであると島田紳助は語っている。

この10年を過ぎたら終わりというプレッシャーと、歴史的には浅い大会ではあるものの、「1番面白い漫才をする芸人を決める」というお笑い好きであれば誰もが気になる大会コンセプトから、若手漫才師にとって最高の栄誉として広く認識されていて、既存の新人漫才コンクールよりもかなり重要視されている。
そして優勝した芸人は、「スターへの階段が用意される」というほどの脚光を浴びる番組である。

そしてこの番組は、審査員一人一人が、若手芸人なら誰もが一度は自分たちのネタを審査してもらいたいと思うほどの大物のタレントや芸人である。
島田紳助を始めとして、松本人志、島田洋七、オール巨人、中田カウス、西川きよし、立川談志など、誰もがあこがれる芸人が審査してくれる番組なのである。
つまり、この面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決めるのであるから「スターへの階段が用意される」のは当然といえば当然なのである。
それらがこの大会をここまで影響力のある大会にしたと考えて良いだろう。

では、お笑いブームが起こるときには、必ず若手芸人のオーディション番組も一緒にヒットしていて、「お笑いスター誕生!!」は漫才ブームの終焉と共に終了しているのに、今もお笑いブームは続いているが、「爆笑オンエアバトル」は、今はもう終っているのというのは、この「M-1グランプリ」とどう関係しているのだろうか。

それは、誰が審査しているのかというところにあるのではないだろうか。
前にも書いたが、『「M-1グランプリ」は「スターへの階段が用意される」のは、面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決めるのであるから当然である。』と述べた。
しかし「爆笑オンエアバトル」の審査は素人がするのである。
いくらいろいろなお笑いを見ていたとしても、素人は素人である。
だから爆笑オンエアバトルでオンエアーされたとしても、マニアックなお笑いファンが増えるだけで、全国的には影響力はあまりない。
爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会で優勝したとしても、素人が一番面白いと決めたということに過ぎない。

実際、素人に審査をさせて最悪の結果に終わったということもある。
それは、そのことを証明するかのように「爆笑オンエアバトル」と比較をしている「M-1グランプリ」の第一回大会で起こっている。
「M-1グランプリ」第一回大会では審査員7人以外に、札幌・大阪・福岡の吉本の劇場に集まった各100人の一般客が1人1点で審査した。
すると、唯一関東出身のコンビであったおぎやはぎ、松竹芸能所属のますだおかだ、アメリカザリガニ、東京吉本に所属のDonDokoDonに対しての、大阪会場の得票が異常に低いという結果が浮き彫りとなったのである。
このため次の「M-1グランプリ」第二回大会では、素人が投票するシステムは無くなった。
このように大阪の一般のような人たちだと、地域によってその芸人に対する感情が評価に入ってしまうのである。
そのため、「M-1グランプリ」のように、面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決める番組が影響力を持つようになり、
「爆笑オンエアバトル」のように、素人が審査する番組の影響力の無さが、視聴者にはなんとなく伝わってきたために、
今もまだお笑いブームは続いているのに、今はもう「爆笑オンエアバトル」は終ってしまったという結果になってしまったのではないだろうか。

ビートたけしのお笑いウルトラクイズ

この番組は、1989年1月2日から1996年4月6日まで、日本テレビで放送されていた番組で、同じ日本テレビで放送していた局の看板番組である「史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ」をモチーフとした、お笑い芸人のためのクイズ番組としてスタートした。
芸人数十人を集め、熱海やスパリゾートハワイアンズなど東京近郊の温泉地に宿泊しながらロケを行い、クイズと言いながら超過酷なゲームで体力・知力を競い合い優勝者を決めるという内容のビートたけしの冠番組である。
今ではこの番組は伝説の番組と称されている。
この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズという番組」は、「売れない芸人をテレビに出してやろう」という思いから始まった番組であるとビートたけしは言う。ビートたけしの弟子であるたけし軍団などの芸人を目立たせるために、この番組を始めたのだとビートたけしは語っていた。

過酷なゲームの内容は、プロレスラーとの対戦やスカイダイビングやロケットのように芸人が飛ばされたり、闘牛の格好をした車が暴走したり、バスに乗りクレーンで吊るされて海に落とされるといった超過酷な企画や、人間性クイズというドッキリ企画など、視聴者であっても「大丈夫なのか?」と思わせるほどの過酷な内容であった。
そのため、この過酷な内容に対する芸人のリアクションが視聴者にウケて、この番組から「ダチョウ倶楽部」、「出川哲朗」、まだまだその当時は知名度の低かった「ナインティナイン」など多数の芸人を、全国的に有名にした番組へとなったのである。

この番組は過酷な内容に挑戦する芸人の番組である。
だからただ単にそのまま放送していただけでは視聴者は引いてしまう。
しかしこの番組は違う。
どう違うのかというと、この番組はその当時、芸能界で天下を取ったビートたけしの冠番組だから違うのである。
「M-1グランプリ」にも書いたが、「M-1グランプリ」という番組で優勝した芸人にはスターへの階段が用意されているのは、面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決めるのであるから当然といえば当然である。
この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」という番組で、審査員の立ち位置にいるのがビートたけしである。
つまりこの番組は、芸能界で天下を取ったビートたけしを笑わせることによって、視聴者にもこの番組の面白さがより伝わるのである。
実際にビートたけしも、この「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」という番組が一番好きな番組と語っている。
つまり、多数の芸人を全国的に有名にしたのは、今の芸能界の原型を作ったと言って良いビートたけしを面白いと思わせた芸人達なのであるから当然といえば当然なのである。
そしてそんな芸人達が輩出していたからこそ、この番組は当時人気番組へとなったのだろう。

しかし「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」はその当時、低俗番組と呼ばれていた。視聴者からのクレームは、放送回数が増えるたびに多くなっていった。
なぜなら、いくらビートたけしが楽しそうに笑っていたとしても、テレビに映し出されている映像は過酷なシーンばかりである。
そこしか観てくれない視聴者にはいじめに繋がるとしか思えないのだろう。
しかし芸人達は実際に怖がりながらも、なんとかしてビートたけしに笑ってもらおうとする姿は、「M-1グランプリ」と同じく真剣勝負の世界なのである。
芸能界で売れるために、ビートたけしに笑ってもらう芸を真剣に披露する舞台が「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」なのである。
そしてここから今のテレビでは欠かせない、リアクションという一瞬の時間の中で、どれだけ印象に残ることができるかを披露する芸である「リアクション芸」が誕生した。
つまりこの番組は、低俗番組などというものではなく、これからのテレビでは欠かせない「リアクション芸」を誕生させたという革命を起こした番組なのである。
だからこの番組は今では、伝説の番組だと称されているのではないだろうか。

ダチョウ倶楽部

土田晃之が「ダウンタウンDX」に出演した時に、「このダチョウ倶楽部という3人は、それぞれが面白いエピソードをたくさん持っている。しかしトーク番組などで、この3人から面白いエピソードをあまり聞かない。その理由は、3人全員が、そのエピソードを話す話術を持っていないからである。つまりダチョウ倶楽部というグループは、話術を持っていない3人が集まったグループである。」と評したことがある。
まさにその通りであって、ダチョウ倶楽部が番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こるにもかかわらず、よく考えるとダチョウ倶楽部のトークで笑わせてもらったという記憶は全くと言って良いほど無い。
「雨上がり決死隊のトーク番組 アメトーーク!」という番組に、竜兵会という上島竜兵を慕う後輩芸人たちの集まりで出演した際にも、土田晃之や有吉弘行などが、上島竜兵に関するエピソードを話し、笑いも取ったが、当の上島自身はそのトークを聞いてだけで、自分からは話さないでいるというのがほとんどであった。
なぜならダチョウ倶楽部という芸人トリオは、上島竜兵はトークができず、リーダーと呼ばれている肥後克広は上島以外の芸人には全くつっこまず、寺門ジモンに至ってはミルコ・クロコップを倒せるなどと言っていたり、エアマックスコレクターであったりでもうよくわからない。
ダチョウ倶楽部がコントを正月にやっていたが、そのコントも全く印象に残らないコントである。ダチョウ倶楽部とはそんな芸人トリオなのである。

しかしそんな芸人トリオであるが、「リアクション芸」を発揮できる舞台が現れるとダチョウ倶楽部の出番となるのである。
「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」でも、「ダチョウ倶楽部はまだ出ないのか!」と期待をして、登場すると「待っていました!ダチョウ倶楽部!」となってしまうほどである。
もちろんこのダチョウ倶楽部の面白さは、「リアクション芸」というものがあるからである。
では、そのダチョウ倶楽部の「リアクション芸」とはどういうものなのだろうか。

ダチョウ倶楽部の「リアクション芸」とは、実はショートコントなのである。
どういうことなのかというと、ダチョウ倶楽部は「この状況でのリアクション」という設定で、ショートコントを披露しているのである。
例えば熱湯風呂に入る際に、上島が熱湯風呂に入ろうとしている時に、「押すなよ!押すなよ!」と横で見ている肥後と寺門に言い、「絶対に押すなよ!」と言ったら、肥後と寺門が熱湯風呂に上島を落とすというものがある。
これは熱湯風呂にただ入るだけではなく、熱湯風呂に入った時のリアクションを際立たせるために考えだされたショートコントなのである。
ただ単に熱湯風呂にただ入るだけであるのであれば若手芸人にだってできる。
そのためにダチョウ倶楽部は、その状況に応じたショートコントを披露して、ただのリアクション芸との差別化を図ったのである。
それをやり続けていったために、「リアクション芸=ダチョウ倶楽部」という図式を、芸能界での「お約束」としたのである。
そのダチョウ倶楽部のショートコントを、上手く状況に合わせて使ったリアクション芸があるために、トークもつっこみもできなくて、よくわからない人がいたとしても、ダチョウ倶楽部がお約束を行うゲストとして番組に出演すると、その番組には必ず笑いが起こるのである。

ウッチャンナンチャン 1

「ダチョウ倶楽部」が、リアクション芸と呼ばれる上手く状況に合わせて使ったショートコントで全国的に有名になったのは、1989年から始まったビートたけしのお笑いウルトラクイズからである。
ダチョウ倶楽部がリアクションをする時には、ショートコントをしていると気付いている視聴者はほぼいないと思う。しかし実際に、ダチョウ倶楽部がリアクションをする時には、ショートコントをしている。
ということはつまり視聴者には気付かれていないが、ダチョウ倶楽部の芸が受け入れられたのには、何かの流れがあるのではないかと思いそれについて考えてみた。

この頃までの芸は、この短い時間で笑いを取るという事はほとんど無かった。
あったとしても、それを前面に押し出して芸をするという芸人は全くいなかった。
あるストーリーがあって、そのストーリーにその芸人特有のギャグを入れていくのが、それまでの漫才やコントであったからだ。

そこで1985年結成のウッチャンナンチャンが、ショートコントという4コマ漫画のようなオチのある1分もかからない短いコントを、決められた時間内に数回披露するという芸でブレイクし、更にそのショートコントは、お笑いの歴史を大きく変えるほどになったのである。

芸人は営業でコンサートなどの司会をしなくてはいけなくなる時もある。
歌手のコンサートの場合であると、衣装チェンジのために、何分間それのために繋ぐ時間があるかはわからない。
そんな時に、このショートコントという芸が重宝されるようになったのである。
普通の漫才やコントをしていたら、まだネタの途中で衣装チェンジが完了するかもしれない。
その時のために、1分もかからなくてしっかりとオチのあるショートコントが重宝されたのである。
また、営業だけでなくテレビに出演したときであっても、「島田紳助」でも述べたように、テレビで話せる時間は最大30秒までである。そして若手芸人が出演しても、発言させてくれる機会は少ない。
そこで自己紹介をするためのショートコントを披露すれば、短くて少ない機会であったとしても、なんとか視聴者の目には、印象に残るようにできるのである。
そのためウッチャンナンチャンは、ショートコントの特許を取得し、他の芸人はショートコントを披露する度に、ウッチャンナンチャンに7円を支払わなくてはいけないという都市伝説が流れたほどである。
もちろんウソであるが、そんな都市伝説が流れてしまうほど、ウッチャンナンチャンが始めたショートコントはお笑いの歴史を大きく変えたのである。

そして、ダチョウ倶楽部のリアクション芸と呼ばれる、上手く状況に合わせて使ったショートコントが視聴者にすぐに受け入れられたのには、このウッチャンナンチャンが始めたショートコントという短い時間で、笑いを取るのが面白いという世の中の流れとちょうど合流したために、ダチョウ倶楽部のリアクション芸は、視聴者にはすぐに受け入れられたのではないだろうか。

ビートたけしのオールナイトニッポン

このラジオ番組は、1981年1月1日から1990年12月27日まで放送され、深夜の1:00~3:00という時間帯に、絶頂期のビートたけしがパーソナリティーとなり、放送作家の高田文夫との2人の進行で放送していたラジオ番組である。
番組の特徴は、ツービートの漫才のようなテンポの速いビートたけしのトークと、高田文夫の合いの手が非常に上手く噛み合い、時事ネタや芸能界裏話、社会現象から下ネタまで、幅広い内容のフリートークを繰り広げるため、リスナーは「こんな話して大丈夫なのか?」と思わせてしまうような、深夜のラジオならではのビートたけしの喋りにドキドキしながら聞くというのが面白く、一般リスナーはもちろん、業界やマスコミ関係者も注目して聞いていたラジオ番組である。
それによってこのラジオ番組から、ビートたけしの才能が広く知られ、いずれ終わりが来る漫才ブームに乗っかっているだけの芸人達とは違い、ビートたけし独自の道を進むことになったきっかけとなったのである。
そしてビートたけしは、その後のテレビやラジオを大きく変える事になる、ある新しい流れを作り上げた。
それは、リスナーの存在の在り方である。

今までのラジオのリスナーは、ラジオのパーソナリティーの話を聞いて、それに対しての感想や個人の相談などをハガキに書くだけの存在であった。
しかしビートたけしのオールナイトニッポンからは、
ほとんどの人が知っている話題に対して、そのある部分を指摘すると共感して笑う、いわゆる「あるあるネタ」や、
この有名人なら、もしかしたらこういうことが起こるのではないかと思ってしまう短いネタなどをリスナーから募集して、
一般の人が自分のネタをビートたけしに評価してもらうことができるという企画を、ビートたけしのオールナイトニッポンで初めて作られたのである。
これによってビートたけしのオールナイトニッポンは、自分もお笑い芸人や放送作家になれるのではないかという一般人を増やし、お笑いのファンを多く増やすきっかけとなったラジオ番組となったのである。
そのため、このように視聴者からネタを応募してもらう番組は増え、テレビ番組やラジオ番組でこの手法が使われる番組は、この頃から使われるようになったのである。

着信御礼!ケータイ大喜利

この番組は2005年1月から始まった番組で、最初は月に1回くらいのペースではあったが、2008年4月からはレギュラー放送された番組である。
番組の内容は、放送中に大喜利形式でお題が出され、その回答を視聴者が携帯電話で送信して、このうち放送作家の基準で抽出したものを、更に千原ジュニアが厳選して、それを板尾創路が評価するという番組内容である。

この番組がヒットしたのは、「ビートたけしのオールナイトニッポン」からの流れがあったからだと考えて良いだろう。
ビートたけしのオールナイトニッポンと同じように、一般の人が自分のネタを評価してもらうことができるという企画を作ることによって、自分もお笑い芸人や放送作家になれるのではないかという一般人がこの番組のファンになり、そのためにこの番組を視聴する人が増えたために、この番組がヒットしたのだと考えて良いだろう。

さらにこの番組の成功は、最近のテレビのデジタル化を踏まえた視聴者参加型番組であるということである。
最近のクイズ番組は、携帯電話のワンセグ機能や、テレビのリモコンを使って視聴者の誰もがクイズに答えて、スタジオの解答者と正解率を競うということができたり、生放送の番組でアンケートに投票して、番組に参加できるようなシステムを導入している。
しかしまだまだほとんどの番組は、試行錯誤の最中だという感じがする。
それでも2011年には地上デジタル放送が決定している。
ほとんどの番組は、試行錯誤の最中だという感じがするが、この「着信御礼!ケータイ大喜利」という番組だけは試行錯誤の最中だという感じはせず、これからの地上デジタル放送の特性を上手く使った番組になりそうな感じもする番組である。

この番組は、携帯電話のインターネットを使う番組で、リモコンなどは使ってはいないのであるが、深夜の時間であるにもかかわらず、「着信御礼!ケータイ大喜利」の回答数は、毎回数十万もの数が投稿されてくるという人気である。
そしてその投稿された回答を、最終的に「千原ジュニア」が選ぶ。
その選ぶ順番もこの番組の面白さである。
最初の何本かは、そのお題の見本となる回答を選ぶ。それは視聴者に対して、その見本からどう回答が面白くなっていくかという期待感を持たせるためである。
それからいろいろなパターンの面白い回答を紹介していくのである。
この千原ジュニアの選ぶ順番が面白いため、回答をしない人でも面白くこの番組を観ることができるのである。

この番組の構成がこの番組を面白くしているのであるから、この番組だけは、これからの地上デジタル放送の特性を上手く使った番組になりそうな感じもする番組なのではないだろうか。
だからもしかすると、これからの地上デジタル放送の番組は、こういった番組が流行っていくのかもしれない。

タモリのSuper-ボキャブラ天国

この番組は、「タモリのボキャブラ天国」がリニューアルし、1994年4月13日から1996年9月25日まで放送されたタモリが司会の番組である。
番組の内容は、視聴者から「ボキャブった」作品(格言・物や人の名前・歌の歌詞などをダジャレ・替え歌にしてVTR化したもの)を投稿してもらい、それについて映画監督の大島渚やゲストが、その作品に対して品評するという番組内容である。
そしてその番組内容がヒットして、その後のボキャブラ世代と呼ばれていて、今でも活躍する人気芸人をどんどん輩出した番組となったのである。

この番組がヒットしたのも、「ビートたけしのオールナイトニッポン」からの流れがあったからだと考えて良いだろう。
ビートたけしのオールナイトニッポンと同じように、一般の人が自分のネタを評価してもらうことができるという企画を作り、更に採用されると賞金などが貰えるとなると、自分もお笑い芸人や放送作家になれるのではないかという一般人がこの番組のファンになり、そのためにこの番組を視聴する人が増えたために、この番組がヒットしたのだと考えて良いだろう。
そしてその流れがあったからこそ、この番組は、その後のボキャブラ世代と呼ばれていて、今でも活躍する人気芸人をどんどん輩出した番組となったのである。

「タモリの超ボキャブラ天国」から「タモリのボキャブラ天国 大復活祭伝説のキャブラー大同窓会&NEWキャブラーもボキャブる3時間SP」まで

ビートたけしのオールナイトニッポンで、一般の人が自分のネタを評価してもらうことができるという企画を作り、自分もお笑い芸人や放送作家になれるのではないかという一般人がその番組のファンになるため、その番組のファンになるという流れがあり、それによって人気が出た番組でやっていた「ボキャブラ」を、芸人がやったらどう面白くなるのかというようなコンセプトで始まった番組が、1996年10月16日から放送開始した、タモリ司会の「タモリの超ボキャブラ天国」である。
その今までの流れに乗り、「タモリの超ボキャブラ天国」は人気が出て、更に若手芸人の登竜門のような存在となったのである。
そのためこの番組に出演していた世代はボキャブラ世代と呼ばれるようになった。

タモリの超ボキャブラ天国から全国的に有名になった主な芸人は、
アニマル梯団(現在のモンキッキーがいた)、海砂利水魚(現在のくりぃむしちゅー)、つぶやきシロー、Take2(東貴博がいた)、デンジャラス、ネプチューン、爆笑問題、U-turn(土田晃之がいた)、パイレーツ、T・I・M(現在TIM)他多数の芸人である。

この芸人達が、ボキャブラ世代と呼ばれるお笑いブームを作ったのは、この番組が今まで紹介した番組の流れに乗っていて、その紹介してきた番組のいろいろな要素を、この番組は含んでいるからだと思う。
「まず、お笑いスター誕生!!」で紹介したように、『お笑いに携わる有名なタレントや芸人などに「面白い」ということを認めてもらい、「この芸人は果たして面白いのだろうか」という視聴者に対して、「この芸人は面白い」ということを印象付けてもらう』という事を、この番組では、映画監督の大島渚やタモリやゲストが、その作品に対して品評するという番組にしている。
そして「爆笑オンエアバトル」のように、若手の芸人が続々と出演するため、若手お笑い芸人の成長していく姿を見るのが好きなお笑いファンにも楽しめるようになっている。そしてランキング付けもされているため、この番組で一番面白いのはどの芸人なのかということもわかる。
更に「エンタの神様」のように、視聴者にわかりやすいようにボキャブった部分には字幕が入る。ネタを披露する前には、その芸人のキャッチコピーをナレーションで紹介してからその芸人が登場していた。
そしてボキャブラ天国も、「ダチョウ倶楽部」や「ウッチャンナンチャン」のように短いネタであるという特徴がある。
このような多数の人気が出る要素が含まれているため、この番組は一時代を作り、ボキャブラ世代と呼ばれる多数の芸人を輩出することになったのだろう。

しかしこの番組は、あくまで「ボキャブラ」ということだけで勝負をする番組である。
1997年4月13日から「新ボキャブラ天国」という番組名に変わり、内容自体の変更は無いが、司会がタモリからヒロミと谷村新司へと交代したり、時間帯がゴールデンだったのを深夜にしたりなどの変更をした。
その後も更に変更し続け、1999年4月17日からヒロミが司会の「歌うボキャブラ天国」へと変更したりしていた。
つまりこの番組は、「新ボキャブラ天国」に番組名が変わる前辺りに、もうすでに視聴者には飽きられてしまっていたのである。
そのため1999年9月25日に、この「ボキャブラ天国」という番組は終了したのである。

そしてその後2008年9月28日、「タモリのボキャブラ天国 大復活祭伝説のキャブラー大同窓会&NEWキャブラーもボキャブる3時間SP」という一夜限りの特番が放送された。
過去のボキャブラ世代と呼ばれる芸人達の名作と、今の若手の新作ネタが放送され、この番組は16.4%の高視聴率をマークした。
こんなにこの一夜限りの特別番組が高視聴率をマークしたのは、どう考えても今でも活躍している「爆笑問題」「くりぃむしちゅー」「ネプチューン」「土田晃之」などの芸人が出演していたからというだけである。
「ボキャブラ」とは名前を変えているだけで、実際にはただのダジャレである。
だからそんなダジャレだけを披露する「ボキャブラ天国」という番組が、今からまた流行るということは、まず有り得ないからである。
なぜなら、「M-1グランプリ」という番組で、何千組の中から選ばれた9組が、4分間という時間の中で、どれだけ笑いを伝えることができるかを競う大会で、上位になった芸人だけがスターへの階段が用意されるという今の時代に、同じ言葉や似ている言葉をかけるだけのダジャレを披露するのがめちゃくちゃ面白い芸人がもしいたとしても、そのような芸人が、M-1で上位になった芸人より人気が出るはずが無いからである。
だからこの一夜限りの特別番組が、16.4%もの高視聴率をマークしたのは、今でも活躍している「爆笑問題」「くりぃむしちゅー」「ネプチューン」「土田晃之」などの芸人が出演していたからというだけなのである。

つまり、「爆笑問題」「くりぃむしちゅー」「ネプチューン」「土田晃之」などの今でも活躍している芸人達は、漫才ブームのビートたけしや島田紳助のように、この番組をきっかけにして、バラエティー番組に出演しようとしていたのではないだろうか。

爆笑レッドカーペット

1999年3月27日から、「爆笑オンエアバトル」という番組が始まり、今回のお笑いブームのきっかけを作り、
2003年4月から、「エンタの神様」という番組が始まり、現在のお笑いブームの火付け役となった。
そしてそのお笑いブームの流れに乗り、2007年から不定期の特別番組として放送されていた「爆笑レッドカーペット」が、2008年4月16日からはゴールデンの時間帯でレギュラー放送されることになった。
番組の内容は、画面から観て奥の扉、もしくは赤いベルトコンベアに乗って画面右から芸人が登場し、ショートスタイル(1分前後)のネタを披露して、ネタが終わるとそのまま赤いベルトコンベアが動き出し、乗っている芸人やコントのセット(椅子や机など)がそのまま画面右に消えていき、そのネタに対しゲストの審査員が評価をするという番組内容である。
この番組のキャッチコピーは「お笑い革命」であり、1分前後のショートスタイルのため、ネタのテンポの良さとボケの多さが、10代から20代の若い世代に人気が出たために、同じ時期にやっていた「エンタの神様」が起こしたお笑いブームを、更に盛り上げた番組となったのである。
この番組から有名になった芸人は、柳原可奈子、藤崎マーケット、ハイキングウォーキング、くまだまさし、世界のナベアツ、エド・はるみ、狩野英孝、クールポコ、ジョイマン、髭男爵、フルーツポンチ、もう中学生、渡辺直美、我が家、ロッチ、はんにゃ、しずる、ザブングル、ナイツなど他多数の芸人である。

「爆笑オンエアバトル」でも述べたが、『爆笑オンエアバトルという番組は、今現在もお笑いブームが続いているのにもかかわらず、今は終了しているのは、世間では「爆笑レッドカーペット」のように、短い時間でネタを披露するというブームが来ているからだ。』というようなことをよく言っているが、現在のお笑いが、「爆笑レッドカーペット」のように、短い時間でネタを披露することでしか視聴者には求められないのであれば、「M-1グランプリ」という番組で優勝した芸人が、その次の日からバラエティー番組に朝から晩まで出続けるという現象が起きているのはおかしいということを述べてから、今は「M-1グランプリ」のように、面白さを極めた大物芸人達が、一番面白いと決める番組が影響力を持つようになり、爆笑オンエアバトルのように、素人が審査する番組は影響力が無いために、今もまだお笑いブームは続いているのに、今はもう爆笑オンエアバトルは終ってしまったのではないかということを書いた。

しかしこの「爆笑レッドカーペット」という番組も、あまり影響力の無いタレントが芸人の審査をしているのにもかかわらず、この番組は同じ時期にやっていた「エンタの神様」が起こしたお笑いブームを、更に盛り上げた番組となっているのである。
ということはつまり、あまり影響力の無いタレントが、芸人の審査をしていても影響力があるのでは?とも思ってしまう。
あまり影響力の無いタレントが、芸人の審査をする番組は、あくまで世に出るきっかけとなるだけの番組である。
「M-1グランプリ」のように、一気にスターになる存在にはなることは絶対に出来ない。
つまり、あまり影響力の無いタレントが芸人の審査をする番組は、若手芸人が世に出るきっかけとなったというだけの番組なのである。
ボキャブラ世代の芸人達は、『「タモリの超ボキャブラ天国」から「タモリのボキャブラ天国 大復活祭伝説のキャブラー大同窓会&NEWキャブラーもボキャブる3時間SP」まで」』で、映画監督の大島渚やゲストが、その作品に対して品評するという番組にしているから、ボキャブラ世代と呼ばれるお笑いブームを作ったのだということをそこには書いたが、これは本心ではなく、映画監督の大島渚という人が笑いを評価しても影響力は無いと思う。
だからビートたけし、島田紳助は、漫才ブームを芸能界で売れるためのきっかけにしたというだけであり、
爆笑問題、くりぃむしちゅー、ネプチューンなどの芸人も、ボキャブラ天国をきっかけにしたというだけの番組なのである。

普通のタレントが、芸人の審査をしていても影響力は無いということがわかった。
では、なぜ「爆笑レッドカーペット」は、お笑いブームを更に盛り上げた番組となったのだろうか。
それは、「ダチョウ倶楽部」のリアクション芸や「ウッチャンナンチャン」のショートコント、そして「タモリの超ボキャブラ天国」のショートスタイルのネタのブームを、10年越しにまた少し違う形で「爆笑レッドカーペット」が引き継いだからである。
そのため「爆笑レッドカーペット」は、お笑いブームを更に盛り上げた番組となったのである。
つまりこの番組のキャッチコピーである「お笑い革命」とは、10代の人達だけに通じるキャッチコピーなのである。
しかしこの番組のターゲットは、10代の若者に向けた番組(多分)であるため、「お笑い革命」というキャッチコピーは、これからも10代のお笑い好きの若者の心に残るキャッチコピーとなるのであろう。

しかし「爆笑レッドカーペット」は、2010年8月1日終了することになった。
これは影響力が無いというものもあるが、
一番の要因はもうお笑いの“ネタ”のブームの終焉が近付いてきているということだろう。

お笑いネタブームのまとめ

お笑いのネタ番組はこれ以外にも数多く存在している。
しかし世の中の流れに影響があったのは、これらのネタ番組であると思う。

流れをもう一度整理すると、
1960年代には、落語家や伊東四朗のいたてんぷくトリオなどの第一次寄席ブーム。
1970年代には、やすしきよし、コメディーNo.1、中田カウス・ボタンなどの第二次寄席ブーム。
1980年代には、やすしきよし、ツ―ビート、紳助竜介、B&B、ザ・ぼんちらがブームを起こし、芸能界のシステムを大きく根本的に変えた「漫才ブーム」。
そしてもう一つ漫才ブームを支えたのが若手芸人のオーディション番組である「お笑いスター誕生!!」
1990年代には爆笑問題、くりぃむしちゅー、ネプチューン、土田晃之らが出演しいて有名になったボキャ天ブーム。
そして2000年代には「エンタの神様」、「レッドカーペット」、「M-1グランプリ」などの番組が作ったお笑いブーム。
という流れがあった。

こう見てみると、10年おきにネタブームが起きているということに気付くはずである。
M-1グランプリやR-1ぐらんぷり、キングオブコントなどの特別番組が、この先どうなるかはまだわからないが、長かった2000年代のブームはもう終わるだろう。
しかし今はもう2010年である。
10年おきにネタブームが起きるとしたら、これからまたすぐにインターネットなどを使い、違う形でブームが始まるのではないかとも考えられるが、次にまた何が流行るかわからないということを考えると、これからのことなど全くわからない。
しかし、なぜこんなに2000年代のお笑いブームは、こんなに長かったのかということは考えることができる。

まず、テレビを変えた1980年代の漫才ブームから考えてみると、
1980年代の漫才ブームは、実質2年くらいのブームである。
1979年の秋から澤田隆治というプロデューサーが、「花王名人劇場」でブームを作り、その流れで、ここには全く書いてはいないが「THE MANZAI」という番組で漫才ブームになったが、1982年にはその番組は終わり漫才ブームも終わっている。
1990年代のボキャ天ブームは、「タモリの超ボキャブラ天国」という番組が1996年10月から始まったと考えて、終わったのはパイレーツが流行語大賞を取った1998年くらいまでだろう。
つまりボキャ天ブームも2年くらいのものである。
しかし2000年代のお笑いブームは、エンタの神様からブームが始まったと考えても2003年から、2009年くらいまでで6年くらいである。
つまり今までのブームよりも3倍近い期間、お笑いブームは続いたのである。

それはなぜなのかということを考えてみると、2000年代お笑いブームとは、1980年代の漫才ブームと、1990年代のボキャ天ブームの2つの要素を合わせたのがお笑いブームだからではないだろうか。
エンタの神様という番組は、漫才ブームの火付け役となった澤田隆治プロデューサーの技術である「出来が悪ければ放送しない」「客席の笑いをちりばめる」という2つの技術を、エンタの神様のプロデューサーである五味一男プロデューサーが引き継ぎ、それをうまくアレンジして流行らせた番組である。
爆笑レッドカーペットという番組は、「ダチョウ倶楽部」のリアクション芸や「ウッチャンナンチャン」のショートコント、そして「タモリの超ボキャブラ天国」のショートスタイルのネタのブームを、10年越しにまた少し違う形で「爆笑レッドカーペット」が引き継ぎ、それをうまくアレンジして流行らせた番組である。
このように2000年代のお笑いブームとは、1980年代の漫才ブームと、1990年代のボキャ天ブームの2つの要素を合わせたのがお笑いブームなのである。
だからお笑いブームは、今までのブームよりも3倍近い期間、お笑いブームは続いたのではないだろうか。

つまりこれらのお笑いのネタブームについて、これを踏まえて考えてみると、
次にお笑いのネタブームが起こったときにも、よく考えてみるとまたなにかをアレンジした番組であるという可能性は非常に高いと考えられる。
しかしもしかしたら、今までには全く無かった革命的な番組であるのかもしれない。

吉本男前ランキング

お笑い芸人に関するランキングというようなものを、雑誌などではよく特集が組まれていて、インターネットのサイトでもよく行われている。
果たして、このようなランキングをやると、芸人にとってどのような影響が出てくるのかということを考えてみようと思う。

まず注目したいランキングは、2000年から始まり、毎年恒例になっている月刊誌「マンスリーよしもと」で企画されている、吉本興業に所属している男性のお笑い芸人の男前を決める「吉本男前ランキング」というランキングに注目したい。
「吉本男前ランキング」とは、3年連続で1位を獲得すると殿堂入りとなり、全国の女性ファンは、好きな男性お笑い芸人を殿堂入りにさせたいという思う人が多いため、年を重ねる毎に、全国的に知名度も上がっていて、吉本芸人限定のランキングではあるが、最近ではマスコミにも大きく紹介され、月刊誌「マンスリーよしもと」が1年間で一番多く売れる号であり、発行される部数もその月が一番多い。

しかしこの「吉本男前ランキング」は、毎年マスコミでも大きく紹介され、月刊誌「マンスリーよしもと」が1年間で一番多く売れる号であり、発行される部数も一番多いのにもかかわらず、あまり影響力のあるランキングであるとは言えないのではないだろうか。

それを証明するために、まず2000年から「吉本男前ランキング」で1位になった芸人を調べていくと、
2000年~2002年 田村亮(ロンドンブーツ1号2号)
2003年~2005年 徳井義実(チュートリアル)
2006年~2008年 井上聡(次長課長)
2009年、2010年 藤原一裕(ライセンス)
※ 田村亮、徳井義実、井上聡の3人は3年連続で1位となり、殿堂入りとなっている。

この結果を踏まえて、1位になった芸人が全国的に有名になった時期を考えてみようと思う。
まず、2000年~2002年に1位になったロンドンブーツ1号2号の田村亮は、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したというだけである。
なぜならロンドンブーツ1号2号は、1993年に結成してわずか2年で人気芸人となっていて、2001年には「Re:Japan」として紅白歌合戦にも出演していたくらいの人気があった。
つまり、ロンドンブーツ1号2号の田村亮は、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したというだけなのである。
2006年~2008年に1位となった次長課長の井上聡も、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したというだけである。
次長課長は、2005年1月1日放送の「こっちも生だよ芸人集合! 今年最も売れる吉本No.1決定戦 やりにげGO'05」という番組内の占いで、今年最も売れる芸人の第1位に選ばれたのが井上で、逆に最下位に選ばれたのが河本という奇跡的な結果が発表される少し前から、次長課長は全国的に人気が出ていたのである。
つまり、次長課長の井上聡も、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したというだけなのである。

2003年~2005年に1位となったチュートリアルの徳井義実は、その当時、全国的にはそんなに有名ではなかったが、「爆笑オンエアバトル」などにはよく出演していて、既にイケメン芸人としては有名だった。
そのため田村亮が殿堂入りした後の、2003年~2005年には1位となったのである。
でもそれだけでは、チュートリアルの徳井義実自身は、このランキングでその当時の人気を改めて実証したと言うことはできないのかもしれない。
しかしこの徳井義実ではなく、その相方であるチュートリアルの福田充徳が、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したのである。
チュートリアルが2006年末に「M-1グランプリ」のチャンピオンになり、全国的に有名になった後に、福田充徳は「吉本男前ランキング」で、
2008年 5位、2009年 6位、2010年 15位
という成績を収めてしまっているのである。
確かに福田充徳は、昔よくネタにされていた顔がテカテカであるということは、今ではある程度解消されているし、歯を仮歯から本歯に入れ替えたということも言っているし、ペン回しが上手く、日本ペン回し協会の会長も福田充徳はペン回しが上手いということを知っているし、バイクを多く所有しているし、料理を作ることも上手い。
しかし福田充徳は福田充徳である。
この福田充徳が「吉本男前ランキング」で、2008年 5位、2009年 6位、2010年 15位という成績を収めているのは、間違いなくチュートリアルの福田充徳も、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したからなのである。

2009年、2010年に一位となったライセンスの藤原一裕も、今はまだ全国的には有名ではないが、2006年の「M-1グランプリ」に敗者復活組で出場しているし、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」にも出演しているし、最近では和田アキ子に気に入られて、「アッコにおまかせ!」にも準レギュラーとして出演している。
つまり、ライセンスの藤原一裕も、このランキングで、その当時の人気を改めて実証したというだけなのである。
これを踏まえると、この「吉本男前ランキング」というものは、ただ単にその芸人の、その当時の人気を改めて実証したというだけのランキングなのである。

しかしここで疑問に思うことが出てくる。
ロンドンブーツ1号2号の田村亮、次長課長の井上聡、チュートリアルの福田充徳は、このランキングで、その当時の人気を改めて実証しながら、今では全国的に有名なお笑い芸人になっている。
しかし、ライセンスの藤原一裕は、このランキングで、その当時の人気を改めて実証してはいるが、全国的に有名なお笑い芸人になっているとは言い難い。
それはなぜなのだろうか。

それはまだライセンスの藤原一裕は、2年しか1位を取っていないからということもあるだろうが、それだけだとは思えない。
それはライセンスの藤原一裕は、「吉本男前ランキング」で1位を獲得したということでしか、視聴者にアピールをできていないからではないだろうか。
ロンドンブーツ1号2号の田村亮は、相方である田村淳のMCの技術が凄過ぎるから有名芸人であるため、今はひとまず田村亮の話題は置いておいて、
チュートリアルの徳井義実は、「吉本男前ランキング」で1位を獲得しているが、実は変態だというキャラクターでいろいろな番組や女性誌にも多く出演している。
次長課長の井上聡も、「吉本男前ランキング」で1位を獲得しているが、物凄くゲームやアニメが好きで、仕事の無い日はいつも家でゲームをしているなどのエピソードがあり、モンスターハンターというゲームのCMに出演していたりもする。
しかし、ライセンスの藤原一裕は、「吉本男前ランキング」で1位を獲得しているということ以外は、あまり特徴が無いといっても良い。
そして、藤原一裕の相方の井本貴史は、ロンドンブーツ1号2号の田村亮の相方である田村淳のように、今はまだMCを任せられる存在でもないし、「M-1グランプリ」では決勝に進出してはいるが優勝はしていないため、チュートリアルの福田充徳のような知名度も無い。
だからライセンスの藤原一裕は、「吉本男前ランキング」で1位を獲得しているのにもかかわらず、一般的なアイドルのような男前とは違い、チュートリアルの徳井義実や次長課長の井上聡のように、決して男前の特徴とは言えないという特徴が無いため、「吉本男前ランキング」でその当時の人気を改めて実証していながら、まだ全国的に有名なお笑い芸人にはなっていないのではないだろうか。

つまり、「吉本男前ランキング」で1位になった芸人は、このランキングに選ばれたからといって、全国的に有名なお笑い芸人にはなっていないということを考えると、毎年マスコミでも大きく紹介され、月刊誌「マンスリーよしもと」が1年間で一番多く売れる号であり、発行される部数も一番多いのにもかかわらず、あまり影響力のあるランキングとは言えないのではないだろうか。

そして、この「吉本男前ランキング」とは、ただ単に男前の吉本芸人を紹介するだけのランキングではなく、チュートリアルの徳井義実や次長課長の井上聡のように、男前でありながら、決して男前の特徴とは言えない特徴があるというギャップを、視聴者に見せるためのきっかけとなるランキングなのではないだろうか。
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